Ep.355 漣の月夜に❨※改訂しました❩
前回投稿したお話に重大な入れ忘れがあり書き直させて頂きました。頂いた感想を消してしまいたくないのでそちらも残したままになっていますが、こちらが正しい355話です。 ややこしい真似をして申し訳ございませんがよろしくお願い致します。
昔から、考える事が増えすぎると寝付けなくなる質だ。
学院に戻る一晩の船旅。漣の音だけが響く深夜の甲板で柵に持たれ夜空を眺めていると、不意に背後で扉の軋む音がした。
「眠れないのかい?」
「……そっちこそ」
お互い様か、と笑ったフライが隣まで来て足を止めた。学院に戻ったらまた生徒会の業務やら課題やらが溜まっていそうだとか、女の子達がフローラの部屋に集まっていて会いに行けなかったのだとか、そんな取り留めのない会話をしていたら、ふわりと海風になびく翡翠の髪。
「……しっかし、お前髪下ろしてると本当女みてえな」
「しばき倒すよ?」
単に解いている姿が珍しいと思っただけだったんだが気に触ったらしい。苦笑しつつ謝るも誠意が足りないと怒られてしまった。
「ま、いいか。今夜だけは許してあげる」
「お?いやに優しいじゃないか、どうした?」
「何笑ってんのさ、腹立つ。……ま、君には色々と恩があるし、流石に今までの態度はちょっと悪かったかなって思っただけ。いくら、魔族に取り憑かれていたにしてもね」
フライが言っているのは、島から離れる直前に女神四姉妹から聞いた内容のひとつだ。驚くべき話だが、フライの身体は数年前から魔族に蝕まれていたようだと。恐らく、聖霊研究家のロイド伯爵に会いに行ったあの晩に。
本の封印から抜け出した魔族は嫉妬に苛まれていたフライの心の虚を突き、まんまと侵入に成功したのだろうと。完全に精神まで乗っ取られていた場合は切り離せず、本人ごと魔族を封じるしかなくなっていたかもしれないと言われた際はゾッとした。
まぁ、あの晩にたまたま魔族に取り憑かれた直後のフライに俺が体に直接接触した事で魔族の力が弱まった事と、今回のフライによる神具覚醒が功を奏して今はもうその魔族は完全にこいつの身体から追い出されたわけだが。ちなみに追い出されたその魔族はハイネに瞬殺され、浄化された魂の核は聖霊王へと送られた。
「あー……まぁ、乗っ取られなくて良かったじゃないか」
「ーー……君もね」
淡白だが含みのある返しに苦笑を返す。こっちの話はもっと厄介だ。なんせ、俺の人格を蝕んで居たのは他ならないかつての聖霊王の騎士だったのだから。
かつて愛する女性を目の間で失った騎士は、未来を託した俺の魂にある誓約をかけていた。
『彼女を護る為の力に目覚めるまでは、決して彼女を愛してはならない』
その切なる願いは永い月日をかけて歪み、呪いに近い形で俺の心に足枷をかけていた。聖剣の所有権が俺に移ったことで解呪はされたようだが、両親の悲恋に対する俺自身の心の傷も相まってあいつへの感情から逃げてしまっていたのも無理はないと女神達は擁護してくれたものの。恋敵の立場からすれば知った事ではないだろう。
ほら今だって、現に不服気な眼差しでこちらを見ている。柵に添えられていただけのその指先が一瞬、強張った気がした。
「……僕、フローラに告白したから」
一瞬、息がつまり、時間が止まったような錯覚に陥る。これ以上の小細工や誤魔化しは無意味だ。感情の読めない怜悧な眼差しを真っ直ぐ見据える。引く気は無いと。
「……何その強い瞳、散々逃げてた癖に」
「あぁ、お前の言う通りだな。言い訳する資格すらない。それでも、あいつだけは譲れねえよ」
睨み合ったまま数十秒。互いに譲らないまま交錯していた視線を先に逸したのはフライだった。
「そう言うこっ恥ずかしい台詞は言えちゃう癖してどうして自分の辛いことは何も言わないんだよ、本っ当腹立つ」
「え?」
「何でもない!なら勝手にしたら?僕だって譲るつもりないし。ただそこまで言うなら、散々君をヘタれさせてた過去の一つくらい聞かせてよね。ちゃんと、君自身の口から」
最後は口早に捲し立てて、らしくもない荒い足取りでフライが去っていく。
「……何が『譲れない』だよ、運命みたいな出会い方してんじゃねーぞ」
音を立てて閉まった甲板の扉の向こうの呟きは、俺の耳には届かなかった。
「居るのわかってんぞ。盗み聞きはちょっと趣味悪いんじゃねえの?」
「はは、ごめんごめん。流石に声かけづらくてさ」
フライが立ち去ってすぐに声を掛けた高台から、ひらりと音もなくクォーツが降りてくる。どうせ皆眠れないだろうと淹れたと言うホットミルクはほとんど冷めきっていた。こいつ……、ほとんど初めから聞いてたな?
目を伏せてぬるいホットミルクを一息に煽る俺の様子に、クォーツが少しだけ目を細めた。
「……流石に落ち込んでる?」
「はは、まあな。でも自業自得だし」
何かしらの叱責は覚悟していたからそれは別に良いんだ。ただ……。
「その割には浮かない顔してるね。何か心配事?」
「あぁ。ハイネが見て来たって言う“フローラ”の最期について少し、な」
暗い声音の呟きに同意するように、クォーツも小さく息をついた。
「そうだね……。でもいくらハイネの話でも正直信じられないよ。『僕達がマリン嬢に入れあげてフローラを追い詰めて断罪した挙げ句、彼女が自害を選んだ。』なんて……」
「本当に自害なら、良いんだけどな……」
クォーツが目を見開き俺の両肩を掴んで柵に叩きつけた。弾みで手から飛んだティーカップがデッキの上で音を立てて砕け散る。
「いくら君でも今の言葉は聴き逃がせないよ。一体どう言うつもりで…っ」
「だって、持たせるか?罪を犯し投獄された元王族に。まして、国の紋章が入った短刀を」
落ち着け、と。痛い位の力で肩を押さえつけて来るクォーツの手首を握って軽く引き離す。数秒考えた後、怒りに昂揚していた顔からサッと血の気が引いた。
「暗殺だったって事……!?」
本人は自分を間抜けだの天然だのと称すが、存外こいつも勘が良い。あんな短い問いかけひとつでこちらの懸念を察してくれる辺りとか。
「だって、まさかそんな……。投獄された後の話でしょう?」
「だがあり得ないとも言えないだろ?通常、投獄される罪人に武器となる物を持たせるなどあり得ない。自害はもちろん、脱走等の危険行為を抑止する為に。重罪人なら尚更だ」
にも関わらず、実際には自害に使われたのはミストラルの国章入りの短刀だった。つまり、何者かが王女の意志を汲み秘密裏に渡したか、もしくは……。
「あたかも自害に見せかける為に、それらしい小道具として置いた、か……。どうする?この話、皆には……」
「まだ言えない。あくまで予測であって確定ではないしな、余計な不安を与えることないだろ」
そうだ。懸念であればいい。どうかそうあってほしい。自害と他者からの殺意では、気をつけなければならない事の量が桁違いだ。
気が重い。と息をつきつつデッキに飛んだカップの破片を拾い上げる。
「あっ、ごめん!僕が拾うよ」
「いいよ、大丈夫」
丁度取っ手になっていた部分の破片を軸に掌に魔力を集める。ゆっくり時間をかけてだが、割れたカップは元の状態に再生した。
ひび割れ一つなく俺の手に収まるそれを指差してクォーツがあ然としている。
俺達に与えられた聖霊の力はもとは全て聖霊王ひとりの能力。故に、長く共に過ごした場合互いの能力が共鳴して他の者の能力を使えるようになる場合がある。そうハイネ達から説明を受けたので試しにやってみたが……。
「ら、ライト、今の……」
「はは、やれば出来るもんだな」
だが、こんな小さなカップひとつの再生で疲労感が凄い。通常の戦闘後とはまた違った種類の疲れだ。治す効果も弱いし、フローラには及ばないからあいつの負担を減らせる程ではないだろう。それでも。
「“聖霊の能力を持つのは巫女だけじゃないぞ”って牽制にくらいは使えるだろ」
使えるものはなんだって使ってやる。今度こそ、大切な者を理不尽に奪われてたまるものか。
「……大丈夫?」
俺の顔色に気づいたのだろう。不安げに揺れる声に苦笑を返す。
「……っ、あぁ。話したら少し落ち着いた。悪いな、余計な心配事増やして。一人で抱えるにはしんどくてさ」
「……っ!」
そう零すと、クォーツがもとから丸い目を更に大きく見開いた。なんだその驚き様は。
「だって、初めてじゃない?ライトが僕等にそう言う感情素直に打ち明けてくれるの」
「……そうだったか?」
そうだよ、とクォーツが笑った。何故だか、少し嬉しそうに。 柔らかく目を細めて。
「君は昔から、誰より人を助けたがる癖に、自分が救われたり愛される事に酷く臆病な人だから。そう言う所、フローラとそっくり」
『だから、あの子を護るのは君じゃなきゃ』と笑ってクォーツが踵を返す。
「……っ、クォーツ」
「なに?」
「お前は、いいのか」
最後のひと言は、明らかに俺の背を押そうとしてくれている言葉で。だが、クォーツだってフローラを好いている事を、俺だって知ってる。
「……譲る気もないのにその聞き方は変じゃない?」
「そうかも知れねぇけどさ、だからって誰かひとりの気持ちが踏みつけにされるのは何か違うだろ。俺こう言うのすげえ嫌……!」
キョトンとしてから、クォーツが小さく吹き出した。
「本当、馬鹿だよね。人を心配する間があるならきちんと向き合いなよ。自分がこれから、彼女とどうしたいのか」
「……急に辛辣だな」
「だってそうじゃない。僕の性格知ってるでしょ?勝てない勝負はしない主義なの。応援に回るよ。君には散々救われて来たしね」
丁度差し込んだ柔らかな月明かりに照らされたクォーツが、切ないほどに穏やかに笑みを浮かべる。
「その代わり一度くらいは、僕達にも君を助けさせてくれると嬉しいんだけど」
今度こそと、向けられたその背中が離れていく。
「クォーツ!……ありがとな」
今度は振り返らず片手を軽く振って、その背が船内に消えていく。
再び一人になった甲板で、柵に凭れて夜空を仰いだ。
「そうだな。俺は、これから……」
〜Ep.355 漣の月夜に〜




