Ep.329 小さなワガママ
表にも裏にも、差出人の名前が無い封筒。それを見て首を傾げる私に、エドは『あとで一人で読んで』と言われたと言伝してきた。
「差出人は、ひょっとして……あ、キャロルちゃんのお姉さん?」
「正解。あの商人のもう一人の娘。彼女、妹……あのキャロルって馬鹿女に一度婚約者盗られたらしくてさ、で、迷惑かけてるお詫びと警告の為に先輩に手紙をって」
「そう……、わかった。ありがと、エド。ご飯は食べた?」
「ううん、あの女が俺のこと嫌ってるから、屋敷全体俺には敵対モードだしね。でも作るの面倒だし、今日はこのまま寝……」
「だーめ!成長期にそんなことしたら身体に悪いでしょう?」
部屋についてる小さな冷蔵庫を開く。あるのは卵と苺のジャムとバターだけ。棚からバゲットを取り出しつつ、戸惑っているエドに声をかけた。
「フレンチトーストでいい?すぐ出来るから、本でも読んで待っててね」
「いや、でももう時間も遅いし、主君の婚約者の部屋で手料理ご馳走になるってのはちょっと……」
「その主君の婚約者がちゃんとご飯食べなさいって命じてるんだからいいの!さっ、座って座って!あ、そこに雑誌あるからお好きにどうぞ」
「~っ、はぁ、わかったよ……。先輩方に睨まれたら、ちゃんと責任取ってよね、フローラ先輩」
諦めた様子のエドがソファーに腰かけるのを確かめて、フライパンにバターをひとかけ。香ばしい香りでお腹がすいてくるけど、作るのは一人分。夜中の間食は女の子の敵なのだ!
「よし、出来た!」
「あぁ、ありがと、いただきます。時に先輩、こんな雑誌どこで買ったわけ?」
お皿を受け取りつつ、空いた手でエドが机に広がった雑誌をトントンと叩く。
「“彼をハートを奪い取る、小悪魔女子のススメ”って、こんな胡散臭い………」
「きっ、きゃーっ!なんでたくさんある中で一番下に入れといたこれを読んでるのよ!」
慌ててエドの手元から奪い返したそれは、一昨日商店街の本屋さんで“恋する乙女の味方”なる見出しに釣られて買ってしまった一冊だ。よりによってこの雑誌を見つけるって、何の嫌がらせよ。
真っ赤になり、雑誌を抱き締めてソファーの端で丸まる私を見ながら、エドがやれやれとため息をつく。
「恥ずかしがることないじゃん、どーせライト先輩があのメルヘン女に盗られちゃいそうで心配で買ったんでしょ?ここに居る間はあんたも姫じゃないんだし、恋する乙女として普通に頑張ればいいんじゃない」
「エド……!エドが優しい、珍しい!!」
「珍しいとはなんだ!ま、無駄な努力で終わるだろうけどね」
「なっ……!」
前言撤回!!なんてことを言うのだこのうり坊は!!!
「ごめんごめん、でも今さら心を奪い取るも何も……ね?」
「……何よ、含みのある言い方しちゃって」
私が怒ったのを察したのか、エドが苦笑しながら雑誌をこちらに返してくる。開かれたページは小悪魔特集の少し先、キャロルちゃんの写真がバーンと載った派手なページだった。ため息が溢れるのを誤魔化すように、わざと怒りながら雑誌を引ったくる。
「たっ、確かにどうせ読んでもろくに活用出来てないけど!そもそも小悪魔なんて頭がよくなきゃ駆け引き出来ないだろうし、かといって他の部分読んでもわかんないもん。このページみたいな『男受けバッチリ、愛され天然ゆるふわgirl』って何!!?」
「いや、あんたのことだよ!!!」
「へ?なに言ってるの、そのページに載ってるのはキャロルちゃんよ。私が載ってる訳ないじゃない」
「……っ!だからそう言うところがさぁ……!ーっ!!」
「あら、お腹の方はもう限界みたいね」
力なく両手をテーブルについたエドのお腹がきゅるぅ……と不思議な鳴き声をあげる。思わず笑っちゃったけど、昼からずっとライトの方に行ってくれてたんだもん。そりゃお腹空いたよね。
もう雑談は良いから食事を取るように勧めると、エドは素直にフレンチトーストを口に運ぶ。黙々と食べられてるせいで、なんとなく沈黙が気まずい。
「え、えっと……参考までに聞きたいんだけど、じゃあエドはどんな女の子が好きなの?」
「……っ!!」
ガシャンッと陶器が割れる音が深夜の静寂に響く。私が聞いた途端、エドが飲もうとしてたお茶のマグカップを落としたからだ。
「あんたわざとか!?わざとなのか……!?」
「わ、わざとって何が?あ、もしかしてお茶熱すぎた!?ごめんね!すぐ淹れ直すからっ……、ん?」
立ち上がろうとした私の手首を掴んで、エドが引き留める。きょとんとしている私を見て、毒気が抜かれたような顔でエドが笑った。
「わざとなわけないか……、もういいよ。好みのタイプねぇ……」
よくわからないけど、答えてくれる気になったらしい。エドは小さいときのライトに性格が似てるし趣味も合うみたいだから参考になるかもと、手に汗握って身を乗り出した。
そんな私を頬杖をついて見つめながら、エドが口を開く。
「そうだな、まず背は高めで」
「うん」
「髪は短くてストレートで」
「う、うん」
「スレンダーでクールな雰囲気で、お人好しじゃなくてしっかり者。気は強くてつり目で、ひとつしか歳の違わない男を仔犬扱いしたりしない……」
「ちょっと待った!エド、まさかと思うけどあなた、さっきからわざと私と真逆のイメージを選んでない?」
「そうだよ、今さら気づいたの?」
ニヤニヤと意地悪く笑うエドにカチンと来て、ベッドに乗せてあった枕を思いっきり投げつける。それを難なく受け止めて、エドが声をあげて笑った。
「あはははっ、ごめんって!冗談だよ冗談!」
「冗談って、私は真剣に聞いてるのに……!」
「いや、俺の好み聞いても意味ないでしょ。先輩が好きなのはライト先輩なんだから。第一、主君の婚約者の時点で論外だっての」
「そ、それもそうか……!」
そこを突かれると痛い。手で叩いたらさすがにエドが可哀想だと殴るのに使ってた柔らかいクッションを抱えて、ベッドに転がる。
拗ねる私の背中に、エドが軽い小箱を放り投げた。
「……?これは?また預かりもの?」
体を起こして、シーツの上に滑り落ちた小箱を回収する。軽いや、なんだろう?と箱を振る私に、エドが肩を落とした。
「あんたさ、色々忙しかったのはわかるけど自分の誕生日くらいちゃんと覚えときなよね」
その言葉にバッと壁にかけたカレンダーを確かめる。そうだ、確かに明日は私の誕生日だ、ライトのこととか森の工事の事とかで頭がいっぱいですっかり忘れてたけど。
ん?と、言うことはこれは……
「誕生日おめでとう、1日早いけど」
「わぁ、ありがとう!」
エドからプレゼント貰うの初めてだ!すっかりご機嫌でリボンをほどくと、中から出てきたのは可愛らしい砂時計だった。
「ふふ、可愛い。ありがとう!」
「どういたしまして。いずれ先輩がライト先輩に嫁げば俺はあんたのこと『王妃様』って呼ばなきゃなんないわけだし、ご機嫌取りは今からしておかないとね」
「……その一言でなんか色々台無しだわ」
「世の中素直なだけじゃやってけないんですよ、お姫様。 ま、本当に王妃様って呼べる日が来るかはあんた次第だけどねぇ……」
「うっ……!が、頑張るもん!いつか絶対呼ばせてみせるんだから!!でも、ずっとライトから連絡無いし、自信なくなっちゃうな……」
「先輩……。ま、大丈夫でしょ。明日はあんたの誕生日だし、そろそろライト先輩限界の筈だし」
「限界?ストレスが??」
聞き返すと、エドは嫌に大人びた表情で苦笑するだけで何も言わなかった。最早アイデンティティーになってるカメラから一枚だけ写真を現像して、ひらりと置いていく。
「ーっ!ライトだ!」
「さっき撮ってきた。それあげるから、めげずに頑張りなよ」
「……っ!うん、ありがとう!」
片手ひらひらと振って、エドは静かに去っていった。
写真に収まった、久しぶりに見るライトの顔をそっと胸に抱き締める。窓から射し込む月明かりに誘われて、そのままテラスに出た。
不意に、小さな星の欠片が空を走る。
「ライトがあんまり無理しすぎて体調崩しませんように!」
「いや、そこは普通“両想いになりたい”とか“会いに来てくれますように”じゃない?」
「いいの!……一方的な想いだけじゃ、ライトにきっと迷惑だもの」
だから、『私の誕生日だから会いたい』なんてワガママ、言えない。
代わりに、折れちゃわないようにケースにしまったライトの写真は持ったままベッドに入る。夢の中でくらい、会いたいって思ってもいいよね……?
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変な時間に食事を貰っちゃったのでランニングの為浜辺に出てきたのに、気が付いたら先輩の部屋の方を見上げていた。
図ったように現れた彼女の、月明かりに栄える金糸の髪がテラスから室内に消えるのを確かめて、カメラを持ったまま近くの木に凭れた。今撮ったばかりの一枚はもちろん、巻き戻っても巻き戻っても、カメラの中には彼女の笑顔ばかり。それは、俺の心の中も同じだ。
ポケットの中から砂時計を取り出す。先輩にあげたのと色違いのそれをひっくり返すと、砂は抗うことなくサラサラと動き出した。
買うときに、店のじいさんから聞いた話が頭を過る。
『贈り物と言うのには、必ずそれぞれ意味がある。砂時計には、“貴方と出会った日々をやり直したい”と言う意味があるのだよ』と、若いのに砂時計を選択した俺をあのじいさんはひどく不思議そうに見ていたけど気にもならなかった。
「……本当に時間が巻き戻せるなら、やり直したいよ。………先輩」
勝手な偏見と勘違いで、ずいぶんと酷い言葉を浴びせた。意地悪もしたし、怪我をさせてしまったこともある。彼女は笑って許してくれたけど、その過ちに、やり直しなんて効かないから。せめて俺は、大切な主君と、愛しい彼女の恋を応援しよう。
「だからさっさと拐いに来なよね、ライト先輩」
主君が自分を橋渡し役に選んだのは、フロー先輩の姿を写真でも良いから見たいから。それはわかってたけど、あえてここ一週間、俺は一切彼にフローラ先輩の写真を渡さなくなった。そうすればきっと、我慢出来なくなって彼の方から先輩に会いに行くだろうと思ったから。実際、既にそろそろ限界の筈だ。大人ぶりつつも『会いたくて堪らない』と言う感情を抑えきれてない、らしくないライト先輩の姿をあのキャロルって馬鹿女に見せてやりたい。一瞬で、勝ち目などないとわかるだろう。そして明日が彼女の誕生日。お膳立ては完璧だ、主君の恋まで後押しするなんて、俺はなんて優秀な騎士だろう。だから。
「写真の中でくらい、独り占めしてもいいよな……」
そんな言い訳めいた言葉で、許されない恋心をそっと、吐き出した。
~Ep.329 小さなワガママ~
『それは些細で切実な、恋する者の願い事』




