005
「ところで、今後のことだけど」
波の音にまぎれて、淡白な声音で白川は言う。
「私の素顔を知った以上、あなたには黙っていてもらわないと困るのよ」
防砂林に囲まれた小さな公園のベンチで、この女はいかにもサスペンスドラマの犯人が言いそうな台詞を吐きやがった。
しかも、口止め料として奢らされたカップアイスを食べながら。
……どんな状況だよ、これ。
しかし、黙っていろだなんて穏やかではない。
俺は自転車の荷台に腰かけながら身構え、尋ねる。
「困るって、素顔を知られたらダメだったのか?」
「そうね。下手をすれば、あなたを処分しなければならないわね」
「処分!?怖ぇよ!」
「心配はいらないわ。あなた一人消すくらい、造作もないから」
「そこの心配はしていない!」
「痛みもなく、丸めてポイで終わりよ」
「俺をゴミのように扱うな!」
なぜこうも軽々しく俺を消そうとしているんだ、こいつは。
たかが素顔を見たくらいで。
お尋ね者なの?家業が暗殺だから顔バレNGなの?ゾルディック家かよ。
「自分がゴミだと自覚しているのね。偉いわ」
「自覚じゃない!例えツッコミだ!」
「せっかく褒めてあげたのに」
「一ミリも嬉しくねぇよ」
偉いと言われて嬉しいのは、せいぜい小学生までだ。
高校生の俺には通用しない。
まぁ、褒められたところで、何か裏があるんじゃないかと疑ってしまうから、結局全然喜べないけどな。
はっはっは。
てか、俺ゴミじゃねえし。
「人の称賛を受け入れられないなんて、随分と矮小な心なのね」
「…いつ俺が称賛を受けたんだよ」
「ゴミが意思を持っていたことに対してよ。歴史的発見だわ。今年のノーベル賞は私で決まりね」
「お前には賞金じゃなくダイナマイトを進呈してやる!」
「……うざ」
え、何その顔。
うまいこと言ったからって軽く引いてんじゃねぇよ。
そういうのが一番傷つくだろうが。
せっかくノッてやったのに。
それに、『贈呈』ではなく『進呈』を使ったところがポイントだ。目上の人に対して使われる言葉で、『つまらないもので恐縮ですが』という意味も含まれるため、そこの顔だけは良い見下し女を皮肉るのにうってつけの言葉だ。
こんな会心のツッコミを無にする返しとか、ツッコミ役の俺にとっては納得がいかない。
いわゆる『スカし』と言われる技法なのだが、それを勘違いして使っている奴が多い。
これはあくまで例え話なんだが、周りが冗談を言って盛り上がっている時に、その流れで普段喋らない奴が勇気を持って冗談を言ったのに対して、「いや、それはないから」とばっさり切り捨てられたとしよう。
勇気を出したにも関わらず、期待していたツッコミをしてもらえなかった時の俺…、いや、そいつの心境を考えてみろ。最悪だろ。無慈悲にも程がある。
周りはそいつをいじって一笑いとったつもりなんだろうが、面白くもなんともない。
なんならその冗談を真に受けて、アイツ頭おかしいぞ、とか思われてるよ。きっと。
もはや『スカし』って、軽いイジメだからな。
それを使うことで自分は面白い人間だと勘違いする奴がいるけど、そうじゃないから。
ただ単に、他人を蔑んで笑ってるだけだから。
そういう、人を貶めるような返しは断固反対だ。
そんな救われない笑いがあってたまるか。
言わなきゃ言わないで黙っていれば『ノリ悪りぃな、つまんねえ』とか言いやがって。
お前こそ素人のくせにノリとか知った風な口きくんじゃねえよ。
お笑いなめんな。
あ。
いや。
白川のおざなりな返しがきっかけでつい、熱くなってしまった。
つまり、何が言いたいかと言うと、ツッコミに対して一家言ある俺からしてみれば、『スカし』はバラエティ番組の中だけで成立する笑いなのだということだ。
それを日常会話で使うのは良くない。
それが言いたかったのだ。
まぁ、さっきの白川の場合、単純に俺がうざかったのかもしれない。
それはそれで普通に傷つく。
……考えないようにしよう。
閑話休題。
「で、なんで素顔を見られたらダメなんだよ」
「なんでって、可愛いからに決まってるじゃない」
「………」
たった今、全世界が停止したような錯覚に陥った。
その刹那、もう一度、じっくりと、彼女の言葉を振り返る。
意味を咀嚼し、理解する。
そして、
「決まってるんだ!」
絶叫していた。
「何?何か不満でも?」
「不満っていうか……」
自分で自分を可愛いって言えちゃう神経がどうなのってことなんだけど。
「まぁ、聞かないけど」
「聞かないんだ!」
どうやら、基本的に耳が痛い話は聞かないらしい。
とんだ自信過剰ぶりだ。
短絡的過ぎて、逆に混乱したわ。
―――――可愛いから、素顔を隠す。
意味が通っているようで、通っていない。
歯車が噛み合っているようで、噛み合っていない。
そんな違和感。
「腑に落ちないといった顔ね。でもこれは別に、冗談でもなんでもないのよ」
白川はアイスをすくう手を止め、消え入りそうな声で呟いた。
「ただの事実だから」
―――――事実。
確かに、その容姿を考えれば納得はできる。
だが。
何かが、おかしい。
「こう見えて、中学生のある時期までは、とてもモテモテだったのよ」
そう言って、聞いてもいないのに、彼女は語りだした。
言い訳をするように。
弁明するように。
淡々と、自分の過去を。
平然と、他人事のように。
ただならぬ雰囲気に、俺は生唾を飲みこんだ。
彼女はすうっと小さく深呼吸し、口を開く。