Ep.84 星の小川の畔にて・後編
暗闇の中、私の吐き出した息の泡が反射する光だけが目に写る。
細いわりに意外と深さのある小川の底には、振り回す手はなかなか着かなくて。しかも、水を吸ったドレスの重みで、足も思うように動かない。
「フローラっ、フローラ!大丈夫!?」
「げほっ、げほげほ……!う、うん。大丈夫……。」
それでも何とかもがいて伸ばした腕をレインが掴んでくれて、何とか体勢を立て直せた。重い身体を引きずりながら川から上がると、髪やドレスから滴り落ちる水が地面の色を濃くする。
「あ、えーと……これ使って。」
「ーっ!ありがとう、レイン。」
とりあえず重たいのでドレスの裾を絞って水気を切ってたら、レインが私にハンカチを差し出してくれる。
それをありがたく受け取って顔だけ拭くと、ようやく水でちょっとにじんでた視界がクリアになった。
さっきまで天の川を隠してた雲も風で流れたみたいで、遮られてた光りも戻ってきたしね。
「フローラ……、本当に大丈夫?」
「大丈夫大丈夫!ちょっとビックリした、だ……け…………」
と、ようやく目があったレインのその顔を見て言葉が止まった。
「ちょっと、レインこそ真っ青だよ!大丈夫!!?」
「え……?」
「いきなりだったから驚いたのね。とりあえず座ろう!」
戸惑った様子のレインを誘導し、近場の長椅子に座らせる。
さて、この椅子、アースランドの物だけあって立派な赤い絨毯らしきものが掛かっているのですが。
果たして私はこのびしょ濡れの身体でここに腰掛けても良いのでしょうか?
「あの……、座らないの?」
「ーっ!」
と、考え込んでいたら、先に座ったレインが私を見上げながら不安そうにそう言った。
……絨毯に関しては後でクォーツ達に謝って、お洗濯すればいいか!
「じゃあ、お隣失礼します!」
何となく重い空気を振り払うように明るくそう答えて、レインの隣に腰かける。と言っても、あんまり詰めて座るとレインまで濡れちゃうからちょっと間は空けるけど……。
「ーー……。」
「…………。」
き、気まずい……。
思わぬハプニングのお陰で多少は話せたけど、それが落ち着いちゃったら逆に本題を切り出せなくなってしまった。
静まり返る私達の間に流れるのは、賑やかな会場から微かに聞こえてくる笑い声や音楽や、側を流れる小川のせせらぎだけ……。
「……レイン、あのね…」
「フローラ、私……っ」
「「………………。」」
なんと言う事でしょう。思いきって発した一言目が、見事に被ってしまいました。
「……ふふっ。」
「あはははっ、見事に被ったね!」
そして、思わず見つめあって数秒後。どちからからともなく、二人一緒に吹き出して。ひとしきり笑いあってから、小さくレインが『ごめんね』と呟いた。
「え?あぁ、さっきのこと?気にしなくていいよ、ただ濡れただけなんだし……」
「そうじゃなくて、避けちゃったりとか……色々。」
「あ……。……っ!」
「フローラ……?」
ぎゅっと握りしめて膝に乗せたレインの手が震えてるのに気づいて、堪らずその手を握りしめた。
私の行動に驚いたのか、レインの大きな瞳がパチパチと瞬く。
「謝らなきゃいけないのは私だよ!ごめんね、レインが元気無いのはわかってたのに、私……何もしようとしなかった。本当に……ごめんなさい。」
「…………。」
うつ向いたレインの視線が、重なった手に向けられたまま固まった。
「……っ!」
そしてしばらくの沈黙の後、レインのその手が私の手を握り返してくれた。
「フローラが『何もしなかった』んじゃないよ、私が……皆に勝手に壁を作ってしまったの。」
「レイン……。」
手の上に落ちる水滴に、ふわりと淡い光が映り込む。
気がつけば、手を握り合う私達の周りに、たくさんの蛍が飛び回っていた。
「……蛍、綺麗だね。」
「うん……、そうだね。」
それから私達は、手を繋いだままぼんやりと蛍と天の川を眺めた。
特に会話らしい会話も出ないけど、不思議と嫌な気分はしなくて。
ただ、同じ景色を眺めて『綺麗だね』って言い合えるこの時間が、すごく素敵だなぁと思った。
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「……あれ、何この音。除夜の鐘?」
「除夜の鐘……?それは知らないけど、多分パーティー終了と解散の合図の鐘だと思うよ。アースランドの鐘は独自に進化した物でミストラルとか学園の鐘とは音が違うんだね。」
どれくらい二人でぼんやりしていたのか、会場の方からお正月にお馴染みのゴーン、ゴーン……と言うお腹に響くような鐘の音が聞こえてきた。
なるほど、そう言えばここはアースランドだったね。そして、解散の鐘かぁ。じゃあ……
「そろそろ戻らなきゃだねぇ。」
「そうだね……、あれ?」
「ん?どうかしたの?」
私に続いて立ち上がったレインが自分の手元を見てからキョロキョロと辺りを見回す。
この仕草は……
「何か無くした?」
「あ、うん。さっきまで持ってたポーチなんだけど……」
「ポーチ?さっきまでって……いつまで持ってたの?」
「フローラが川に落ちる前までは手に持ってたんだけど……。」
「……ってことは、もしかして……」
あぁ、やっぱり!慌てて駆け寄った小川に、小さな可愛らしい黄緑のポーチが浮かんでるのがわかった。
「よっ……と。」
「あっ!フローラ、汚れちゃうよ!!」
「後ではたき落とせば大丈夫だよー。それより、ポーチってこれ?」
「う、うん。ありがとう。」
川岸にしゃがみ込んで拾いあげたポーチは、水を吸ってるからか見た目よりも重い。
これ、中に何が入ってるんだろ?
「びしょ濡れになっちゃってるけど……中身大丈夫?」
「あはは……多分駄目かも。中身、手紙だから……。」
「手紙!?」
それ、中身絶対全滅じゃない!?
慌ててレインにポーチを渡し、中を確かめた方が良いと促すけど、レインはちょっと困ったように眉を下げて微笑みながら首を横に振った。
「確かめなくていいの?」
「えぇ、大丈夫。」
「でも……」
出先にまで持ってくるなんて、大事な手紙だったんじゃ……。
そんな私の考えが伝わったのか、レインは受け取ったポーチを握りしめて小さく息を吐く。そして、そのまま私の方へと向き直った。
「これね、ゼオンさんとのやり取りのお手紙なの。」
「ゼオン君との!?」
なんと、レインがあの連休の期間だけでゼオン君とそんなに親しくなっていたとは!
って言うか、それ尚更大事なんじゃないの!?
しかし、レインは内心パニックな私を見つめながらその文通の内容が主に私に対する愚痴だったことを説明した。
そして…………
「本当に……ごめんなさい。」
改めて静かに腰を折った、その声が震えてるような気がした。
「あ、謝らないで!人間、誰だって不満は溜まるものだよ。」
『女子は陰口が多い』なんてよく聞くけど、そして周りとしてはそう言うのはかなり怖いけど、今回のレインのはそれとはタイプが違うもんね。手紙なら他人に知られることはないし、レインはおとなしくて優しい子だからそんな酷いことは書かれてないだろうと思うし……。
「今回のことは、レインじゃなく私の方に非があったんだから大丈夫だよ!それより、話してくれてありがとうね。」
「フローラ……。」
私がレインの両肩に手を置いてそう言えば、彼女は顔を上げて指で自身の涙を拭った。
レイン、その愚痴っちゃったこともずっと気に病んでたんだね。それなのに、直接私に話して謝ってくれたんだ……。
「……フローラ?行かないの?」
「あ、うん……。行くよ!一緒に帰ろ!!」
駆け寄って隣に並ぶと、レインは安心したように笑った。
その笑顔を見て、私もレインに隠し事はしないようにしようとこっそり心に誓った。
ただひとつを除いて…………だけど。
~Ep.84 星の小川の畔にて・後編~
『あっ、二人とも居た!』
『見当たらないから探してたんだよ、どこに居たんだい?』
『てか、お前ドレスと髪濡れてないか?』
『あー、ちょっと足滑らして小川に落ちちゃって……。』
『『『はぁ(えっ/ーっ)!?』』』
『大分乾いたみたいだけど、布が厚いからまだ湿気てるよね……、そのまま戻って大丈夫?』
『大丈夫大丈夫!気づかれないうちに馬車乗っちゃうし。あ、クォーツ、これ向こうの長椅子に掛かってた絨毯なんだけど、濡らしちゃったから洗って返すね!じゃあまた休み明けに。レイン、行こう!』
『う、うん。では皆様、失礼します。』
『……行っちゃった。』
『仲直りは出来たみたいだし、大丈夫でしょ。じゃあ、僕らも帰るから。』
『あぁ、またな。休み中暇だったら手紙出すわ、久々に。』
『う、うん、またねー。…………絨毯、わざわざ持って帰って洗わなくてもこの場でライトに乾かして貰えば良かったんじゃないかなぁ。もう遅いけど。』




