Ep.367 捕らえられし者
一斉に沸き上がった黒い手に掴まれた箇所から、焼けるような痛みと不快な痺れが起きる。身体に入ってくる魔力のその不快感からすぐに察した。これは“魔族”の力だと。
(……っ!ブランを抱えながらじゃ指輪が使えない……!)
蠢く手達はどうやら、私の腕からブランを奪い取ろうとしているようで。それはどうにかかわしている物の、元から体力のある方でない私はすぐに息が上がってしまう。
強い浄化の力を使うには、両手を組んで指輪に力を注ぐ必要がある。でも……!
「痛っ……!」
「フローラ……っ!」
「大丈夫よ、私から離れないで!」
バシッと、一際太い手に振り払われてしまった私は、ブランを強く抱き締め次の衝撃に備えた。と、同時に。一歩前に出たライトとフライに庇われるように、2人の背中に隠される。さっきまで2人が居たであろう所を見れば、既にそこには焼き払われた黒い手の残骸があるだけだった。
怒りを圧し殺した冷徹な表情で、2人がそれぞれの武器を構える。
「数が多いな……、やれるか?」
「当然でしょ?誰に聞いてると思ってるの」
視線だけで頷きあった2人の聖具から一瞬で溢れた閃光が、魔方陣ごと全ての黒い手を焼き払った。
(……黒い折り紙みたい)
僅かに焼け残り部屋に浮いているそれが、広げた掌に落ちてくる。私の手に触れるなり光の粒になって消えたそれを見送ったのと同時に、緊迫した空気に似合わない軽い拍手の音が聞こえた。
「お見事。あくまで本物の魔族の術ではないとは言え、魔導省屈指の術者10名がかりで組んだ陣をこういとも容易く消し飛ばされてしまうとは、こちらとしては形無しですね」
にこやかにそう告げるジェラルドさんを睨み付け、ライトとフライが再び武器を構える。それに待ったをかけたのは、黒い手を払うでも避けるでもなくただ受け止めていた、クォーツだった。
強く掴まれたのだろう。指の痕がアザになった手首を擦りながら、クォーツが殺気だった2人の肩をぽんぽんと叩く。いつも学院でするのと、なんにも変わりない仕草で。
「はいはい、2人とも気持ちはわかるけど落ち着いて。話を聞き出したい時に武器は駄目だよ。フローラは大丈夫?」
「うん、ちょっと痛かったけど怪我はしてないよ」
「ならよかった。ほら、全員無事だ。まだ今の目的がなにかすら僕らは知らないんだから。まずはお話合いからでしょ?」
ね?と、普段通りの穏やかな声に力が抜けたのか、2人は嘆息してから警戒を解いた。光となってそれぞれの聖具が2人の身体に戻ったのを確認して目を見張ったジェラルドさんに、今度はクォーツが向き直る。
「僕が見た限りでは、あの手は僕達を捕まえる為の魔術ではなかったんじゃないですか?だって、僕の手や足を掴むなり違ったってばかりにすぐ離れていったもんね。2人は気づいてなかったでしょ?」
恐らく身体に触れられる前に軒並み瞬殺していたであろう2人が、ばつが悪そうにクォーツの笑みから目を逸らす。いつになく大人びた仕草で、クォーツが軽く肩を竦めた。
「全く、2人ともフローラが絡むと駄目だなぁ」
そう笑って、何故か今度は私に向き直ったクォーツは、私に抱えられおとなしくしているブランに視線を移す。
「でも、フローラを狙った手だけはやたらしつこかった。正確には、僕らの中で彼女だけが使い魔を連れてたからだ。違いますか?ジェラルド魔導省長」
しん、と。核心を突かれた犯人特有の静かな間を置いて、ジェラルドさんは趣にメガネを押し上げた。
「……警戒すべきは炎と風のお二人だけかと思いきや、これはこれは。存外侮れない方ですねぇ」
「お褒めに預かり光栄です」
にこっと嫌味を受け流し、クォーツが改めて背筋を正す。
「僕も今回の事件には気が立ってるんです。我が国の領海で、親友の兄が、僕達の為に向かった調査の途中で行方を眩ませた。とても悠長な駆け引きなんてしていられない」
「……おいクォーツ、あんな洗礼受けていつまでも下手に」
「うん、今は僕がお話してるから、ちょっと静かにしててくれる?」
「ーっ!待ってよ、兄さんの方の話から切り込むなら僕が……っ」
「2人とも……、僕いま、黙っててって言ったよね?」
クォーツに笑いかけられた瞬間、ひゅんっとライトとフライの顔から色が消えた。
改めて、話して頂けますね?とジェラルドさんに向き直った優しいのに圧のあるその笑顔からそっと顔を背ける。恐い、いつもと表情自体は何も変わらないのに、ただただ恐い……!!!
「ふむ、良いでしょう。お察しの通り、あれは使い魔達が失踪したエリアに貼られていた罠の術式を我々が再現したものであり、どうやら一定の規定を満たした使い魔のみを捕らえるよう命が組み込まれていたようです」
『場所を変えましょう』と、促されて更に奥の部屋に移される。厳重な施錠が外されゆっくりと開いたその先の光景に、私達はただ言葉を失った。
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「……ブラン、大丈夫?」
「ーー……うん」
夜、通された客室のベッドにて、私はブランの身体をぎゅうっと抱き締めた。でないと昼間見たあんまりな光景に、嫌な夢をみてしまいそうだったから。
(誰が何の狙いで強い魔力を持つ“身体が白い”使い魔ばかりを捕らえてるのか知らないけど、生きたまま氷漬けにするだなんて酷すぎるわ……!)
調査過程で発見した被害者たちだと、水晶のような氷の中に閉じ込められ並べられていた小さな使い魔達の姿に胸が痛むと同時に、やっぱりブランは連れてくるべきじゃなかったと後悔した。
(ジェラルドさんから聞いた規定が正しいなら、多分ブランは狙われる条件を満たしてる。気を付けないと……)
当のブランはなんだか疲れた様子で、既に寝息を立て始めていた。そのリズムと温もりにつられて、私もゆっくりと目を閉じる。次に目を開いた時、私は澄み渡る湖の水面に立っていた。
「“聖霊の森”……!聖霊王様!聖霊女王様!」
緊急時だとまた意識だけ呼び出されたのだろうかと辺りを見回すも、お二人の姿はおろか妖精一匹見当たらない。それにこの場所、よく見たら森の中心じゃなくて、確か……。
『……逃げよ』
「ーっ!?」
不意に聞こえた聞き覚えのある声に振り返る。気がつけばそこには、いつかの日に私に復讐の選択を問い掛けた一角獣の姿があって。そしてその白くしなやかな身体が、見る間に凍てつき出した水面からせり出す巨大な氷に覆われていく。
「……っ、待ってて、今そっちに『来てはならぬ!』ーっ!」
『今は、来てはならぬ。逃げて時を待ち、我を解放してくれ。我を継ぐ者を見つけるのだ』
「待ってください!一体何の話を……っ!?」
『その者が……の、在り……を…………』
言い終えるより先に一角獣が完全に氷の中に閉じ込められ、聞き取ることが出来なかった。悔しいけど、次第にこちらにも伸び始めた氷から逃げるように踵を返して走り出す。捕まらないよう走って走って走って、ようやく岸に飛び乗った瞬間、私はベッドで飛び起きた。
~Ep.367 捕らえられし者~




