Ep.323 押し掛け恋敵
医師の診察を受け包帯も巻いてもらい、血濡れたワンピースから着なれた別の私服に着替えたところで、ようやく生きた心地が沸いてきた。
紅茶を飲んでほっとひと息ついたフローラの前に、不意に長い影が差す。
「さーて、で、そもそもなんで居なくなったのかを聞かせて貰おうか?」
『俺、散々言ったよな?はぐれるなって』と、腕を組んでフローラを見下ろしたライトが笑う。が、目が全く笑っていない、怖い。その世に2人と持たない稀有な深紅の双眸から、ヒシヒシと言い得ぬ圧を感じる。
仲間達と宿で合流してようやく一安心した王子様……改め保護者は、今さらながらに怒りが沸いてきたようだ。
これは下手な事は言えない。はぐれた経緯を思い返して思い返して、でも別段特筆すべき事があった訳でもなく黙りこんでしまう。
腕を組んだままのライトは特に急かしてはこないが、その目が言っている。『答えによっては……わかってるな?』と。更には呆れ顔のエドガーに『何か言えないようなことやらかしたの?先輩』と言われてしまった。
「ち、違うよ!綺麗な蝶々が居たの!!」
「よーしわかった、殴られたいんだな?」
「きゃーっ!お父さんごめんなさい!!」
「こんなあらゆる意味で心臓に悪い娘を持った覚えは無い!!」
「きゃうっ!」
ライトが手に取ったハンマーでフローラの額を叩く。ピコンっと、軽快な音が響いた。
「あっははははっ!いや、笑い事じゃないけど流石先輩!期待を裏切らないよ、最高だね!」
「えっ、本当!?」
「いや、褒められてねーからな!」
爆笑したエドガーの声にフローラが瞳を輝かすが、そんなフローラをライトがもう一発ピコハンで叩く。
そんなライトをまぁまぁと宥めつつ、クォーツが口を挟んできた。
「フローラが本当に幼女が如く蝶々に釣られてはぐれたのは天……じゃない、無邪気さの現れって事で一旦置いといて」
「天?」
言い直す前のその一文字を復唱したが、にこっと笑顔でかわされた。“天”に続く言葉はなんだ、なんだか気になるじゃないか。
「置いといて、何だよ?」
「僕も詳しくは知らないけど、ここまで来る道中の柱とか電灯、あとは彫刻なんかに蝶のモチーフが刻まれていたでしょう?あれって、この島を守っている女神の象徴だかららしいよ。あとは温泉が有名らしいし、フローラ的に2人に心配かけすぎるのは本意じゃないかなと思って、ルビーとレインは屋敷からちょっと言った所の大浴場に行かせたから。あとで元気な姿見せてあげて」
「うん、ありがとうクォーツ」
「あぁ、そう言や目につく所々にあったな。しかしお前、まだ到着して一日も経ってないのに一体どこで調べたんだ?」
そう尋ねるライトに、クォーツが童顔気味の可愛げある顔に深い笑みを浮かべつつ小首を傾げた。
「知りたいの?何かを知る権利は、それを知ったことによる対価を支払う覚悟がある人にだけ与えられるものだよ」
「いや、やっぱり良い」
「そう?遠慮する事ないのに~」
「遠慮じゃないわ!思い切り脅しておいてよく言うぜ、腹黒が……」
「いいじゃない。君が彼女を助けに行けるようお膳立てしてあげたんだから、これくらいの意地悪は許されるでしょ?」
「……っ!ったく、その言い方はズルいだろ」
最後だけはクォーツが何と言っていたのか聞き取れなかったが、とりあえず話はついたらしい。
フローラはソファーに腰かけたまま、回収してきた麻縄を取り出した。誘拐された時フローラを拘束していて、かつ絶妙なタイミングで勝手に切れたあれだ。切り口を改めてまじまじと見てみる。
切るために散々出っ張った釘に擦り付けていた足の方のロープはともかく、無傷だった手の方の縄まで同時に切れたのはおかしい。しかもどちらの縄も、スパッとなにかで切られたように斜めに切り裂かれている。この切り口に何だか見覚えが……と考えて、思い出した。
初等科の時、風の魔力で荒らされた花壇の花の切り口がまさにこんな形だった。
「いや、でもこの島では魔力は使えない筈で……。ん?そう言えばフライは?」
「え?あぁ、もう19時か……こりゃマジで夜中まで帰って来ないかもな」
ライトの言葉に、怪しい酒場で美女にナンパされていたり、はたまた見知らぬ他のお客さんからシャーっとカウンターを滑らせてお酒を振る舞っているフライの姿が浮かんだ。乏しい夜遊びの知識をフル稼働した集大成がこれである。
「ど、どうしよう、フライが不良に!!フライのあの美貌なら確かに色香溢れる夜の御姉様にも釣り合うかもだけど!!」
「いや、お前どんな想像したの?やめてやれ、よくわからないが絶対間違ってるからそれ」
悲愴な面持ちでこの場に居ない友をライトが哀れむ。エドガーは『天然悪女とはこのことだよなー』と呟き、クォーツは『今ここに彼が居なくてよかったね』と笑う。まぁ、当のフライがここに居ないからこそこんな話になっているとも言えるが。
と、その時だ。用が済むまでかもしくは夏休みが終わるまで皆で住むためと購入したこの屋敷の扉が、外から叩かれた。タイミングの良いノックの音に、フローラがパッと立ち上がる。
「あっ!帰ってきた!フライかな、ルビー達かな?」
「ーっ!待て!」
ウキウキと扉に駆け寄ろうとしたフローラをライトが引き留める。はじめは普通だったノックの音が、次第にけたたましい連打へと変わったからだ。
しんと静まり返る広間に、激しいノック音だけが響く。ライトが扉に手をかけクォーツとエドガーに目配せすると、二人がすっとフローラの前に立つ。それを確かめてから、剣を片手にしたライトが扉を開く。
「誰だこんな時間に!!」
「ーっ!見つけた、王子様!!」
「うわっ!?」
しかしその瞬間、開いた扉か誰かがライトの腕の中へと飛び込んだ。
殺気も敵意も、ついでに魔力も無い相手だったから怯んだのか、抱きつかれた勢いで尻餅をついたライトの胸に、少女が頬を刷り寄せている。何だ、何事だ。頭が真っ白になってフローラもクォーツもエドガーも動けない中、少女はぎゅーっとライトにしがみついている。ライトが引き離そうとしてもお構い無しだ。
「何なんだお前は!とにかく離れろ、年頃の子女が赤の他人の男に抱きつくんじゃない!」
「自分は赤の他人だった頃からフローラのこと抱き上げたり抱き締めてた癖によく言う……」
「クォーツ先輩、今はそれは禁句です」
“赤の他人”を強調したライトの言葉にクォーツが小さく毒を吐き、エドガーがそれを嗜める。が、それらを全てまるっと無視して、少女が高らかに宣言する。
「キャロルの王子様!さっきはドキドキしすぎて逃げちゃって傷つけてごめんなさい!着替えてお嫁さんになりに来ました!」
ウェディングドレスさながらの真っ白いフリフリワンピースに身を包んだキャロルが、高らかにそう宣言した。
~Ep.323 押し掛け恋敵~




