Ep.338 王子様のその手は《後編》
「痛たたた……っ、相変わらず馬鹿力だな……」
「フライ、どうして……!」
ライトの拳を受け止めた掌が激痛に悲鳴を上げているが、構わない。自らの掌に当たったままの拳を握るように押さえ込んで、フライが口を開いた。
「どうしてじゃないよ、君は誰かを殴ったその手で彼女を助けに行くつもり?汚れた手で、いつものように彼女を抱き締められる気で居るのか!」
「ーー……っ!」
決して大きくはない。けれど、鋭い声だった。ハッとした表情になったライトの手から力が抜けるのを感じて、フライも彼の手を離す。
咄嗟にライトの前に割り込んだフライの後ろでへたり込んだキャロルを一瞥して、もう一度ライトに向き直る。
「こんな屑の為に自分を見失うな。その手で彼女を護る覚悟があるなら、こんな事で我を忘れて手を汚すんじゃない!」
「……っ、ごめん」
『その手は、あの子を守るための手だろう』。そう言おうとしたが、それだけは言いたくなくて、少しだけ言い方を変えた。が、気持ちは伝わっただろう。
赤くなってしまったフライの掌に視線を向け、ライトが申し訳なさそうに瞳を眇める。
「……本当に、ごめん」
「謝罪も礼も要らないよ。ただ借りを返したに過ぎないから」
「借り?」
『なんの話だ』と首をかしぐ辺り覚えていないのだろうと力が抜けるが、まぁ、これも彼らしさだと思う。
「ーー……僕が魔物化したエミリーを殺そうとしたとき、腕を切り裂かれてまで攻撃を防いで僕を踏みとどまらせてくれたのは君だろう」
「ーっ!あぁ、そうだったな」
あの時のライトの方が、今の自分より余程重症だった。当然だ、本気の殺意を込めたフライの魔力の刃をその身で受け止めたのだから。あの時彼に与えてしまった痛みを考えれば、こんな拳ひとつに与えられた打撃、何て事はない。
「フローラが居るのは、島の裏側にあると言う例の林で間違い無いんだな。フライは何度か足を運んでたんだろう、道はわかるか?」
言葉は出さずに頷いて、フライが玄関の扉を開け放つ。目的の武器があると言う祠にはたどり着けなかったが、大体の地形はマッピング済みだ。地図はライトに渡してやった。
一度瞳を閉じてから、真っ直ぐに顔を上げたライトが『行こう』と呟く。“何処へ”と言わずとも全員がサッと立ち上がった。
そして駆け出そうとしたライトだが、扉を潜る前に立ち止まり、呆然と座り込んだままのキャロルに頭を下げる。
「どんな理由があれ、女性である君に手を挙げようとして本当にすまなかった。けど、これはフローラに返してもらうぞ」
「あっ!それキャロルのよ、返して!」
「ーっ!おっと、そこまでだよ!」
「きゃっ!この地味男っ、離してよ、変態!!!」
頭をしっかり下げた後、胸倉を掴んだ際に外れて下に落ちたサクラ貝のネックレスを拾い上げたライトに向かいキャロルが飛び付こうとする。しかし、ライトへと伸びたキャロルのその両手をクォーツが捻り上げ、容赦ない動きで床に押さえつけた。口元だけは笑っているものの、いつもは穏やかなその物の琥珀の眼差しは冷ややかだ。彼も相当憤っているのだろう。第一、キャロルに向かい拳を振り上げたライトを誰一人として制止しなかった時点で仲間たちもライトに負けず怒り狂っていたことくらいはわかるだろうに、尚懲りない少女はわめき続ける。耳をつんざくような耳障りな声と、あまりに醜悪な言葉でフローラを罵りライトは自分の物なのだと叫ぶキャロルをクォーツが更に強く、拘束した。
「……いい加減にしなよ、こっちがどれだけ我慢して穏便に済ませてあげようとしてるのか……腕でもへし折られないとわからないのかな?」
今度はライトとフライがぎょっとする番だった。そういえば自分もライトも、クォーツがキレた所は見たことがない。つまり、対応策がわからない。全員がルビーに懇願の眼差しを向けたが、『ああなったらもう止まりませんわ』と一蹴された。これはヤバイ、確実にヤバイが、焦る面々を他所にキャロルの暴走は止まらない。
「ひっ……!や、ヤダ、ヤダヤダヤダヤダ!!キャロルはライト様が好きなんだもん!だからライト様は絶対キャロルを好きになってくれなきゃ駄目なの!ライト様のハートはキャロルだけのものなの!」
「渡せるわけないだろ、とっくにあいつに奪われてんだから……」
フライのお陰でどうにか怒りは収まったライトがうんざりしながら本音を溢す。フライは意地悪く口角を上げ、ヒラヒラと例の手紙をライトの前で揺らしてやった。
「10年前には一目惚れしてた訳だしね、無自覚だったけど」
「~っ、喧しい。クォーツ、手離してそいつは従者達に任せよう。時間が無い」
赤くなった頬を誤魔化すように『先行くぞ!』と走り出したライトをカメラと資料を抱えたエドガーが追い、クォーツに『先に行って!』と言われたレインとルビーも後に続く。
だが、いつもなら真っ先にフローラを助けに走り出すであろうフライはまだ、この場に残っていた。ライトの金色に煌めく髪が窓から見えなくなったことを確かめてから、キャロルに向き直る。
「要するに君は、自分の事を愛してくれない王子様は要らないんだね?」
「そうよ!でも今のライト様は、あのフローラって悪女に操られているだけなのよ!あの子ったら、女なのに王子様だけに許された金髪を持ってるなんて許せない!キャロルの愛とこっちの虹色の貝殻の魔法のキスで、ライト様の心を取り戻し……っ!!!なにするのよ!」
不自然に言葉を切ったキャロルが、クォーツに拘束されたままフライを睨み付ける。フライが、彼女の頬を一発。平手で叩いたからだ。
穢らわしいものに触れたと言わんばかりにしかめた顔のままハンカチで手を拭くフライに、クォーツは苦笑する。
「……ライトが手を下すのは止めたくせに」
「仕方ないだろ、誰より綺麗な彼女を護る為の手なんだ。……綺麗なままで、居て欲しいじゃないか」
どこか寂しそうに揺れる眼差しで、フライが空を見上げる。淀んだ空を、鮮やかな紫色の蝶が一匹横切るのが見えた。
絶対零度の眼差しで、フライがキャロルに向き直る。
「相手が自分を好きじゃないだけで消えてしまうような想いなら、君のライトへの感情は恋でも愛でも無いよ」
「そんなことないもん!あなたに何がわかるのよ!!」
甲高いその叫びに、爪が掌に食い込むのも構わず両手を強く握りしめる。
「わかるさ。本当に奪われた心は、どんなにもがいても自分じゃ取り戻せない。それでも、僕は……」
心臓が押し潰されるような切なさに、言葉が詰まった。何年間も、他の男を愛する彼女の笑顔を見つめ続けて。尚消えてくれない激情を、誰がわかると言うだろう。いや、わかってくれなくていい。ただこのひたすら自分の感情のみを一方通行で相手に押し付ける馬鹿を見て、己の過ちにようやく、気づけた。
自分もここまで酷くはないにせよ、フローラにずっと、自分の感情を無理矢理押し付けてしまっていたのだ。まぁ、大半は空振りだったとしても。
しかし、どんなに近くに居ても、彼女が自分には友情と親愛以上の笑顔は見せてくれないとしても。『好きじゃない』と思えたことはただの一度も無かった。だから、ハッキリと言ってやる。
「僕は彼女が誰を好きでも、彼女が好きだよ」
「な、何よ、そんなの苦しいじゃない!」
「構わない。勝手に好きになったのは、僕だから」
先ほどまでの凍てつくような冷たさから一転した意思の強いフライの眼差しにキャロルがたじろいだ隙に、クォーツがネクタイで彼女の手を拘束して屋敷の護衛に引き渡す。
クォーツがなにか言いたそうに自分を見てきたが、首を横に振って見せれば言葉を呑み込んでくれる。気が利く友人だ。
時計を見れば、ライト達を行かせてから20分は経っている。もう彼等は森についているかもしれない。
「さ、行こう。大分時間をロスして……」
急ぎ足で扉を潜った、その時だ。また目の前を紫色の蝶が横切った。かと思えば、目も開けられない強風に体が包まれて。
ただその場に立っていただけなのに、風が止んで瞳を開ける前に、わかった。自分は“拐われた”のだと。
やがて、風はやんだ。ゆっくりと開いた視界に飛び込んできたのは、萌え盛る緑の森。そして、白銀で造られた、世にも美しい白き弓矢を奉る祠だった。
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先に行かせた皆を追おうと屋敷から飛びだした、その時だ。フライの姿が消えた、神隠しのように、忽然と。
そして同時に感じたのは、この島では感知出来ない筈の強い、魔力。大地に両手をつき、魔力の波を探ってみる。
「地面に異常はない、転移魔方陣に飛ばされた……訳じゃなさそうだな」
なら、どうしてと思いつつ起き上がろうとして、止めた。大地の奥深く、冷たい海底でドクンと巨大な力が波打ったのを感じたからだ。まるで、目覚めてはならない何かが覚醒してしまったように。
誰に指示を受けたわけでも無いのに、クォーツの視線が海へと向かう。
琥珀の眼差しのその先で、天を裂く勢いで一本の水柱が現れた。
~Ep.338 王子様のその手は《後編》~
『掴みたい者を、己で選ぶ。故に汚れてはならないのだ』




