Ep.307 騎士の名は
「俺は一体何様のつもりだったんだよ……!!」
医師や患者たちも避難し、すっかり焼け落ちた病院の裏手。地面に余ったシーツでフリードが仕上げた簡易な寝床に横たわったライトが、先程の詠唱を思い出しては片手で目元を覆いながら嘆く。
その顔を、フローラはこっそりと真上から覗き込んでみた。指の隙間から見えるその双眸は紅色。
「元に戻ってる……、けど、さっきは確かに金色になってたよね?」
思わず振り返り、エミリーを寝台に寝かし終えたエドガーに確認してみた。エドガーは頷くが、当のライトはもちろん、先程まで気を失っていて実際の場面を見逃したフライとクォーツは半信半疑らしい。揃って首を傾げていた。
魔力の使いすぎで三人とも身体の自由は利かないようだが、話をするくらいの余力はある。ライトがポツリと溢した。
「自分じゃ鏡も見てなかったし、自分がどうなってたとかわからないんだけど……なんだか、自分が自分じゃ無いみたいな妙な感じだったな。今はもう大丈夫だけど。目の色も戻ってんだろ?」
「ーっっ!!!!かっ、顔見せないで!!!」
「わっ!?いきなり何すんだよ!痛っ……!」
フローラがまだ顔を覗き込んでいたそのタイミングで、目元を覆う手をライトが外した。そのせいで、至近距離で二人の視線が交わる。その瞬間、フローラはさっき自分が何をしでかしたのかを思いだし、真っ赤になりながらライトの顔にクッションを押し付けた。
突然の仕打ちにライトは怒っていたが、フローラはそれに構っている余裕はない。
(わーっ!色々起こりすぎて忘れてたけど、私さっきライトに……!)
「きゃーっ!!」
「えっ、ちょっ、どうしたの!?大丈夫!?」
「……ライト、僕らが気絶してる間にフローラに何したわけ?」
「なっ……、まだ何もしてねーよ!」
「……今、“まだ”って言ったね……?」
冷ややかな眼差しで、フライが近場に転がっていた弓を持ちライトに放つ。
顔にすれすれの位置を通り真後ろの木に突き刺さる矢。ガサリと草むらが鳴ったような気もしたが、フライの眼差しが冷たすぎてライトはそれ所ではないらしい。ゾッとして、弁明の為に慌ててしゃがんでいるフローラの肩を掴んだ。
「危なっ……!おいっ、良いから顔見せてちゃんと説明しろ!フライの目がヤバイ!!」
「イヤ!私今ライトの顔見たくない!!(絶対赤くなってるし、見せたら色々問いただされそうだもん……!!」
「なっ…………!見たくないってなんだよ!ちゃんと俺を見ろよ!!」
「絶対イヤ!!」
「おや、フられちゃいましたね殿下」
「……ふふっ、残念だったね」
「……ら、ライト、本当になにしたの?」
「だから何もしてないんだって!エドは見てたよな!?」
「え!?あー、まぁ、確かにライト先輩“は”何もしてないけど……」
「“けど”って何だよ!あいたたっ……、駄目だ、叫ぶと身体に響く……!」
「当たり前です、普通の人間が一生かかっても使わないくらいの量の魔力ぶっぱなしたんですから。フライ様とクォーツ様も、これに構ってなくて良いですから休んでください。フローラ様の力は傷は治せても、魔力は回復しないんですから」
「主人に向かって“これ”とはなんだ……!」
「あれ?私その話フリードさんにしたことありましたっけ……?」
フローラの内心など預かり知らないライトはあまりの一言に加えて手を振り払われたことに放心してしまう。フライは一瞬瞠目した後鼻で笑い、クォーツは二人の様子を見ながらオロオロしていた。一部始終を見届けていたエドガーとフリードだけが、何とも言えない目でフローラを見ている中、首をかしげたフローラだったが、ふとフリードが回収して持っていた手帳に目をつけた。話を逸らすのに丁度よいと。
「そ、そんなことよりほらこれ!この本のお陰でエミリーちゃんも戻せたんだし、もしかしたら魔力を回復出来る術とか載ってるかも!ほら、今探すから!!」
「なんでそんなに必死なんだか……」
「ほら!それっぽいページ見つけたよ!読めないけど!!」
「それは……手帳が逆さまだからじゃ無いのかな……」
「というか、そもそもそれ現代にはほとんど伝わっていない古代文字で書かれているからね。残念だけど、すぐに解読するのは無理があると思う」
「ーっ!そっか……、そうだよね……。術名の横の挿し絵が病院のマークだったから、回復系の術だと思ったんだけど……浅はかだったね」
シューンと小さくなったフローラが、読めない文字が羅列する手帳を広げたまま肩を落とす。その肩を、誰かが軽く叩いた。肩越しに手帳を覗き込んだ相手が、指先で題名をなぞりながら呟く。
「“リサシテイション”……現代語に直すと“再生”だよ」
「エドガー君、読めるの!?」
フローラはもちろん、皇子三人まで唖然としてエドガーを見る。当人はこともなさげに、『兄上達のせいで覚えざるを得なくてさ』と肩を竦めると、フローラの手からひょいと手帳を取り上げた。
「さっき見た感じ、呪文が正しく詠唱出来れば効果はあるんでしょ?訳したげるよ、散々迷惑かけたお詫び」
思わぬ天の助けだ。ここはありがたく頂くことにしたフローラが翻訳を待っているその間に、ライトが通常サイズに戻した聖霊王の剣を掲げている姿を目にしたフライが、話を切り替えた。
「戦闘中だったからそこまで詳しくは聞いてなかったけれど、あの手帳は“ブライト”と言う方の物で間違いないのかい?」
「うん。背表紙に金糸で名前が刺繍されたから、間違いないと思う」
「“ブライト”……普通男につける名前だよね、手帳もシンプルなものだったし……」
「だろうな。恐らくそれは、かつての聖霊の騎士の名前だ」
ライトがそう言いながら上半身を起こすのを、フリードが支える。
「なんでそうわかるの?」
フローラが聞くと、ライトはなけなしの魔力でどうにか具現させた剣の刃を皆の方へと傾ける。ある角度で、そこにキラリと何か文字が浮かんだ。光の反射加減により見える位置と見えない位置があるらしい。
そして、そこに刻まれた名は“Blight”。全員が驚いて、フローラがそっと指先で名前が彫られた箇所をなぞる。刃にしっかり刻まれている筈の文字が、ゆらりと動いた。
しかし、それに疑問を示すより先に背後からエドガーが声をあげる。
「出来た!」
「ーっ!本当!?ありがとう!じゃあ早速……」
エドガーから翻訳した呪文を受け取りいそいそと広げたフローラを見つめ、エドガーが言う。『このまま使うときっと目立つよ』と。
訳がわからず、フローラはキョトンとしてしまう。
「なんのお話?」
「はぁ……。あんた、暗い場所で癒しの力使ったことないでしょ」
そう言われてみれば、確かに回復に力を使うのはいつも明るい場所だった気がする。しかし、それが一体なんだと言うのか。
疑問を浮かべるフローラを無視して、エドガーが辺りを見回してからフリードを見る。
「辺りの景色からして、結界もう解けちゃってる……よね?」
「そうですね、火事が広がり結界の要である噴水にまで燃え移ってしまったせいかと。幸い、結界が解除されたのは完全に火事が終わってからでしたが……」
「そうだな、爆発が起きた瞬間はまだ結界は生きてたのが不幸中の幸いだった。火事の火煙は見られずに済んだみたいだからな。後は、聞かれてしまった爆発音だけ上手く誤魔化せるといいんだが……」
段々と話が脱線しているが、ライトの言葉に皆それぞれ今回の事件をどう一般生徒に隠すか悩み初めてしまったので、フローラはその隙にエドガーが訳してくれた呪文を読み上げてみることにした。
《天地に栄えしあまねく生命よ、我が祝福を受け入れたまえ》
「ーっ!」
詠唱を始めた途端、フローラの足元に繊細な刺繍のような美しい魔方陣が広がる。驚く仲間たちを他所に唯一静かなエドガーだが、それは実はエミリーの病が治った際、フローラがくれたプリンからも同じような金色の光が舞い踊る様子を目の当たりにしたからなのだった。
そんな事とは露知らず、フローラは詠唱を続ける。魔方陣から段々と、金色の粒子が舞い上がり始めた。
《天地を救う光の霧よ、あまねく生命を包み込み、全てをひとしく再生せよ。“リサシテイション”!!》
詠唱の完了と同時に魔方陣が弾け飛び、金色の粒子が辺り一体に広がる。柔らかな明かりに照らされ、燃え尽きた病院が、焼け落ちた噴水が蘇り、煤で薄汚れた校庭の木々も、萌える緑を取り戻していく。
同時に、宙を漂う光はぐったりしていた三人の身体に染み込むようにして消えていくのがわかった。しばらく金色の煌めきに包まれていれば、ライト達の具合も段々と良くなっていった。魔力が回復しているらしい。
「……名前が、書き変わった」
「え!?」
気だるさも息苦しさもなくなった三人が立ち上がれるくらいに回復したころ、ライトがそう言って再びフライとクォーツに剣を向けた。
すると、刃に彫られた名がゆらりと大きく波打って、少しだけ綴りが書き変わる。
頭文字の“B”は消え、代わりに“L”が大文字に。その綴りが示すのは“光”。ライトの名前だ。二つの名前は交互に点滅して切り替わり続けたが、フローラの癒しの波動が辺り一体を再生しつくした頃、聖霊王の剣には、完全にライトの名が刻まれた。それを見て、フリードが安心したように笑った。
「ブライト様から、所有者が殿下に移ったのでしょう。刻まれた名は、その騎士の持つ力の本質を示すと言います。努々、お忘れにならぬように」
~Ep.307 騎士の名は~
『“Blight”。その名が示すのは、粛清と撃滅。粛清すべきはなんなのか、後継者に知る術は無し』




