第1話「修学旅行に行く道のり」
鬱陶しい杉だのヒノキだのの花粉も消し飛び、すっかり冬の寒さも忘れて来た5月1日の今日この頃。桜は散って土筆も枯れて、どこぞの家では鯉のぼりが昇るようなそんな時期。
しかし暖かさが日本全体を包み込むこの時期は、つまり一年の中で最も穏やかな月と言えた。そう、ぶっちゃけ言うと超眠たい季節なのだ。
「あー……」
どこぞの国では眠りの妖精さんが眠りの粉を使って人々を眠らせると聞くが、5月と言うのは妖精さんが大勢働く時期なのかもしれない。南ヶ丘瀬奈は、そんな益体も無いことをぼんやり考えながら、眠気まなこで目をゴシゴシと擦っていた。
「お、なんだ瀬奈眠いのか? お前がデュエル中に眠たくなるなんて、珍しいこともあるもんだな」
そう言って瀬奈の様子を伺っていたのは、今行なっているトレーディング・カードゲームの対戦相手である東隼人だった。高校生にしては幾分か子供じみた遊びをしている2人だが、そのことを注意する者は誰もいない。
隼人は今、真っ白いカッターシャツに学校指定のネクタイを緩く結んだラフな格好をしていた。5月になったばかりにしては、少し早いクールビズのような気もするが、元々寒さに抵抗のない彼にしてみれば、このぐらいがちょうど良いのかもしれない。
そういえば自分はまだ、冬用の制服を着用したままだが、これだけ暖かいならそろそろ衣替えしても良いかもなと、瀬奈は自分のブレザー服を手に取り、厚さと肌触りを確認してみた。
「いや、私としたことが、闇の者同士との決戦の最中にうたた寝をしてしまった。おそらくこれは十二の刻が一つ、『眠りの森の魔獣』の精神攻撃による影響に違いない……」
「ああ、そういえば今日で5月だったな。陽の光も心地いいくらいだし、これは眠くなるのも無理ないな」
隼人はふと窓の方へ視線向ける。窓の外は新緑の木々が次々と通り過ぎて行き、手前にガードレールのような物が見えることから、ここがどこか山の道路である事が判断できる。
そう、瀬奈と隼人がいるここはいつも勉学に励む教室や学校に至るまでの通学路などではなく、40人くらいの人が座れるだけのスペースがあるスクールバスの中だった。
このバスには、2人を含む生徒16人と運転手の教師1人が乗っていた。
5月1日、この日は瀬奈と隼人のクラスで行われる修学旅行の日だった。このバスは、その目的地まで生徒たちを運ぶ交通手段である。
2人がカードゲームしていたその時、瀬名と隼人が遊んでいる前の座席から、ニョっと首だけ出してこちらを伺ってくる人物が現れた。
「やあやあおふたりさん、仲が良くて何よりデスね」
黒髪のゆるい三つ編みをおさげにした陽気な少女の名は辺銀デス子。非常に変わった名前だが、れっきとした日本人である。
垢抜けた童顔にニカっとした笑顔が特徴的なこの少女は、まるで美術館に飾られた貴重な芸術品でも注視するかのように、目をキラキラと輝かせて2人の様子を見ていた。
……いや、正確に言えばデス子は2人が遊んでいるカードゲームのレアカードをよく眺めていた。
「……! 辺銀デス子、貴様また私のレアカードを狙っているな。絶対に奪わせんぞ!」
「はっはー、何を警戒しているのデスか信頼あるクラスメイトに対して。別に狙ってないデスよ? 瀬奈ちゃんの1枚300,000円はくだらないレアカードのことなんて」
「売る気!? 私の愛するパートナーを売る気なの!?」
「今の時代、パートナーですら金で買える世の中なんデスよ瀬奈ちゃ〜ん」
デス子はニタニタと悪どい笑みを浮かべながら、瀬奈の最高のパートナー(カード)である【ブラック・アビス・ドラゴン】をじぃーっと凝視している。
"金のためなら例え犯罪でも余裕で犯す"を信条とするこの少女は、金目のものを見ると狙わずにはいられない困った性格をしている。これまでも瀬奈は、この窃盗犯に幾度となく高価なカードを盗られかけてきたのだ。
瀬奈は最愛の我が子を守るかのようにカードを抱きかかえ、デス子は舌舐めずりをしながらどうやって盗んでやろうかと思案を浮かべている。
隼人はそんな彼女らを見て苦笑しながら2人を引き剥がした。
「ほらほら2人とも、せっかくクラス揃っての旅行なのに妙なところでトラブるんじゃない。デス子、お前暇だったら一緒にカードバトルでもするか?」
「う〜ん、デス子は遠慮しておくのデス。……それより、デス子は2人がいちゃついている様を見ている方が楽しいのデス!」
「ぶっ!! ……ぺ、辺銀デス子。貴様、人のカードを盗もうとしただけで飽き足らず突拍子もなく何を言い出すのだ!」
「いや〜普段は人と接するのが苦手な瀬奈ちゃんが、隼人くんの前でだけはありのままの自分を見せているから。何というか、とっても『ほわわぁ〜ん』と和んでくるのデス」
「ほわわぁ〜んって何だ!? 語彙力貧困層か貴様は!」
デス子はニタニタとした表情で瀬奈をからかっている。瀬奈はほんのり頬を染めてから、ふんっとそっぽを向いて再び座席に腰掛けた。