Ep.354 私の名前は
キャロルちゃんが、もし本当の本当に改心出来たと女神全員に認められる事が出来たなら。その時はあの子を、事件が起きる前の時間軸の姉の元に返してあげてほしい。
そう私が伝えると、四人の女神達は『貴女ならそう言うと思ったわ』と笑った。呆れたような、それでいて安心したような、ハイネがよく私に向けていたのと同じような顔で。
「まぁ、子はある意味あの馬鹿な父親の被害者だからな。罰を受けた後なら多少の救いは構わないだろう。父親はそうは行かないがな」
そう言ってライトが取り出した書状は、キャロルちゃん達の父親であるこの島の島主を捕縛する逮捕状だった。罪状は、大陸外への持ち出しが禁止されている魔法薬·ならびに魔道具の違法取引の斡旋。その資料の分厚さからかなり長い期間悪事を働いていた事がわかる。
「全く、よくもまぁこれだけの国と取引してたものだよね。クリスティア帝国にロワゾーブルー王国、更にはフィオーレ王国まで……あそこなんか排魔術的な国で有名なのに」
「馬鹿ほど一度味をしめると深みにはまっていっちゃうものだからね。それにしても、ライトは端からこれを調べる目的もあってあの子のわがままに乗ったフリしてたんだ?」
『怖~い』とわざとらしく茶化すクォーツに、ライトが何の事やらと肩を竦めた。正直ライトが潜入捜査なんてするイメージ無かったから私たちもびっくりですよ。
「まぁどちらにせよ、ここまで証拠が上がっては言い逃れも出来まい。あの男は生涯幽閉か大陸外追放だ。あの馬鹿娘に向けられない分の俺達の怒りは、父親にきちんと受けて貰おう」
「あぁ、それについては同感だね。なんなら僕も協力するよ。肉体には外傷なく痛みや苦痛だけを与える拷問具とか用意させようか?」
ってこらこらこら!なんか物騒なお話が始まったんですが!?
「ど、どうしよう……。クォーツ!2人を止めっ……「いやぁ無理でしょ、正直君が危害を受けたことに関しては僕もまだ腸煮えくり返ってるし」クォーツまで!!」
「あははは。仕方ないなぁ。まぁ僕には止められないけど、君にだけ使える魔法の言葉を教えてあげるよ。耳かして」
言われるがままクォーツの側に寄ると、ポソっと耳に囁かれた一言に首をかしぐ。いや、あんなきな臭い会話がそんなひと言で止まりますか?
いやでも、ライトとフライの会話は迷っている間にもどんどん過激になっていってるし……えーい、こうなれば自棄だ!
「いっ、いい加減にしなさい2人とも!これ以上そう言うこと言うなら嫌いになっちゃうから!!!」
「「ーっ!!?」」
なげやりにそう叫んだ瞬間、ピシッと2人とも固まってしまった。心なしか顔色も悪い……って言うか最早白い!?え、2人とも大丈夫!!?おろおろしてる私の後ろでクォーツが声なく大爆笑してる気配がするんですが……!
「ごっ、ごめんなさい2人とも。嘘だからね!嫌いなわけないからね!生きてますかーっ、しっかりして!!」
「……やーっぱフローラ先輩も案外小悪魔よな」
エドがなんか呟いてる声も聞こえたけど構ってらんない。ぎゅっとしがみついて揺さぶること5分。ようやく2人が正気に戻った。良かった……。
「ふふ、本当にもう……。私の見てきた、憎み合う皆様は過去の偶像なのですね」
ワチャワチャする私たちに小さく笑い、ハイネがパチンと指を鳴らす。柔らかな風に包まれたかと思いきや、気がつくと女神の森から島の港に移動していた。服装も島に来た日と同じ姿にかわっている。
「では皆様、学院までの帰路に船をご用意いたしましたので到着まではしばしこちらでお待ち下さい」
「えっ?ハイネは来ないの??」
「私は、姉様達と今後について少々策を練ってから戻ろうかと思います。お側を離れる事をお許しください」
『それに』と言葉を切ったハイネが、切れ長の瞳を細めにんまりとした笑みを浮かべる。
「あのキャロルと言う娘が姫様にした内容は私も報告を受けておりますので。せっかくですからきっっっっちり、お返しをさせて頂こうかと思いまして」
ひーっ、怖い怖い怖い怖い!目が全く笑ってないです!!
「ほ、ほどほどにしてあげてね……?」
しかし、びびりな私は激怒なハイネに逆らえるわけもなく、せめてそう釘を刺すのが精一杯なのでした。
まぁハイネが私の意思を無視してキャロルちゃんに必要以上の罰を与えたりはしないだろうし、色々ありすぎて疲れたし……帰り道の船でくらいはゆっくりさせて貰おうかな。
そう港に向かう為歩きだした私の少し後ろで、ふと足を止めたライトが見送りのハイネ達に振り返る。
「そういや、さっき言いかけてた話はいいのか?あの娘の乱入で途中になってたろ」
ピクッと、お腹の前に添えられていたハイネの手が動いた。その唇が一瞬動きかけて、でも思い直したように引き結ばれる。
「……いいえ、皆様本日は酷くお疲れでしょうから、またの機会に致しましょう」
あからさまになにかを誤魔化しているその様子に、ライトが怪訝な眼差しを向ける。でもハイネも負けていない。決して目を逸らさず、穏やかな笑みを称えている。
先に折れたのは、ライトの方だった。
「まぁハイネがそう言うなら信じるか。じゃあ、キャロル嬢の見張りは頼んだぞ」
「かしこまりました」
深々と頭を下げたハイネに見送られ一端踵を返したライトの目に、波打ち際で仲間達と笑っているフローラの姿が映る。考えるより先に、振り返っていた。
「ハイネの経験してきた“過去”がどれほど凄惨だったかは想像に耐えないが、“今”の俺達はあいつを失うつもりはない。笑顔も曇らせない、絶対死なせねえよ」
『だから安心しとけ』と笑う青年の顔が、ずっと昔に拒絶した恋人の顔と重なる。主人と執事も長く居すぎると似るのだろうか、なんて思った。
(本当に、優しい人)
これなら、今回こそは、大丈夫かもしれない。
「ありがとうございます、ライト様」
きっとこの人こそ姫様の希望になるだろう。だからこそ、魔族は本格的に彼を消しにかかってくる。巫女の力を奪うには、愛する者を奪うのが一番効果的だからだ。
ハイネはライトの手にひとつの懐中時計を握らせた。白銀の地にオリーブの蔦の装飾が入った、美しい時計を。
「……?これは?」
「万が一、今回も姫様が身罷られた場合の保険として作っていたものです。致命傷を受けた場合、持ち主の身体の時を一度だけ巻き戻してくれます。ですがもう、姫様にこれは必要ないでしょう。なのでどうか、殿下がお持ちください」
「え?いや、俺よりフローラに持たせた方が……」
「ライト様が、持っていてください」
「……っ、わかった」
ハイネのその気迫に押され、ライトが上着の胸ポケットに男が持つには華やかすぎるその時計をしまう。
腑に落ちなそうに去っていくその背中に頭を下げながら、どうかあの時計が役立つ日が来ないことを。かつて愛したあの人が、敬愛する主人を裏切らずに済む事を祈らずにはいられなかった。
「あ、来た。ハイネとなに話してたの?」
「ん?あぁ、少しな。皆はどうした?」
ライトに聞かれて、私は苦笑いで波打ち際を指差した。白熱して水鉄砲合戦になってるエドとルビーに、それに怒ってクォーツが参戦。止めようとしたレインが巻き込まれ、フライは辺りに被害が出ないよう風で水を上手くコントロールしている。
「あいつら、いくら片がついたからってはしゃぎすぎだろ……」
「まぁいいじゃない。学院に帰ったらまたすぐ授業始まっちゃうんだし。そしたら……」
そうだ、そうしたらまた、ゲームのシナリオが動き出す。かつて自分を追い詰め破滅させた流れを感じて、私の中に眠っていると言うフローラ王女が覚醒したら。私はその時、何を感じるんだろう。
もし、私が私で無くなってしまうようなことになったら……。言い様のない不安に、表情が陰る。
そんな私の顔をライトが少し覗き込んだ。
「なぁ、何て言うんだ?元の方の名前」
「えっ?」
「名前だよ。あったんだろ?元の世界でも」
「あ、えと、花音、です……」
「はは、何でここで敬語だよ」
でも、そうかと。ライトが真っ直ぐに私の目を見て笑った。
「いい名前だな。何て言うか、お前っぽいわ。なぁ、花音」
甘く、低く。優しい声で、久しぶりに呼ばれたその名前に、心が揺れる。
「お前が迷おうがどこまでだって探しにいくし、何度だって呼び戻してやる。だから大丈夫だ」
「……っ、うん……!でもライトに呼ばれるなら、たくさん思い出のある”今“の名前がいいかな」
「はは、それもそうか。じゃあ、改めてよろしくな。フローラ」
夕暮れの浜辺で、寄り添ったまま笑い合う。これから何が起きようと、ライトが名前を呼んでくれればきっと、大丈夫な気がした。
~Ep.354 私の名前は~
『“フローラ”。この響きが愛おしいのは、重ねてきた思い出の証』




