Ep.309 冷静でなんか居られない
花火が咲き誇っていた時間は、大体20分にも満たないくらいだっただろうか。
それでも大分派手に打ち上げたせいで魔力の消費が激しいのか、後ろから聞こえてくるエドガーの足音には勢いが無い。
「疲れちゃった?帰ったらもうゆっくり休みなね」
「誰のせいでこんな魔力使ったと……ーっ!?」
不満そうなエドガーの呟きが、不自然に途切れた。妙だなと感じたフローラが振り返ると、エドガーの体が地面に倒れているのが目に入る。
「エド、大丈夫!?きゃっ……!?」
「おっと、お静かに願いますよ。フローラ皇女殿下」
まさか、魔力の使いすぎで倒れたのだろうか。そう心配して駆け寄ろうとしたフローラを、背後の暗闇から延びてきた腕が拘束する。
後頭部を押さえつけられ、背中側から腰もがっしり掴まれたせいで相手の顔はフローラには見ることが出来ない。しかし、夜目でも色がはっきり識別出来る明るい橙の髪だけが、拘束の痛みで生理的な涙が滲む視界の端で揺れた。
フローラを押さえつけている相手を睨み付けるように顔を上げたエドガーが、苦々しく相手の名を呼ぶ。
「何の真似、ですか、エルマー兄上……!」
「ーっ!」
髪色から予想はしていたが、やはり今自分を押さえつけている男はエドガーの腹違いの兄の一人らしい。気配で、エルマーと呼ばれた男が鼻を鳴らしたのがわかった。
「お前に知る権利などない。父上と我が家の発展の贄にも為らない塵が偉そうな口を聞くな」
「……っ!何が家の発展だ、今のシュヴァルツ家なら、いっそ潰えた方が国の為……痛っ!」
「口を慎みたまえ、我が愚弟よ。じゃないとうっかりして、お兄様の足が滑って急所に入ってしまいそうだ」
エルマーに反発していたエドガーの背を容赦なく踏みつけ、ニコニコと笑うもう一人の男。いつの間に現れたのかわからないが、朱色の髪を緩く三編みでひとまとめにした人のよさそうな笑みだ。だが、その言動は見た目の印象とは程遠い。
なんの罪悪感もなくエドガーの背中をブーツでグリグリと踏みつけている方の男を、思い切り睨み付けた。
「エドの背から、足をどけなさい……!貴方達、一体こんな夜分に何のご用ですの?」
それから『私を離しなさい』と背後の男に一喝したが、エルマーと言う上の兄はニヤリと黒い笑みを浮かべた。体勢を変えられ、乱暴に木の幹に背をぶつけられる。逃げられないようサイドを腕で塞いだ男が、ゲスな表情でこちらを見下ろしていた。
「離す訳にはいかないなぁお姫様、貴方には父と私共がここから出るための鍵になってもらわないといけないんだから」
「……っ!まぁ、脱出の為の人質になさるおつもり?残念ですが、仮に私を盾に船を用意させたとしても、渦潮を解除しない限り島から出ることは不可能ですわよ」
「おや、だから貴女が必要なんだよ。さっきの回復魔法見てたぜ?なぁ、聖霊の巫女様」
弱味など見せないよう、強気に言ってやったつもりだった。しかし、小さな震えが止まらない。瞳も、乱暴に扱われる痛みと生理的に受け付けない男への嫌悪感で涙に濡れて居るのだろう。
それでも気丈に見上げて睨み付けてくるフローラの姿に、エルマーが喉を鳴らした。
頬に手を当てられ、気持ち悪さに小さく悲鳴が漏れる。
「しっかしいいねぇ、その天使のような容姿でこの怯え方。そそるな……、金髪ってミストラルかうちの王家にしか無い色だし。父上に合流したら絶対食べられちゃうんだから……」
「……っ!嫌っ、何するの……!?」
スルリと、フローラの制服のリボンがエルマーの手によってほどかれる。シャツに伸びようとしてくる手を、懸命に自分の手で押さえて拒んだ。
「あーあー、そんなんじゃダメですよ兄様」
「痛っ……!!!」
「……っ!フローラ先輩!」
「獲物って言うのは、弱らせてからじわじわと体力を削っていかないと……ね?」
フローラの両手を躊躇なく魔力の炎で焼いた三編みの方の兄が、にこやかなまま『終わったら味見させて』と言い足す。その台詞に、ゾッとした。
爛れる程ではないが動かす度激痛が走る両手にある指輪が点滅している。助けを発しようとしているサインだ。でも、ここは入り組んだ森の中……。居場所がわかっても、真っ直ぐには来られない。助けが来るまでに、どれくらいの時間がかかるか。
「さぁ、じゃあちょっと楽しませて貰おうか……っ!?」
再び胸元のリボンに延びてきたその指先に、思い切り噛みついてやった。
エルマーが怯んだその隙に走る。このままエドガーを連れて、先程ライトとフライと別れた方まで走るのだ。そう思っていたが、一筋縄にはいかないようだ。足を突っ掛けられ、勢いよく地面にスッ転ぶ。
倒れているフローラを仰向けにしたエルマーが、鬼のような形相でフローラの首に両手をかけた。
「生意気な……っ!俺達を無視して、あのお飾りの皇子や塵くずを優先だと?見る目が無い女だ、少し鍛えてやる……!」
「やめっ、息、が……!」
「……あーあ。エルマー兄様、死んじゃったら鳴かせられなくなりますよー」
下の兄が一応嗜めたが、激昂したエルマーには届かない。首を締めてくる力が強まり、段々と意識が遠くなっていく。
(もう、駄目かも……っ!誰か……!!)
視界すら暗くなってきた、その時。頭上でオレンジ色の光が三つだけ弾けた。エドガーの花火だ。
何に当たる事無く宙で光って消えたそれを、下の兄が笑い飛ばす。
「あっはははははっ!こんな時でもノーコンかぁ!いいねぇ、そうやってとことん役立たずな可愛いお前がお兄ちゃんは大好きだよ。大好きだから、お前が大事な物はみーんな壊したくなっちゃうなぁ」
『例えば……』と、下の兄の手がフローラのスカートの中に延びる。しかし、その瞬間だった。
「ぐあっ……!」
「……っ!なんだこの風は……っ!!」
不意に吹き抜けた突風で、フローラの身体に覆い被さっていた男達の重みが消える。フローラ自身の体まで一旦宙に舞ったが、身を捩ることすら出来ないまま……誰かの腕の中に、抱き止められた。
「……今回は落とさずに済んだな」
「……!」
耳に響いた聞き覚えのある声に、焦点の合わない視界でもわかる、涼しげな青緑の長髪。
それだけ確かめれば、安心するには十分で。フローラは、抱き止められた相手の腕の中でそのまま瞼を落とした。
それをしっかり確かめてから、突風でエドガーの二人の兄を吹き飛ばした風の皇子が木に激突して痛そうにしている二人を睨み付ける。
エドガーが安心したように、小さく名を呼んだ。
「フライ、先輩……!」
「もう大丈夫だから、君も休んでいるように。合図ありがとう、よく見えたよ」
フライに誉められ、安堵したエドガーは足手まといにならないよう少し離れた位置まで下がる。
そんな中、二人の兄達が気がふれたような眼差しでフライに向かい攻撃を仕掛けてくる。
「この……っ、風の国の第二皇子ごときが!」
「……はぁ、貴方達、一体誰の婚約者に手を出したかわかってるんだろうね?」
体がだるくて目も開けられないが、耳は生きているのか辺りの声だけははっきり、聞き取れた。だから、わかった。勝負は一瞬でついたのだと。
剣同士がぶつかる音すら、しなかった。一瞬感じたのは、鋭く強大な風が吹き抜ける風切り音と、二人分の悲鳴だけ。彼等の放った業火さえ吹き飛ばして、涼しげな表情のフライがフローラを抱えたまま爪先を地面に落とした。
「何故だ、ここへの道中は、皇子達が居た場所から一番木が多く来づらい場所だったはず……!」
「本当、どうやって来た、のかな。早すぎ……!」
「……お前達のような者に教えてやる筋合いはない」
「ぐっ……!」
冷たい声音で言い放ったフライが、地面に倒れ込んでいる下の兄の側頭部を思い切り蹴飛ばした。バキッと言う音が響いて、下の兄が動かなくなる。
「……っ!気絶のさせ方が、容赦ないな。冷静と名高い、風の皇子らしくもない……!」
顔色は悪いくせに嫌みを放つエルマーを一瞥し、フライが一瞬腕の中のフローラを見る。
意識はかろうじてある、耳も生きていて辺りの声は聞けるが、気だるさのせいで動けないし、瞼はぴくりとも動かせなかった。だから、フローラが気を失っていると判断したのだろう。
さもなんでもないことのように、フライはエルマーに言ったのだ。
「あぁ。好きな女性を穢されそうになって冷静で居られるほど、僕だって人間出来て無いんでね」
いつも通りの声で、口調で、静かに響いた一言が、ぼやけた意識のフローラの耳に、確かに焼き付いたのだった。
~Ep.309 冷静でなんか居られない~
『募りすぎた恋心が、今宵牙を剥く』




