Ep.378 水の鏡と二匹の子猫
土魔法や水魔法は元より広範囲への弱めの一斉攻撃、または防御等のサポート系に向いている。
クォーツは普段から攻撃特化のライトやフライと組んできたし、私自身は聖霊の巫女としての定めで魔力に攻撃力が一切乗らないので尚更だ。
つまり今の私達は、敵の手を防げるが倒す為の手段を持たない。
部屋があまり広くないのも正直やりづらいところだ。
「だから、初めから"倒す"ことは目的にしない」
そう宣言したのはクォーツだ。その代わりに、私が持つ聖霊王の水鏡をすぐに使えるように発動しておいて欲しいと言う。
「魔族で、しかも動物の姿ってことはあの子も多分元は使い魔でしょ?」
「えっクォーツ、まさか……」
「ーー……お話が長くて待ちくたびれました……にゃ!」
前足だけを一瞬巨大化させた黒猫が、その大きな手で私達を薙ぎ祓う。
クォーツが直前に私を足元に出した岩でポーンと避けさせてくれたので無傷で済んだけど、『任せたよ!』の意味がわかってしまうだけに頭を抱えざるを得なかった。
「ほらほら、防御しか能がないって僕を馬鹿にしていた割にはその防御を崩せてないみたいだけど?
自信満々だったくせにその程度なんだね!」
「急に生意気ですにゃ。あんな土の部屋程度で守ったつもりなら……ーっ!」
魔力を極力使わないよう小さな盾を出しては消して攻撃をいなしていくクォーツ。
その防御を破れない苛立ちからか。先に部屋の方を直接殴り壊そうとした黒猫の前足が、私の出した水膜に沈んで元の小さな猫手に戻った。
「ずいぶん可愛いお手々だね?」
「ーー……これだから、人間は嫌いだ」
黒猫の瞳が、薄暗い中にギラリと光る。
痛かったのか、プルプルと手の水気を払って。黒猫の標的が完全にクォーツに絞られた。明らかに攻撃力を上げて追いかけてくる黒猫ーー"ノアール"を翻弄するように、クォーツがひらりふわりと引き付けて壁際に移動していく。
彼の狙い通り、私側から見たら黒猫の背中はガラ空きだ。
『いいかい?狙い目は、ブランの位置から最も遠い北側の角!
僕があそこまであの子を誘き出すから、フローラは聖霊王の水鏡に隙をついて押し込んで!』
この鏡で空間の移動が可能なことは、リヴァーレでの戦闘で体験済みだ。
だけど、だけどさ……!
(この激闘の中で聖霊の森に強制送還だなんて本当に出来るかなぁ!?)
幸い、クォーツの煽りが上手いからか、黒猫の意識はびっくりするくらいに一切私に向いていないから……不意打ちしたらやれそうではあるけれど。
魔力水を張った枠を握りしめる両手が、震える。
もし失敗したら同じ手はもう使えない。クォーツとブランの安全が、今は私の手にかかっている。
その責任が……重い。これまで、頑張って戦っていたつもりで居たけれどーー、如何に皆から護られていた側だったかが、まざまざと突き付けられた気がした。
「ーーっ!」
「大丈夫!?ごめん、油断した!」
視界にちらついた銀色から反射的に飛び退いた瞬間。目の前に、一本の小刀が降ってきた。
どうやらクォーツの手からノアールが弾き飛ばしたようだ。
『狭いとこではあんまり使いたくないんだけど』と嘆息しつつ、クォーツは長いほうの刀に手をかける。
一瞬、空間が凪いだ。
「一応聞くけど、降伏してくれない?」
「……御冗談を。
戻る道などーー、疾うに無い」
最早、言葉の猫被りさえ無くなったノアールの姿が波打ち始める。
その景色に見覚えがあった。
(あの様相、エミリーちゃんが魔物になっちゃった時の予兆と同じ……!)
あの時、エミリーちゃんの身体は2階建ての建物をゆうに超える大きさになってしまった。あんなサイズに変化されたらもう、水鏡には通らない。
(やるなら、変化前の今しかない!)
震える手に気合を入れ直すために、一度思い切り拳を握りしめる。
そして、水鏡を構えた私を見据えたクォーツの瞳が光を反射した。
頷き合う代わりに、クォーツが柄に手をかけたまま腰を落とす。居合いの構えだ。
「はぐれた2人や捕まってる人達も心配だし、そろそろ終わりにしよっか?」
「その笑顔……随分と余裕なご様子で」
クォーツの居合いをかわすため、黒猫が広げていた翼を一瞬ーー縮める。
そこを狙って、飛びかかった。
「ごめんね!私の大事な相棒を、渡してあげるわけにはいかないの!」
「王の水鏡……っ!?」
掲げた鏡面に一瞬だけ過ぎる、雨に打たれる小さな黒猫。
でも、疑問を持つ余裕も無いままに。振り下ろした水鏡が、ノアールの身体を覆っていく。
しかし。
「……甘い」
「ーー……っ!」
その呟きと共に、水鏡が……。いやーーこの空間全体が、凍てついて。
必然的に、鏡を持っていた私の腕と足元が氷に覆われてしまった。
「ブラン!クォーツ……っ!」
ブランの隠れ場所を水で守ってたのが仇になり、中の様子がわからなくて青ざめる。
クォーツに至っては、変身薬が切れるタイミングが最悪過ぎたようで。いつもの年齢に戻った状態のまま、少し離れた位置で肩に近い位置まで完全に凍らされてしまっている。
どうにか動こうとするも、少し身を捩る程度で姿勢さえ変えられない。
もがく私の前に来て、変形しかけていたノアールが元の猫姿に戻って見せた。
「だから、《《あの日》》。あなたは……」
「う゛っ……!」
「フローラ……っ!」
長くて少し先の巻いたノアールの尻尾が、私の首に絡みつく。
ぐっと力強く締められ、苦しさで顔が歪むのが自分でもわかった。
「(息が……っ!)や、……めっ、ーー…ノア……っ」
「ーー……っ」
「フローラを離せよ!!」
ふっ……と尻尾の力が緩んだその時、ノアールの身体が誰かによって突き飛ばされる。
荒くなる呼吸を整える私の掠れた視界の先に、腕をしもやけで真っ赤にしたブランの姿が見えた。
クォーツの土壁とーー氷になってしまった水膜を、その小さな手で無理矢理砕いて出たのだろうか。
私を庇うように広げられた掌や腕が、何箇所も切れて血が滲んでいる。
「ブランっ、出てきちゃ駄目じゃない……っ!」
「どうして!?狙われてるのはボクなんでしょ!」
いつに無い大声で返されて怯んでしまう。
私が言い淀んだ隙に、ブランは再びノアールに向き直った。
ブランに突き飛ばされて凍った床に倒れていたノアールが、ふわりと浮かび上がりながら忌々しげに尾を揺らす。
「わざわざ自分から出てきて下さるとは……、手間が省けましたにゃ」
「そのわざとらしい語尾辞めなよ。君も、普通に話せるんでしょ」
「……野良猫風情が、生意気な」
駄目だ、今のブランは魔力すら無いのにあんなに挑発して……!
でも、この氷に魔力を吸われているのか何をしようとしても魔法が発動出来ない。
クォーツも同じなようで、魔法を使う気配がない。彼の方は手まで凍りついているので刀も使えない状況だ。
そんな私達を数秒、見つめて。
ブランが広げていた両腕を下ろす。
「2人を解放してよ。
ーーそしたら、君について行ってあげる」
「なっ……!」
私が止めに入るより先に、ノアールが笑いながら舌舐めずりをした。
「ふむ……、良いでしょう」
鳴りを潜めていた筈の黒い手が次から次へと絡みついて、ブランの姿が陰に呑まれていく。
冷えすぎて感覚がないながら、何とか氷から抜けた右手を必死に伸ばすけど……いま一歩、指先が届かない。
もどかしくて、遣る瀬無くて。
あまりの不甲斐なさについ、怒鳴ってしまった。
「〜〜〜っ!ブランの馬鹿!
なんでわざわざ自分から危ない所に出てきたの!?
私達はブランを守りたくてっ『守ってくれだなんて頼んで無いじゃん!!』……えっ?」
もう瞳しか見えないほどに闇に覆われたブランが、私の言葉を遮り叫ぶ。
もう表情すら、わからない。
「今この時も、前世の時も!
ボクはフローラに守ってもらいたかった事なんか一度も無い……っ。
そんなこと! ボクは頼んで無い!!」
「…………っ!」
意識ははっきりあるのに、視界が……白くぼやけて。
何か言いたいのに、肺が拒んでるみたいでーー上手く空気が吸えなくなった。
ぼんやりとした世界で浅い呼吸を繰り返す私の向こうで、クォーツも声を張り上げる。
「なんてことを……ッ!本心じゃないにしたって酷すぎる。
ブラン!ヤケになっていないで抵抗しろよ!」
「……っ、防御ばっかの役立たずは引っ込んでて。
結局今だって、フローラのこと守れてない癖に」
そのひと言に、クォーツの瞳の輝きが弱まる。
ナイフの様に鋭利で、深海の様に冷たい。温度の一切ない声だった。
言葉を無くした私達に、ノアールが大笑いしながらズレたモノクルを押し上げる。
「……っはは、ハハハハハハっ!
コレは良い!ここに来てまさか仲間割れとは!」
笑って、笑って……笑い転げて。
最早黒い塊と化したブランの前で、自身の漆黒の翼を広げるノアール。
元は私の手のひら位の大きさしか無かった筈のそれが、人間一人をゆうに包めそうなほどに広がった。
「待って……っ連れて行かないで!」
なんとかひねり出した一撃。
しかし、それは明後日の方向へ向かい、私の真上の天井に直撃した。
そしてそこには、戦闘の時にノアールの作り出した大量の氷柱がある。
鈍く嫌なヒビ割れ音と共に、氷柱が天井から……外れた。
「フローラ!!」
「……っ!」
動けない私の脳天に向かい振り注ぐ、人間大の大きさの氷柱。当たれば、即死だろう。
その氷柱を、ノアールの尻尾が……薙ぎ払った。
ヒュンッと視界を遮った黒い毛並みとリボン。
遅れて聞こえた鈴の音で、ようやく状況を理解する。
「ど、どうして……っ」
ーーーちりんっ……ーーー
ペロッと、小さな舌が私の頬を撫でた。
驚いている私を他所に、何も答えないままノアールが今度こそブランを包み込む。
「……目的は果たせましたので、これにてお暇いたしますにゃ」
「待っ……〜〜っ!」
そうひと言だけ言い残して、強い風が辺りを吹き抜ける。
そして、風が止んで目を開いた時にはもう、ノアールとブランはそこに居なくなっていて。
一瞬で溶けた氷の名残の上に、漆黒の羽根が一枚……残されているのみだった。
〜Ep.378 水の鏡と二匹の子猫〜
『『ボクを守ろうとしなければ、君はあの時……死ななかったよ』』




