Ep.334 初の口付けの思い出は
さざ波の音だけが響く浜辺を好きな人に手を引かれて歩く、なんてこれはなんのご褒美なのだろうか。一歩下がった位置から月明かりに照らされる横顔を見詰めていると、視線に気づいたのかライトがふとこちらを振り向いた。その瞬間、鋭いや力強いと言った表現が似合う筈のその双眸が、溶けてしまいそうな程に柔らかく細められる。一気に体温があがって、咄嗟に俯いてしまった。
(たったの二週間ぶりなのに、刺激が強い……!)
「どうした?疲れたか?」
「ううん、全然!寧ろ元気いっぱいだよ!今なら海の主さんとか森の女神様とか出てきても大丈夫そう!!」
労るように顔を覗き込まれてパニックになり、照れ隠しに出てきた言葉はそれだった。ピコハンを構えて夜の浜辺で振り回す私に、どこから出したんだよと笑うライト。その顔色が、少し悪いことに気づいた。
「ライトこそ、疲れてるんじゃない?サンセットさんから聞いたけど、夜も付きまとわれてちゃんと寝れてないんでしょう?」
「……っ!」
正面に立ってその頬に片手を当てると、普段は熱いくらいのライトの体温が今日は冷たく感じた。少しだけど肌も荒れてるように思う、寝不足なのかもしれない。
大分無茶をして会いに来てくれたんじゃないかと焦る私だけど、ライトはむしろ強気に笑った。
「何だ、お前俺がこの程度でへこたれるような柔な男だと思ってるのか?無理なんかしてねーよ」
「……でも、疲れた顔してるわ」
ライトがハッとしたように目を見開いて、それからもう一度瞳を細める。昔よりずっと大きくなった掌が、優しく私の頭を撫でた。
「見せないようにしてたつもりだったんだが、敵わないな。……でも誤解するなよ?疲れてるからこそ、直接会いに来たんだ。どうしても、声が聞きたくて」
「ーっ!わ、私もすごく寂しかったよ。だからライトがテラスに現れた時は、寂しすぎて私の願望から出来た幻かと思っちゃった」
って、自分で言ってて段々恥ずかしくなってきた……!
「……っ!これで煽ってる気がないんだから、本当に罪だよな」
「え?」
「何でもない。夢なんかじゃないぞ、今お前の前に居るのは、俺だけだ」
グイッと抱き寄せられて囁かれたひと言で、心臓が大きく跳ね上がる。久しぶりだからなのか、それとも、このロマンチックなシチュエーションのせいだろうか。自分が浮かれて自惚れてるだけって頭ではわかってるのに、ライトの声に、仕草に、眼差しに、いつもとは違う“熱”が籠められている気がして心臓がうるさいくらいに暴れてしまう。でも、甘く胸を締め付ける痛みさえ心地良くて、『もう少しだけ散歩しよう』と差し出されたその手に、自分の手をそっと重ねた。
「そう言えばフローラ、サンセット嬢とはいつの間に知り合ったんだ?」
「あぁ、今朝この浜辺で初めてお会いして、色々教えてもらったんだ。エドが彼女からの手紙を届けてくれて……あ!」
「ーっ!?どうした?」
久しぶりにライトに会えて浮かれて忘れてた!こんな呑気にしてる場合じゃない、神具をどうにかしなくちゃ!!
「さ、サンセットさんから聞いたの!キャロルちゃんに周りが妄信的なのはあの子が海の神具を持ち出してそれで周りを魅了してるからで、えっと、えっと……たくさん情報がありすぎて上手く説明出来ないけど、早く神具を洞窟に戻さないと大変なの!!」
って、こんな雑な説明じゃ伝わらないよ私!!と内心で一人突っ込みをしてたら、小さく笑ったライトが急に自らの懐に手を入れた。そこから取り出され、月明かりを受けて虹色に光ったそれを見て、唖然としてしまう。
「お前の言ってる“神具”ってのは、これのことか?」
「そう!それ!!え?でも、なんでライトが持ってるの!?サンセットさんから神具のこと聞いてたの?」
「いいや?キャロル嬢の監視が厳しすぎて、サンセット嬢と話せた数回で得られた情報はこの島の土地の権限についてと、あの父親の借金についてだけだった。他は……、まぁ、当たり障りない話しかしなかったな。これに怪しい術がかかってるとは初めから思ってたよ。あの商人に何度交渉して話がまとまりかけても、あのキャロル嬢がこれを身につけて父親の頬に口づける度意見が振り出しに戻るんだから参ったぜ」
そんな些細な父娘のスキンシップからそこまで自力で見抜いたなんて、流石としか言いようがない。
その“当たり障りない会話”に、私がたくさん出てきたってサンセットさんは言ってたけど、振り向かないまま再びゆっくりと歩きだしたライトの態度は平常運転だ。やっぱ、あれはただの励ましだったのかな……。ちょっと残念だけど、そこにはあえて触れないでおく。
「じゃあ、どうやってそれを?」
「本島のフリード達に連絡して偽物を作らせて、今朝キスされそうになったときにすり替えた」
「あっ……!」
その言葉に、今朝浜辺で見た重なりあうライトとキャロルちゃんのシルエットが脳裏を過ってサーッと血の気が引く。
「ほ、本当にキスしたの……?」
「え……っ、はぁ!?馬鹿、したわけないだろ、寸での所で引き離したさ!俺口づけなんかしたこと無いし、第一初じゃなくたって、惚れてもいない相手となんて御免だね」
「そ、そう……」
良かった……と安堵しかけて、いや、良くないと思い直す。ライトは知らないけど、彼のファーストキスはもう私が奪ったじゃないですか!!中等科でエミリーちゃんが魔物化しちゃったあの夜に!!!
どっ、どうしよう。ライトあの時戦闘でダメージ過多だったし、結局気づいてなかったんだ……!
『惚れてもいない相手となんて御免』という最もな言葉が、先程までの甘い痛みとは比になら無い程に鋭く心臓を突き刺した。あ、謝らなきゃ……!
「ら、ライト!あのね……っ」
「ん?どうした、顔色が悪いな……。冷えちゃったか?」
「ち、違うの。あのねっ……」
「無理すんな、もう少し一緒に居たいなんて俺のわがままで寝巻きのまま連れ出したりして悪かったな。もう戻ろうか」
単に『勝手にファーストキスを奪われてた事実を知ってライトが傷ついたらどうしよう』って青ざめてただけなんだけど、それを体調不良だと誤解したライトに再び抱き上げられてしまう。いつもはこの過保護なくらいの優しささえ嬉しいけど、今は間が悪い……!
しかし、抱き抱えられたまま走り出されては、会話はちょっと無理そうだった。仕方ないのでちょっと大人しくしていると、あっという間にお屋敷の私の部屋まで送り届けられてしまう。
行きとは逆にゆっくりと爪先からテラスに下ろされると、名残惜しさが込み上げる。ライトはまた、キャロルちゃんが居る商人さんのお屋敷に帰ってしまうのだから。
(いやいや、だから感傷に浸る前にまずはキスについての謝罪だってば私……!)
「アリアにはブランが上手く説明してくれたみたいだな、騒ぎになってなくて良かった」
「う、うん、そうだね。ライト、本当にありがとう。それでねっ……」
「神具も情報も、ついでにあの裏の森の工事は中止にさせる誓約書も手に入れたし、俺明日の夕方にはこっちの屋敷に戻るからさ。そうしたら、この神具は皆で洞窟まで戻しに行こう。何が起きるかわからないから、少人数でいかない方がいい」
「……!ライト、明日帰ってくるの!?」
「……っ!あ、あぁ」
それだけのことで、パァっと自分の表情が明るくなるのがわかってしまう。我ながらなんて単純なの、だから謝罪しなきゃなんだってば……!
「じ、じゃあ、また明日」
何故だかサッと顔を背けて口元を片手で覆ったライトのシャツの胸元を、両手でぎゅっと握った。今を逃したら多分これ一生謝れないやつ!覚悟を決めなさい、私!
「なっ、なんなんだ、さっきから」
「あ、あの、ね、さっき言ってたき、キスのことなんだけど……っ」
気合いを入れていざ言おうとしたのに、月明かりでもハッキリ形がいいとわかるライトの唇を見た瞬間尻込みしてしまった。
プシュウ……と音をたてるように勢いを失くした私を怪訝な目で見ていたライトが、ふと思い出したように深紅の双眸を歪める。
「あぁ、そう言えばずっと聞きたかったんだけど……中等科の学祭の夜、……したのか?キス」
「えっ……!えぇぇぇっ!?」
「……っ、馬鹿っ、声が大きい!」
叱られて咄嗟に自分の両手で口を塞いだけど、戸惑いは収まらない。え、気づいてたの?じゃあ、さっきまでの言動はなに……?ライト、自分はキスしたことないってキッパリ言ったよね!?
でも、嘘もつきたくないので、素直に頷く。
「し、知ってたの……?」
「ーー……っ!否定、しないんだな?」
「う、うん……。ライト、怒ってる……?」
私が肯定を示した瞬間、ライトの瞳が陰った。声音も急に冷たくなった気がして震えてしまう。俯いたまま、『ごめんなさい』と小さく呟いた瞬間だった。痛いくらいに強く、ライトに抱き締められたのは。
「らっ、らっ、ライト!?あの……っ」
「深夜に男と二人きりで居てそう言う話題出すなんて、誘ってると取られても文句は言えないんだぞ。……増して、他の男とキスした話なんか……っ!」
「え、ちょっと、待っ……っ!?」
今にも消え入りそうな『聞きたくない』と言う台詞と“他の男”の言葉で、さっきのやり取りに何か行き違いがあったのだと悟る。私はライトの話をしてたのに……!とにかく誤解を解かねばと顔を上げるより先にあごに手を添えられ、無理やり上を向かされた。
燃え盛る業火のように揺れる眼差しと、間近で視線が重なる。ぐっとそのまま顔が近くなって、思わず目を閉じた。小さくだけど、ライトが喉を鳴らす気配がして、そのまま更に強く抱き締められる。
「……っ!何で目閉じるんだよ、本気でしたくなるだろ……!」
「……っ?」
しかし、ライトの唇は私の首筋に落ちて、鈍い痛みを与えて離れていった。
「……悪い、今はちょっと冷静で居られそうにない。帰るよ、……お休み、良い夢を」
「あっ……!」
引き留める間もなくひらりと身を翻して、ライトは行ってしまった。
それを見送ってから、へなへなとテラスに崩れ落ちる。破裂しそうなくらいに元気な自分の鼓動を感じながら、指先でそっと自分の唇をなぞる。
「唇に……、してほしかったな……」
浅はかにも、謝罪しようとしてた筈なのに彼からのキスを望んでしまった馬鹿な私のワガママが、彼に気づかれなくて良かったと心底思った。
僅かに開いた扉の隙間から、誰かが私達の姿を見ていたとは、気づかないまま。
~Ep.334 初の口付けの思い出は~
『激しすぎる嫉妬の炎で、青年達の身を焦がす』
ちなみにライトの『キスしたのか』は、フライにフローラがキスされたとフリードから聞いてたので『フライとキスしたのか』の意味でした。念のため補足しときます^^;




