Ep.310 巫女の呪いは効くらしい
(え……、え!?今、なんて言ってた……!?)
姫抱きにされたまま、フローラの頭の中でフライが言い放った言葉が響く。
『好きな女性を穢されそうになって冷静で居られるほど、僕だって人間出来て無い』。確かに、そう聞こえた。
今ここに居るのは、フライに瞬殺された二人の男達とエドガー、それにフライと自分だけで。それは、つまり……
(い、いやいや。婚約者って名目があるからこそ、脅しも兼ねて言ったのかも知れないし!でも……)
抱き上げられている事で、フローラの片耳はフライの胸元に触れている。そこから響いてくる鼓動が、狂ったように早鐘を打っていた。それを微塵も感じさせないほど冷たい声音で、フライはエルマーに『シュヴァルツ家はもう終わりだ』と言い放つ。
「それは、どうかな……!我が家は歴史の記録者……、今の王家の弱味くらい、いくらでもある……。ねぇ、父上」
その時、背後からナイフがこちらに向かい飛んできた。
それをサッとかわして、柄を掴んで受け止めたフライの動きが止まる。
そこには、実の息子の……、エドガーの喉元にナイフを突きつけたシュヴァルツ公爵が立っていた。
「エド……!」
「すみません、油断しました……!」
フライがぐっと身構える。それを見て、動けないまま地面に転がるエルマーが嘲笑うように声を上げた。
「さぁ、形勢逆転だ。剣を捨てて、姫様を父に渡して頂きましょう。フライ・スプリング殿下……」
「その通り。今皇女だけを渡して頂ければ、フェニックスの公爵家をスプリングの皇子が一方的に害したなどと言う出来事は、表沙汰にはなりますまい。我が家は歴史の記録者だ、聖霊の巫女である彼女のことも、悪いようには致しませんよ。だからさぁ!早く女を渡せ!!」
「いいや、その必要は無い」
後1cm ナイフが動けば首を切られる体勢のエドガーと、腕の中で横たわるフローラを見比べてフライが小さく息を吸ったそのタイミングで、鋭い声が静寂を切り裂いた。
瞬間的に、辺りが明るくなる。対峙しているシュヴァルツ公爵達とフライの周りを、円形に燃え上がる業火の壁が包んだせいだ。
揺れる業火をものともせず掻き分けて、一人の青年が円の中心に歩み出る。
黄金が如く輝きを持つ髪が、深紅の炎で赤く光った。威厳さえ感じさせるその立ち姿に、シュヴァルツ公爵が怯んだように構えていたナイフを、震わせる。その一瞬の隙を、見逃さなかった。
「……っ!ライト!」
「ら、ライト先輩っ、手……!」
「このっ、正気か!?素手でむき出しの刃を掴むなど……!は、離せっ!!」
ライトがエドガーに突きつけられていたナイフを掴み、シュヴァルツ公爵から奪い取る。
頭二つ分は身長差がある大人を難なく足払いで地面へ沈め、炎の皇子が言い放った。
「我が子に自ら刃を突きつけるとは、ついに自らの手を汚したなぁシュヴァルツ」
「……っ!若造が、この私を呼び捨てだと!?無礼な……!」
地面に仰向けに倒された公爵が、打ち付けて血が出た頭を押さえながら体を起こす。その喉元に、ライトが剣の切っ先を突きつけた。
「無礼?おかしな事を言う。別に私は何も間違った事はしていないだろう。皇太子である私が臣下に敬称を付けない事に、一体何の問題がある?」
「くっ……!」
公爵が押し黙った。そうだ、考えてみれば、公爵家と言えど彼らは何れ家臣となる立場であり、ライトは未来の王。どちらが上かなど、本来は一目瞭然だった。ライトは当然の呼び方を、当然のようにしたに過ぎない。どこに責められる要素があろうか。
「まぁ最も、最早お前達は臣下となる事すら無いがな」
「何を馬鹿な……、まさか我が家を潰すおつもりか?一体何の罪で?病院の火事の証拠もない。フローラ姫とて気を失っていたのを我が息子達が介抱していただけだ。罪などなんの証拠もあるまい!この状況で影の歴史の記録者であるシュヴァルツ家を、王妃の影武者から産まれた傀儡の皇子ごときが潰せるものか!」
公爵の苦々しいその呟きに、ライトがフッと口角を上げる。
フライはまだ体が動かせないフローラと、ナイフから解放されたエドガーを連れて輪の中心から外れた。
ここからはフェニックスの王家の問題だ、他国が口を挟むべきでないと判断したのだ。
故に、ただ一人舞台の中央で凛と佇むライトの姿が月夜に映える。
「確かに私は、現王妃の双子の妹である第二皇女と、現国王であるブレイズ九世の間に生を受けた。しかし、生まれながらに病弱であった母は身重な体に耐えきれず弱るばかり。そんな苦しむ母と腹に宿った私を一度切り捨て、国王は国の安定の為姉である現王妃を選んだ。その後捨てられ、国王がつけた執事と共に療養の為だと辺境の地へと去った母は、私を産み落とすと同時に鬼籍へ入ったそうだ。その後、王妃が身籠れない体と判明した父は赤子の私と母につけた執事を王都へと連れ戻した。しかしこの話は、“双子は災いを呼ぶ”とされ皇女達が二人で一人を演じていた為に、一切表には知られていない。ただ二つの歴史の記録者の家を除いてはな!」
サッと公爵の顔が青ざめた。失言に気づいたのだろうが、もう遅い。真相はもう、ライトの手の中なのだから。
「しかし妙だなぁシュヴァルツ。私は物心ついたときから最近に至るまで、事あるごとに“王妃の実子でない”と誹謗中傷を受けている。なのにその中傷者たちは、歴史の真相までは知らないんだ。これではまるで、私を王にしたくない者が自分達に都合が良い部分だけを言いふらしているようじゃないか?」
「い、いいえ殿下!まさかそのような……」
「その通りです殿下!我が父、アインハルト・シュヴァルツ公爵と兄、エルマーは王位継承権を狙い、長く時をかけて貴方への反発心を他の貴族に広めようと企んできた!」
公爵が言い訳をするより先に、エドガーがそう声を張り上げる。
「黙れエドガー!!貴様っ、でたらめな事を……!」
「黙るのはお前だ、往生際の悪い!私はすでにエドガー・シュヴァルツより、貴殿らの悪事の告発を受けている!!」
そう言ってライトが掲げたのは、写真つきで詳細にまとめられたシュヴァルツ公爵の悪事の記録だ。エドガーがまとめあげ、学祭の直前、ライトの部屋へと届けに来た一冊。
「お前達がなんの為に王位を欲したのか、私は聞かない。欲にまみれた穢れたお前達の身勝手な言い訳など、聞きたくもない」
「い、いいえお聞きください殿下!これは、その……そう罠!罠です!愚息は自らの処遇が不満でこのような嘘を……っ」
「嘘……ね。じゃあ、まだその愚息が生まれるより前に、齢一歳にもならぬ私の生誕祝いにシュヴァルツ公爵より賜った衣服に毒物が混入されていたのも彼の仕業だと?そんな筈はないだろう、まだ生まれてすら居なかったのだから」
「ち、父上……!」
顔面蒼白のエルマーが、公爵を呼ぶ。しかしもう、言い逃れが出来ないのは誰の目から見ても明らかだった。
「確かに今宵の件は一切の証拠がない、いっそ不自然なまでにな。しかし、国家機密となるべき情報の漏洩は職務の放棄、皇太子への誹謗中傷は不敬罪。私への度重なる暗殺未遂は、この場で処刑とすべき大罪である」
もう、判決を下す前から死にそうな顔色を睥睨するライトに、いつもの穏やかさや気さくさは無い。あるのは、絶対王者の威厳だけだ。
逃げ出そうにも辺りは火の壁。もう言い逃れもしようがない。
「しかし、此度の件については、三男であるエドガーの告発により発覚した事。更には、彼は今宵私の剣が盗難されるのを防ぐ為、偽の剣を用意すべきと私に進言した功績もある。何よりシュヴァルツ公爵家は“歴史の記録者”、潰えさせる訳にもいかない。だから、家紋の剥奪だけは容赦してやろう。」
「……っ、ライト!」
フローラを害されて憤りが治まらないフライが怒りの声を上げるが、それを背後から延びてきたクォーツの手が止めた。振り向いたその微笑みが綺麗すぎて、フライは咄嗟に悟る。これが決して温情ではなく、寧ろ彼等への生き地獄の始まりだと言うことを。
「その代わり、現公爵であるアインハルトの爵位を先代であるアーサー殿へ返納する事と、貴方への離島での療養を命ずる。行き先はファラーシャ島だ、他国の皇女にさえ欲情する貴殿のような節操なしには似合いの場だろう。エルマー、エルヴィンも退学手続き後、そちらへの旅券を与えようじゃないか。三男であるエドガーとシュヴァルツ家が行ってきた事の償いとして今後10年間、私のシュヴァリエとして仕えさせる。妹であるエミリー嬢も、人質として城でその身柄を預かろう」
「な、父上に家督を返納だと!?ふざけるな、あの老体は馬車の事故で頭を打ち付けて認知症に……!」
「なって居ないんだよ、それが。エドガーがアーサー殿より古代言語を教えられている事が何よりの証拠だ。元々アーサー殿が18年前の事故にさえ合わねば、貴殿が公爵となることはなかった。初めから貴殿にはあわぬ地位であったと言うことだろう」
お前は公爵になれるような立派な人間じゃない、国には必要ない。
エドガーとエミリーの身柄はライトの管理下となる、二度と手を出すな。
自慢の息子達は退学だ、明るい将来は望めない。
端的にその三つの決断を突きつけられた公爵が、ぶるぶると身体を震わす。その耳元で、ライトが感情すら見せない声で言ってやった。
「夜の蝶達の暮らす島で、ゆっくり養生されるといい。ーー……その命尽きるまでな」
カッと公爵が怒りに目を見開いた。ライトの剣先に肩を貫かれるのも構わず立ち上がり、ナイフを振りかぶり走り出す。
狙いは……
「この私にそのような仕打ちが許されるものか!聖霊の巫女が、フローラ皇女さえ手に入ればフェニックスでの地位など必要ない。フローラ皇女を寄越せ!!」
「……っ!本っ当懲りないよね……っ!?」
ライトが公爵達と対峙している間ずっと彼女を守っていたフライが迎え撃とうとしたが、それより先に公爵の頭が一瞬、燃え上がる。
炎が消えるなり、フライが口元を片手で覆って肩を震わせた。
フローラも気になりすぎて、薄目を開いて様子を伺ってみる。月明かりに負けぬ輝きを放つそれを見たら思わず吹き出しそうになって、慌ててフライの胸元にぎゅーっとしがみついた。
「な、わ、私の髪が……!」
「……二度とその穢い口でフローラの名を呼ぶな。フローラは、お前たちのような屑が汚して良い女じゃない」
断罪中の王者の風格とはまた違った迫力に、今度こそ公爵が抵抗を止める。
「フリード、連れていけ」
「御意にございます」
ライトに命じられたフリードに連れられ、シュヴァルツ公爵が去っていく。
その頭は毛根からライトの魔力に焼き払われツルツルになっていたが、それに同情する者など居ないのであった。
(わーい、ツルツルだぁ……。呪いが効いたのかしら……)
笑いを堪える為のつもりでフライにしがみついたのだが、色々解決したら安心して睡魔が襲ってきて。すっかり眠りに落ちたフローラの手は、無意識にフライの服から離れたのだった。
~Ep.310 巫女の呪いは効くらしい~
『哀愁漂う父のその後ろ姿を、エドガーがこっそりカメラに撮っていた』




