Ep.325 真夏の海のヤキモチ
澄み渡った大海原の上を、真っ白い一羽のカモメが飛んでいく。
空は快晴だし海は穏やかだけど、私の心は波浪警報発令中だ。
「ねぇライト様、ライト様は本島から来たのでしょう?どちらの国から来たの?クルーザーで島の周りをぐるっと回りながら色々とお話を聞かせて!」
「いや、船での案内は結構。それよりキャロル嬢、すまないが俺は貴方のお父様と話がしたいんだが外してもらえないか?」
「いやだライト様ったら、“お義父様”なんて気が早いわ!」
「はっはっは、いいじゃないか。ライト殿、貴方は昨日娘の命を救ってくださった。貴方から先日要求された魔物の出現とこの島の歴史についての情報はきちんと我が屋敷で保管しているから、今は安心してキャロルとの時間を楽しんで来るといい。目にいれても痛くない自慢の可愛い娘だが、貴方なら婿としても不足はないだろう」
(……っ!ら、ライトは私の婚約者だもん!って、あの子に言えたらなぁ……)
もう嫌だ。朝から私が移動しても移動してもわざと見せつけるようにキャロルちゃんがライトを引っ張ってついてくるから、私はずっとこの光景をモヤモヤしながら見ている。いっそ少し先に見える洞窟にでもいこうかと思ったけど、彼処も神聖な場所らしいので断念した。
ライトの(黒いオーラこそにじみ出てるけど)完璧な愛想笑いと、そんな彼にベタベタ抱きついてるキャロルちゃん。そんな二人を『お似合いだ』と咎めもせずニコニコ見守るキャロルちゃんのお父様。
昨日、フライが道案内してきたキャロルちゃんのお父様は、蓋を開けてみれば私たちが今回求めて来た情報を持っている唯一のお方で。
ついでにこの島で一番偉いらしいその人の娘に気に入られてしまっては、『明日はお礼と島のご案内をかねてクルージングや海水浴でも』と言うかなり強引なお誘いを断ることは出来なかったのだ。
(情報を手にいれるまでは、相手の機嫌を損なわない方がいい。情報源になる人の身内と仲良くなれるなら、なっておいて損はない。それはわかる。わかるけど……)
「折角の夏休みなのに、なー……」
どうしてこんな綺麗な海に来て、私は水着の上にしっかりパーカーを着こんで(って言っても白いレースで出来た半分透けた感じのだけど)、足しか水に浸せないまま好きな人がただ他の女の子に抱きつかれてるのを見てなきゃいけないのか。
せめて思いっきり泳いで気を紛らわしたかったけど、昨日ごろつきに切られた肩がまだ痛くてちょっと水泳は無理そうだ。そもそもその傷の包帯を隠す為にパーカー着てるんだし。折角ミストラルとはちょっと違う色で、かつ人魚さんでも出てきそうな綺麗な海なのに残念だなぁ。
「……傷の所ビニールテープとかでぐるぐる巻きにしたらいけないかな」
「いけるわけ無いでしょう?またそう言う無茶なこと言って、心配かけないでくれないかな。本当に君は、自分の価値がわかってないんだから……」
「フライ!調べものの為に図書館行くんじゃなかったの?」
「まだ開館してなかったんだ、昼からなんだって。それよりほら、ビーチで良いものがあったから買ってきたよ?」
「え?そ、それは!!」
「僕は甘いもの詳しくないからよくわからないけど、この島の名物らしいね。ミルクで甘くしたふわふわの氷に、チョコチップとナッツとチョコシロップをかけたかき氷だってさ」
『これでも食べて元気だして』と笑うフライが神様に見える。これは前世で食べたくて食べたくて、でもお値段的に手が出せなかったどっかの国式のかき氷!まさかこっちで食べられるなんて……!
感動で固まってたら、フライが怪訝そうに首をかしげた。
「食べないの?チョコ大好きでしょう?」
「ーっ!うん、大好き!わーい、いただきまーす!」
「……っ!本当、そうやって期待持たせるようなこと言って……いや、今のは僕も悪いか」
「ん?なあに?」
チョコが好きか聞かれたから答えただけなのに、フライは口元を片手で隠してそっぽを向いてしまう。甘い誘惑に抗えなくて、ひとくち目のかき氷を頬張りつつ首を傾げた。どうしたんだろう、耳が少し赤いけど……あ、熱中症!?
「フライ、かき氷私の分だけ?自分のは!?」
「ないよ、僕普段はそんなに甘いもの食べないし」
「じゃあ飲み物は?朝御飯の後から飲んでないんでしょう!だから顔が赤いんだよ!」
「……っ!変化に気づいてくれるようになっただけ進歩だけど、そう来たか……!」
落胆した様子のフライが、めまいを堪えるみたいに目頭を押さえた。ほら、やっぱ熱中症になりかけてるのよ!
私は自分の口にかき氷を運び続けていたスプーンを一旦止めて、多めに掬ってフライに差し出した。
「熱中症になったら不味いよ!かき氷なら体温下がるし、水分も多いから一緒に食べよ!」
「「なっ……!!?」」
驚愕したような声がなぜか二重に聞こえた。ひとつはスプーンと私の顔を交互に見て考え込むフライから。もうひとつの声の主は……
「なに考えてんだよ、あの馬鹿……!」
さっきまでキャロルちゃんの対応に手一杯でほとんどこっちを見てなかった筈のライトだ。呟きはよく聞こえなかったけど、なんとなく馬鹿にされたような気がする。じと目でライトの方を見ていると、こちらに向かって踏み出そうとしたライトをキャロルちゃんが引き留めた。
「……!もうライト様ったら!かき氷が食べたいならキャロルが買ってきますわ。そうだ!違う味のを買って食べさせあいっこしましょ!!あ、でも王子様だから甘すぎるスイーツは嫌いですか?嫌いですよね、キャロルの王子様は甘いものなんて食べずにチェスなんかたしなみながらブラックコーヒーや軽食を召し上がる方だもの!」
(……ライト、未だにブラックは飲めないのよキャロルちゃん。お砂糖は入れなくなったけど)
甲高い少女特有の声と言うのはよく響く。だからハッキリ耳に届いたその言葉に、内心で突っ込みつつもまた心臓がギュっと痛くなった。折角美味しいもの食べて回復してたのに……。とうつむいて、足元に垂れているミルクチョコ色の滴に気づいた。大変っ、フライに差し出したスプーンのかき氷溶けてる!!
「ご、ごめん!すぐに掬い直す……っ!?」
「……うん、たまには悪くないね」
慌ててスプーンを引っ込めようとした私の手首を掴んで、フライがそのまま自分の口へとかき氷を運ぶ。ビックリする私を他所に、フライは何故か私じゃなくライトとキャロルちゃんの方を見てから『ごちそうさま』と微笑んだ。なにかあるのかと振り向いたけど、そこには少し荒い歩調で去っていくライトと、慌てて追いかけてくキャロルちゃんの後ろ姿しかない。
「……ライト、行っちゃった。かき氷食べたかったのかな」
キャロルちゃんは多分ライトが甘党なのは知らないだろうし、あの口ぶりではお店に行っても満足に食べらんないだろうな……。
「……気になる?」
「ーっ!……うん、ちょっとね。駄目だね私、最近ライトに甘えっぱなしだったから、居ないと不安になっちゃうみたい。こんな気弱じゃ聖霊の巫女失格になっちゃうわ」
「……無理して笑わないで。僕に昔、そう言ったのは君でしょう?」
「ーっ!」
頬に当てられた優しい手の感触と声音に、作り笑いが消える。その途端、怪我をしていない方の左肩を掴まれ、引き寄せられた。
「本当、何でも頑張りすぎなんだよ。自分は人を救ってばかりの癖に君自身はあまり人に頼らないし?かと思えば初対面の女の子庇って一緒に誘拐されて、そんな大怪我して帰ってきて……見ていて心配で仕方ない」
「うっ……!」
ため息と一緒にクスクス笑いながらそう呟かれると、迷惑をかけてばかりの自分が情けなくなって凹む。そんな沈んだ気持ちを、続くフライの声が拾い上げた。
「だから僕も、君を救える力を手に入れたいと思う」
あまりに何気ない呈で言われた一言に驚いて顔をあげると、鮮やかな空にも負けない澄んだ双眸と視線が重なる。
「あ、あの、今でも十分助けてもらってるよ……?」
「わかってる。でも今のままじゃいつか、万が一魔族と戦いになったときに、君を護れるのはライトしか居ない。」
『僕はそんなのは嫌だ』と、真剣な声が耳に響く。そこで丁度昼を告げる鐘が辺りに響き渡って、フライの手が私の肩から離れていった。
「と、言うわけで、その為にも僕は調べものがあるから。じゃあね」
「あ、う、うん。またあとで……」
最後に、くれぐれも一人で勝手に行動しないようにと私に念を押したフライの後ろ姿を見送って、首をかしげる。
「『力を手に入れようと思う』って、修行でもするのかな……?でも本当、一人じゃつまんないし私も帰ろうかしら……」
呟いた途端、バシャッといきなり足元の水面が波打った。そちらを見ると、水の深い方にキラリとひかるピンク色の貝殻を発見して意識がそちらに逸れる。
「もしかして、サクラ貝!?」
お母さんが前世で唯一持っていた、小さなサクラ貝がついたイヤリング。それがお父さんからの初めてのプレゼントだったのと、幸せそうに笑うお母さんの笑顔を思い出した。
水のなかで一際輝くサクラ色を眺めてると、まるで『拾って』と言わんばかりにその周りの水面がパシャパシャ跳ねる。導かれるように澄んだ水へと手を伸ばした、その時だった。
「ーっ!?なっ、何……んっ!」
突然背後から口を塞がれ、すぐ近くの洞窟内へと引きずり込まれたのは。
~Ep.325 真夏の海のヤキモチ~
『サクラ貝は波に揉まれ、どこかへ流され消えていった』




