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Ep.358.5 ライトの焦燥

 扉を閉める事すら忘れて飛び出していったその小さな背中は、あっという間に見えなくなった。あいつは昔からそうだ。あと少しで届きそうだと伸ばした手をすり抜けて、ふわりとどこかへ行ってしまう。

 それがどうしようもなく、もどかしい。


「……本当に何の真似だ、嫌がらせか?」


 空になった腕の虚しさを誤魔化すようにソファーに突っ伏す。行儀が悪かろうが知ったことか。そう不貞腐れる俺を見て、原因の男はわざとらしく肩を竦めて見せた。


「先程申し上げた通りです。告白をするにしても時と場合を考えなさい、軽率さは身を滅ぼしますよ。何を焦っているんです」


「…………いつ奪われるかもわからないこの状況で焦らないほうがおかしいだろう」


 そうだ。フライがあいつに気持ちを打ち明けたと聞いて、正直……急いている。普段ならば数メートル離れていようが気付ける専属執事の気配に気づかず、後ろ頭を叩かれてしまうくらいには。


 改めて閉じた扉に鍵と防音魔術をかけながら、フリードはやれやれと肩を竦めた。


「全く、貴方は意外と昔から自己評価が低いですからね。何かと秀でておいでなフライ様に先を越されて焦る気持ちもわからないではないですが……、焦って付け焼き刃の言葉を紡いだ所で相手の心には響きませんよ」


『貴方は、フローラ様をどうしたいんです?』


 そう問われてみると、返答が難しい。先程はあまりに他の男の名しか出ないから若干腹を立てたものの、俺は別にあいつを自分だけのものにして閉じ込めておきたい訳じゃない。むしろ、誰にも分け隔てなく心を開き優しく出来る、そんな奴だから好きなんだ。ただ……。

 

「あいつが一番幸せな時も、一番辛い時も……、俺が隣に居たいとは思うな」


 人一倍優しいあいつはきっと、人の何倍もの物をあの小さな背に背負っているだろうから。それを少しでも共に支えたいと思う。叶うなら、誰よりも近くで。

 フローラがずっと、俺たちにそうしてきてくれた様に。


「……これまでだって充分そうされて来ていたと思いますけどね」


「ん?何か言ったか」


 いいえ、何も。と頭を振ったフリードの手元からふわりと甘い香りが漂う。身体を起こすと、目の前に気に入りの紅茶が満ちたカップが置かれた。


「まぁ、私は安心しましたよ。正直、貴方の“恋愛”に関する嫌悪感はそう簡単には拭えないと思っていましたから」


「……大袈裟だな」


「そんな事はありませんよ。私は今でも覚えて居ます。血濡れた手で母君の亡骸を揺さぶり泣き叫んでいた、幼き日の貴方のお姿を」


 後悔を滲ませた声音に自嘲気味な笑みを漏らす。馬鹿だな、あの日の事はお前の否では無いと、何度言ったらわかるのか。

 当時俺は4歳、だからフリードは精々12、13の若造…いや、子供だった筈だ。もう少し早く現場に着いていたとして、何を救えた訳でもなかっただろうに。

 それに今は、もう。そんな恐怖も嫌悪感も掻き消してしまう程にどうしようもなく、ただただあいつが、愛おしい。


「……そうだったか、もう忘れちまったな」


 だから、わざとらしくそう惚けて紅茶を啜った。

 一瞬目を見開き、フリードは穏やかに笑う。


「まぁ、とにかく私は安心したんですよ。貴方が心から愛する方に出逢う事が出来て」


「…………だったら邪魔すんじゃねぇよ」


 思いの外恨みがましい声が出た。いや、さっきのは本気で怒ってるからな、本当に。


「はっはっは、それとこれとは話が別ですね。自分は皆様のお陰で当分想い人に会えなくなってしまったわけですから!」


「やっぱりわざとだったんじゃねぇかふざけんな!」


 ハイネが故郷に残る事を事後報告にしたのは悪かったとは思うがちょっと酷くないか。そんな思いを込めて白けた視線を向けるが、小さく咳払いをして向き直ったフリードの瞳は殊の外、真剣だった。


「まぁそれは冗談として、フローラ様に想いを伝えるのは暫しお待ち頂けませんか」


「……理由は?」


「ーー……今は、申し上げられません。ですが、運命には時が重要な場合が往々にしてあるもの」


「つまり、俺があいつに想いを伝える時は今じゃ無いと?」

 

 問い返すと、真剣な面持ちで頷かれた。昔からこいつは時折こうして理解しかねる事を言う。けれど、いつでも其れには、深い理由があった。

 

「……まぁ、急いては事を仕損じると言うしな。考慮はしておく」


 そう答えれば、フリードは安堵とも諦念とも言えない笑みを浮かべたがそれ以上は何も言わなかった。一応満足はしたようだ。


「この話はこれでおしまいだ。それよりお前何しに来たんだよ」


 普段、従者は基本的に学院の方へは立ち入らない。校舎内には学院側で雇われた世話役が各場所に配置されているし、そもそも自立心を促す為生徒は自主的に動けと言う校風から使用人は来る必要が無いからだ。来たら頼ってしまうからな。

 つまり、わざわざ学院に来ている主人の元に来ると言う行為には相応の理由がある場合がほとんどなのである。


 暗にトラブルでもあったのかと聞いたが、そうでは無いらしい。フリードは少し申し訳無さそうに、父の印の入った書状を俺の前に置いた。


「いやぁ、実はですね、急なのですが暫し(いとま)を頂きたいと思いまして」


(いとま)?……っ、お前、いくら会いたいからって仕事休んでまで相手の故郷に押し掛けるのは流石に……」


「いや違いますからね!?」


「……冗談だよ、さっき邪魔された仕返しだ」


 全くもう、と不貞腐れるフリードだが、実際仕事に対しては真摯だし優秀だ。休みの要求なんて初めてだろう。なんだってまた急に? 


「いえ実はですね、双子の兄に会いに行こうかと思いまして」


「へぇ、兄貴なんか居たのか?初耳だな」  


「……えぇまあ、あまり、仲が良くないものですから」


 そう言えば、長らく側に居たがこいつの口から家族の話題が出るのは初めてだ。少し興味が湧いて身を乗り出した俺に、フリードが『特段面白い話はありませんよ』と笑う。


「色々あって長く()()していたのですが久方ぶりに起きられそうだとのことで。流石に顔くらいは見せるべきかと」


「なるほど。いいんじゃないか?せっかくだし羽根伸ばしてこいよ」


 父の許可印の押された書状に一筆自分の名を書き込む。これでフリードの休暇申請は正式に受理された。


「ありがとうございます。明日には発ちますがぎりぎりまで寮にはおりますので、ご用があればお申し付け下さい。寂しくないよう私の写真など机に飾っておきましょうか」  


「馬鹿にすんな、もう子供じゃねーんだから平気だっての。気色悪い提案すんな」


「つれないですねぇ、私はこの大切な時期に殿下のお側を離れると考えただけで断腸の思いだと言うのに」


「今生の別れでもあるまいし何言ってんだか、大袈裟な……」


 ヨヨヨ……とわざとらしく乾いた目元にハンカチヲ当てたフリードが、残念そうに舌を出した。お前本当、そう言う所だぞ。


 許可を得て安心したのか、いつもの悪ノリが輪をかけて絶好調だ。マジ腹立つぞ、その笑顔。

 ため息混じりに懐中時計を懐から取り出すと、既に時刻は17時を回っていた。


「ったく……って、駄弁ってたらもうこんな時間かよ」 


「おや?その時計は……」


「あぁ、なんかハイネに貰った。魔除けの御守りみたいなもんだとさ」


「左様でございましたか、それはそれは……」


「って、おいこら。何の迷いもなく主人の持ち物くすねようとしてんじゃねぇぞ」


 ピシッと、懐中時計を自分のポケットに収めようとしていたフリードの動きが止まった。


「だってだってだって!ずるいじゃないですか妬ましい!私だってハイネから消えもの以外の贈り物なんてただの一度も貰ったことないのに!!!」


「……………………お前達、本当に一時期でも恋仲だったのか?お前の盲言じゃなくて?」


「じゃかましいわこの鈍感ヘタレ天然馬鹿王子が!!!」


「その暇を永久的なものにしてやろうか?」


「申し訳ございませんでした解雇(ソレ)だけはご勘弁を……!」


 途端にしおらしくなり、わざとらしく『冷めてしまいましたね』なんて言いながらいそいそと茶を淹れ直す姿に笑ってしまう。全く、懲りない奴だな。


「どうせ淹れ直すなら二人分にしてくれ。一緒に飲もうぜ」


「殿下……、どこの世界に従者と向かい合って茶にいそしむ王太子が居ますか」


「良いじゃないか、家族みたいなもんだろ」


 小さく息を詰めた後、フリードは観念したように向かいのソファーに腰を落とした。


「……一杯だけですよ。見られたら叱られるのは私なんですから」


「わかってるって。……うん、美味いな。水に茶葉ぶち込んでからポットを直火にかけようとしてた初めての時からは想像もつかない」


「それを言わないで下さいよ!それより私の淹れたお茶ともしばらくお別れなんですからね、心して味わってください」


 ハイハイと笑って最後のひと口を飲み込む。向かいにかけたフリードの表情が暗い事を見抜けないほど鈍くはないんだよ。仲が良くないってことは、あんまり会いたくないのかもな。



「ま、紅茶は自分で淹れられるし、身の回りの世話だって別に困らないけどさ」


「解雇宣告ですか!?」


「違うわ。何処に行ったって構いやしないが、ちゃんと帰ってこいよ。お前の居場所はここだからな」


 顔を上げた。フリードは一度面食らったような表情になり、それから銀がかった紫色の双眸を眇めた。


「どうした?」


「……いえ、申し訳ありません。ただ少し…………眩しすぎるようで」


 そう言われ、丁度夕焼けが俺の髪に反射する角度で部屋に差し込んでいることに気づく。


「あぁ、西日か。悪かった、カーテン閉めるか?」


 自分がと立ち上がろうとしたフリードを制して窓際に向かう。背後で再び俯いたその呟きは、聞き取れなかった。


 

    〜Ep.358.5 ライトの焦燥〜


  『ただ少し、私には眩し過ぎるようです。太陽のような貴方の側は』



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