Ep.343 家捜し
さっきまでちょっと曇っている程度だった空はあっという間に暗雲に覆われて、辺りは一寸先も霞んで見えないくらいの豪雨に包まれた。
手早く私の頭に自分の上着をかけてくれたライトの『水嵩が増して戻れなくなる前に畔に戻ろう!』と言う掛け声で、三人揃って桟橋を駆け抜ける。
どうにか無事陸まで戻って振り向けば、空になった祠が雨で水嵩を増した泉の底へと沈んでいく所だった。まるで、役目は終えたとでも言わんばかりに。
「水位の増し方が尋常じゃない……!急いでここから離れよう」
「まぁ、そもそも雨の降り方が異常だしね……。でも、離れるって言ったって何処へ?」
フライの言葉に、ライトと私はぐるりと辺りを見回す。洪水や高波を避けたいなら、避難に最適なのは高い場所。でも、この辺りはひたすら平地だ。どうしようもない。
でも、悩んでいる間にも雨は酷くなる一方だし、悩んでいる暇もそんなに無いみたいだ。
「どうしよう、せめて建物でもあれば……っ!」
少しでも雨を凌ごうと木陰に飛び込んで、そのままピタリと足を止めた。目の前を、この豪雨の中で全く濡れずに飛んでいる蝶々を見つけてビックリしたから。
「おいフローラ、急にどうした!?」
なんとなく淀んだ色をした雨粒のせいで暗い森の中、手を伸ばせば届きそうな距離にふわふわと浮かんでいる蝶々は、紫でも、オレンジでも、黄色でもない。グレーがかった、水色の蝶々だった。その、親しい人の髪によく似た羽根色のせいかな。私が気がついたことに反応したみたいに飛び去ろうとした蝶々を反射的に追いかけちゃったのは。
ライトとフライも驚きつつ、走ってついてきてくれた。
まるで小さな太陽みたいに丸く輝く水色の蝶々。その姿を完全に見失った時、私達は小さなログハウスの前にたどり着いていた。
「嘘でしょ、神域中の神域から走って来られる近さのこんな場所に民家って……」
「何だか間が良すぎて逆に不気味だが、悩んでいられる天気じゃなさそうだな……。それに、」
「神域として閉ざされていた森の中にあるお家なら、何かこの島の伝承に関わるもっと詳しい資料があるかも知れないよね」
私の言葉に、真剣な顔になった二人も頷いた。代表して、私が繊細な彫刻が施された木製の扉を三回叩く。……中からの反応は無い。
ドアノブに手をかけたままの私がどうするべきか……と躊躇った瞬間、背後で耳をつんざくような雷鳴が轟いた。
あまりの轟音と一瞬曇天を引き裂いたその閃光に驚いて身体が無意識にビクッと動いて、その弾みで握りしめていたドアノブがガコンと下がる。
まるで羽化したばかりの蝶々の羽ばたきのように軽く、なんの抵抗も無しに私たちはログハウスの扉を開けていた。
「……誰も、居ないみたいだな」
いち早く倒れかけた私を抱き止めてくれたライトが呟いた通り、シンプルだけど所々にお花のモチーフが付いた女性らしい家具が揃うログハウスの中は、完全にもぬけの殻だった。
「お留守みたいだね……、どうしよう?……っ、くしゅんっ!!」
「ーっ!……とにかく、ずぶ濡れのままじゃ風邪引くな。家主が戻ってきたら謝るとして、申し訳ないが水気を拭けるものを拝借しよう。しっかし、魔力が使えないのはやっぱ不便だな……。いつもなら俺ずぶ濡れになった衣服乾かすのなんか朝飯前なんだけど」
「そう言った所で、使えない物は使えないのだから仕方がないでしょう。いいやらさっさとタオルか何か探そう」
「そうだな。タオル探しついでに少し本棚でも見させて貰うか……」
建物に着くまでは私が船頭を切ったけど、中に入るなり必要な物を的確に探し出す二人。頼もしいなぁ……なんて感心している場合じゃない。私も何か探さないと。
絵本にでも出てきそうな可愛らしい一階建てのログハウス。そのリビングから廊下に出ると、色鮮やかな四枚の扉を見つけた。廊下の左右に分かれて、すみれ色と金木犀色、反対側にタンポポ色と月見草色の扉が並んでいる。
一番近くにある月見草色の扉の部屋には鍵がかかっていたので、その隣のタンポポ色の扉の部屋に入ってみた。
「失礼しまーす……。なんか、ちょっと子供部屋みたい……だけど、多分女性の部屋だよね」
後ろめたさを感じつつも中に入ると、カーペットからベッドからタンス、しまいには本棚まで色鮮やかだけど、でも全体的に色味が淡いからかそんなにキツイ印象は受けない室内が目に飛び込んできた。
資料があるならやっぱり書面だろうと、ちょっと乱れた感じの本棚へと手を伸ばす。指先で棚に並んだ本達の題を見ながら、めぼしいものを探していく私は表題を目安に適当な物を数冊パラパラめくったけれど、そこにある情報はライトやフライがすでに調べてきてくれたのと同じものばかりで新たな収穫はなかった。仕方ない、他のお部屋に行こうか……。
「きゃっ!なっ、何?」
取り出した本を片付けるついでにちょっと本棚を整頓して踵を返した時、いきなり背後でバサッと言う音を立てて一冊の本が落ちてきた。おかしいな、たった今きちんと片付けたばっかりなのに……。
「何これ、絵日記……?ーっ!」
落ちた弾みで開いたページに描かれている絵を見て、ハッとした。クレヨンのような物で見開きページいっぱいに描かれた海と、その水面から体を天へと伸ばしている白い竜。その巨体の色こそ違うけど、その絵が以前サンセットさんが見せてくれた“海の主”と同じ絵で、何より、その絵柄が私が島の人にもらった絵本とも同じだったから。
「おい、悲鳴が聞こえたが何かあったか!?」
「ーっ!」
これになら何か新しい情報があるかも!と意気込んだタイミングでタオルを小脇に抱えたライトがタンポポ色のドアを勢いよく開けて飛び込んで来たので、本を閉じてそちらに向き直る。
「ううん、なんでもないよ。いきなり本が崩れてきたからビックリしちゃって」
そう答えて笑う私を見て、ライトはあからさまにホッとしたような顔をした。
「そうか、なら良かった。濡れたままじゃ身体冷えちまうだろ?タオルあったから、少しでも水気を拭いた方がいい。一旦リビングに戻ろう」
ライトにそう言われてリビングに戻ると、フライがソファーに腰かけてさっき手にいれた三日月型の弓を指先で弄りながら小さな冊子をパラパラ捲っていた。音符柄の表紙が可愛らしいデザインだから、これもどこかの部屋で見つけてきたんだと思う。
気分はファンタジー系RPGで村とかの民家を家捜しする勇者だ、このお家の人、本当にごめんなさい。この本達はあとでちゃんと棚に戻しますし、タオルも洗って返しますから……!
「お前、その楽譜どうしたんだ?島の伝承には関係ないだろ。ほら、とにかく髪拭けよ」
「あぁ、ありがとう。紫の扉の部屋に入ったら楽譜の方が弓と共鳴したんだよ。だから、何か関わりがあるのかもしれないと思ってね」
ライトがフライにもタオルを一枚放り投げるのを見つつ、私もダイニングテーブルにある4つの椅子のひとつに腰かけた。この椅子の色も廊下の扉と同じ、四色。このお家にはきっと、四人の人が暮らしているのかもしれない。
あぁそうだ、私も髪拭く間にさっきの絵日記に目を通しちゃおうかなと思ったけれど、片手でページをめくりながらだと上手く拭けない。
もたつきながらタオルを頭に当てている私の左手に、ふと別の誰かの手が重なった。
「何やってんだよ、拭いてやるから貸してみな」
「えっ!?い、いいよ悪いし!自分で拭くからっ
……」
「いいから。それ読みたいんだろ?」
優しく諭すように囁いたライトが、優しい手つきで私の髪をとかしながら水気を拭いてくれる。時折、何がしたいのかわからないけどライトは私の髪を自分の指に絡ませて遊んでいるようだった。首だけ動かして背後に立っているライトを見上げると、優しい微笑みが返ってきて何故か目を逸らしてしまう。
(な、なんか、この島に来てからいつもよりライトが私に甘いような……っ)
その温かいようなくすぐったいような嬉しさと、油断するとまるでライトもほんの少しくらい私のこと女の子として意識してくれてるんじゃないかなんて沸いてきてしまう期待を誤魔化すように、絵日記の解読に意識を集中させる。
文字が古語なのと、ページがあちこち汚れているせいで読める部分は少なかったけれど、かろうじて最初の6ページ位が読み解けた。
でも、一日目・プリン、二日目・ホットケーキ、三日目・バニラアイス……って、これ、まさか……
「よし、大体拭けたかな。ってなんだこりゃ、竜の育成日記か?」
「この書き方だとそうとしか見えないよねー……って、ライトなんでびしょ濡れのままなの!?タオルは?」
「あぁ、それさ、何か拭くものを探してたらちょうど一番最初に入った部屋の机に、誰かが用意してくれたみたいに畳んで置かれてたんだ。ただ、二枚しかなかったから、使うならお前とフライだろうなと思って。大丈夫大丈夫、ほっときゃ乾くって。頭から水被るのは慣れてるしな」
「その慣れは私のお陰ね!ーって冗談言い合ってる場合じゃなくて!早く言ってよ……!このままじゃライトが具合悪くしちゃうわ!」
笑って答えたライトの手から大慌てで私を拭くのに使ったタオルを引ったくるけど、他人が使ったタオルなんてそもそも気分良くないだろうし、何よりすでにタオル自体びしょびしょだ……!
どうしようとフライに視線を向けたけど、フライもすでにタオルはしっかり使ってしまったあとで。私の方のと同じくしっかり水気を吸ったそれを片手に、ため息を溢した。
「……はぁ、あのさ、どうして先に二枚しか無いって言わなかったのさ。使っちゃったあとじゃ遅いでしょう?女性であるフローラを優先したのはいいけど、どうしてさも当たり前のように僕にも一枚そのままで渡したんだ」
「だって、お前髪長いんだからきちんと拭かないと風邪ひくだろ?」
そう叱るフライに対して、ライトは苦笑しつつ答えた。
毒気が抜かれたように苦笑して『せめて少しは拭きなよね』と一旦濯いで絞ったタオルをライトに差し出すフライを見て、ふと思う。今日のフライからは、中等科に進級した頃からずっと感じてたライトへの刺々しさがない。昔みたいな、穏やかで自然な二人の姿を久しぶりに見れたような気がした。
私の視線に気づいたフライがふとこちらに来て、私の顎を持ち上げる。
「何?僕のことが気になる?」
「えっ!!!?」
「ーっ!おい、どさくさに紛れて何してんだ、離れろよ!」
すぐにライトが割り込んできて、私の顎に添えられていたフライの手首を掴んで引き剥がした。
びっ、ビックリしたぁ!今でも中性的だけどずっと男性らしいカッコよさにも磨きがかかったフライのいきなりのスキンシップと、割り込んできたライトの様子がまるでヤキモチみたいだった(実際にはただの保護者センサーだろうけど)ことへの驚きで、心臓がドクドクと暴れてうるさい。顔、赤くなっちゃってないかな……と思ったら、私が顔を向けた方にこれまた丁度良く鏡が置かれ……って。
「……っ!?聖霊の巫女の水鏡!?嘘、私確かこれミストラルのお城においてきた筈なのに!」
「ーっ!?今度はどうした!?」
「なんだ、いつもの通信用鏡じゃないか……っ!?」
「ーっ!何か写ってきた……?私、今日はまだ魔力もなにも込めてないのに!」
「……っ、静かに。何か聞こえる」
パニクる私の腰に腕を回して抱き寄せてきたライトがそう呟くと同時に。鏡の向こうに写し出された大海原から、その鱗を淀んだ灰色に染めた海の主が雷鳴轟く天に向かってその巨体を現す姿を、私達三人はこの目で見た。
風もないのにパラパラ捲られ開いた絵日記に、“暴れた竜を鎮めたければ、虹の貝持つ花嫁寄越せ”の文字が踊っていた。
~Ep.343 家捜し~
『神々に捧ぐ聖なる花嫁。そのまたの名を生け贄と言う』




