Ep.305 希望になりし者
落下した先は、広い洞窟のようになっていた。壁には四色で描かれた巨大な壁画があり、一ヶ所には大きな姿見もかけられている。明らかに、人為的に作られた場所だった。
フライが魔力で作った竜巻に包まれてどうにか激突を避けた皆がよろよろと立ち上がる。
「あー、びっくりしたぁ……」
「ごめんね驚かせて。でも、あのまま地上で戦わせていたら大騒ぎになると思ったからさ」
突如響いた緩い声に、全員がそちらに振り向く。
そこには小さな手帳を持ったクォーツと、苦笑を浮かべたフリードが立っていた。
「クォーツ!来てくれてたんだ!」
「やっぱり君が地形を弄ったのか……。そうだろうとは思ってたけど。何?ここ」
「さぁ、よくは知らない。ただ聖霊について色々調べてたら偶然たどり着いた場所なんだ。ただ戦闘に丁度いいかなって皆をこっちに呼んだだけ。手帳とかも置いてあったけど、鍵かかってて読めないんだ」
「確かにあのままじゃ周りにも被害が出てただろうけど、いきなり落とすやつがあるか!せめて一声かけてくれよ!!」
ライトに叱られたクォーツは小さく舌を出してごめんねと笑った。
「いや、ライトとフライが一緒なら大丈夫だろうと思ったから落としちゃった。下からまた上がって声かけるの面倒だったし」
「お前は案外そう言う奴だよな!!」
しれっと答えるクォーツに『知ってた!』とすっかりいつもの調子で叫ぶライトに皆が笑うその背後で、崩れた砂山から土煙が上がった。落下で一緒に地下に落ちた魔物が動き出したのだ。
誰が何を指示した訳でも無いのに、フリードが真っ先にフローラとエドガーを壁際の大きな壁画の辺りまで下がらせる。その隙にライトが剣を振るい、フローラの目には追えない速度で振り下ろされる魔物の前足をいなしていった。
そのライトが戦い易いようクォーツが地形を弄って足場を造り、届かない高さの足場にはフライが風でライトを押し上げる。
いつぞやの剣術大会の時と同じだ。三人で組めば、彼等は無敵なのである。これなら……!と、期待したフローラのすぐ隣で、フリードがなぜか小さくため息を溢した。
しかし、それを気にするより先に、三人の背後の姿見から別の声が響く。
「これならきっとエミリーちゃんを助けられるよね、身体が戻りさえすれば治療は私が……」
『残念だが、そのまま倒しても少女を救うことは不可能だ!』
「ーっ!?うわぁっ、鏡の幽霊!?」
「ーっ!オーヴェロン様!!?どう言うことですか!?」
壁掛けの姿見から、青白く輝く人影が現れた。聖霊王だ。
驚いて尻餅をついたエドガーを連れてフリードがそっと下がる。話の邪魔をしないように。そして、己の姿を聖霊王に見られないように。しかし、ふと今にも消えそうな幻影に違和を覚え、首をかしげた。
「助けられないってなんでですか!?それに、何でこの鏡からオーヴェロン様が……!って、あれ?なんか、いつもよりお若いような……?」
『気のせいだ、魔力が弱くて幻影が薄いせいでしょ……だろう。ここは、かつて巫女達が隠れ家に使っていた場所、残っていたとは思いもしなかったが……。そんなことより、見てみなさ……じゃない。見てみるが良い』
鏡に残る魔力が弱いのか今にも消えそうな聖霊王に言われて、フローラは今一度戦況を見てみた。圧倒的優勢にも関わらず、大分身体が小さくなった魔物にライトは留目を刺していない。それどころか、剣先が魔物に当たらぬよう気を付けながらの防戦一方になっている。
それを見ながら、姿見に写る幻影が説明を始めた。
『あの剣はあくまで穢れを倒すもので、祓うものではない。完全に魔物となった人間に使えば、チリも残さず倒してしまう!彼は賢いな、それに気づいて防戦に変えたのだろう。だが、このままでは彼らの方が持たないぞ』
「そんな……!ーっ!じゃあ、懐に飛び込んで私が浄化します!もう十分弱ってるし、それなら!?」
フローラの提案にも、首を横に振る。
『それも不可能だ。仮に魂は浄化出来たとしても、身体はもう……。かつて巫女が浄化して人間に戻せたのはほんの数人だ。やり方も、我々は知らぬ』
「そんな……!何か手がかりはないんですか!?」
必死に問うフローラの姿に心を動かされたのか、記憶を辿る仕草を見せる。そして、ふと顔を上げて呟いた。
『ーー……そうだな、当時ブライトがつけていた魔術の詠唱を記録した手帳。あれにならもしや……』
「ーっ!どんな手帳ですか?私、探します!!」
「ーっ!危ない!!」
ブライトと言うのは、かつて巫女を守っていた騎士の名前だろうか。食いついたフローラだったが、会話の途中で飛んできた瓦礫がフローラに向かい吹っ飛んできた。当たる直前で、エドガーがそれを庇うように飛び出す。
エドガーに飛び付かれて床に倒れたお陰でフローラが怪我をするのは避けられたが……瓦礫はそのまま姿見を砕き、『黒地に銀の』と呟きかけた聖霊王の幻影が消えてしまう。しかし、それを嘆く暇もなく次々と瓦礫が飛んでくる。思わず二人で抱き合い、目を閉じたが。
「怪我はないか?」
激突寸前のそれらは、異変に気づき飛び込んできたライトとフライが一刀両断してくれた。
「お陰で大丈夫!ありがとう」
「それは何よりだね、でも油断はしないように」
笑顔だが妙に圧があるフライに、べりっとエドガーから剥がされた。
ライトも抱き合った二人に一瞬ピクリと頬がひきつったものの、頷いたフローラに微笑んでからエドガーに向き合う。防戦に切り換えたせいで、まとっているシャツは切り傷だらけになっていた。それでも、その瞳に諦めの色は無い。
大きなライトの手がくしゃっと、エドガーの頭を撫でた。
「エミリーは絶対に助ける、だから二度と殺せなんて言うなよ」
「……っ、はい……!」
「ライト、お願い!もう少しだけ時間を稼いで!私は……っ」
「聞こえてたよ。手帳を探すんだろ?こっちは任せ……」
「いや、その必要は無いと思うよ!」
ライトの言葉を遮って、魔物の動きは大地を変形させて一時的に抑えたクォーツもこちらに駆け寄った。その手にあるのは、、小さな手帳。
「僕も聞いてたよ、オーヴェロン様が言ってたのってこれじゃない!?ここで見つけて、綺麗だったからルビーに一回見せてあげようかと思って持ち出してたんだけど……」
艶やかな黒地の革表紙に、銀色の細工。そのデザインに瞳を輝かせ、手帳を受け取ったフローラがそれを開こうとしたのだが。
「……っ、駄目だ!鍵がかかっちゃってる!!」
「抉じ開けられないのか!?」
「んーっ……!駄目だ、これ普通の金属じゃないよ!!」
「金槌で叩いてもびくともしないなら、何かしら魔力が付与されているのかも知れないね……。クォーツ、見つけたときに鍵はついてなかったの?」
「うん、この状態のまま本棚に入ってた」
クォーツの返答に、皆の空気が重くなる。
あと少しだ、あと少しなのに。このたったひとつの錠を壊す手だてが、フローラ達には無い。
芽生えたばかりの希望が潰えかけ、重たい空気が漂う。しかしライトは諦めず、聖なる剣を握り直して立ち上がった。
「ライト……!」
「時間なら俺が限界まで稼ぐ。皆は鍵を探してくれ。これだけ広いんだ、しらみ潰しに探せばあるかも知れない」
「ちょっと、無茶言わないでよ!君だってもう魔力切れが近いんじゃないの!?」
フライが叫んだことで、ライトの顔色が良くないことに今さら気づいた。傷は治ったと言っても先程から戦いづめだし、それ以前にマリンが言っていた通りなら彼は毒に身体を侵されたばかりなのである。きっと、既に限界を超えている筈。
なのに彼は、エミリーを救うことを諦めない。
彼女達が、彼が愛する自国の民だから。
エドガーが、泣きそうな声で『助けて』とそう言ったから。
そして何より、フローラが、彼女を救いたいと願うから。
「希望がないなら、自分でなればいい話だ。俺は絶対に諦めない!フリード、フローラ達のこと頼むぞ!」
「……!はい、お任せください」
そう言って魔物の方へ戻ろうとしたライトの片手を、フライが掴んだ。その反対側の隣に、クォーツも並び立つ。
「……本っ当馬鹿なんだから!……仕方ないね、君に倒れられたら結局倒す術もなくなってしまうし、付き合うよ」
「僕も戦闘に回るよ、ライト一人じゃ危なっかしくて見てられない」
『どう言う意味だよ!』と、腹黒二人に弄られたライトが叫ぶが、同時に三人の間に漂う信頼感。そして、彼等の背に守られるフローラが感じる、絶対的な安心感。
「よし、鍵は絶対にこっちで見つけるよ!!」
そう宣言したフローラに笑いかけてから、三人は檻を破って再び暴れだした魔物と戦闘を再開した。士気が先程までとは全然違うのはきっと、ライトのお陰だ。
それを見つめて、フリードが少しだけ寂しそうに、微笑む。
しかし、フローラが彼に気づくより先に、座り込んだまま戦う三人の姿を眺めているエドガーがぽつりと呟いた。『羨ましいな』と。
「こんな絶望的な状況でも諦めないで、弱い者を護る為に立ち上がれる強さ……。俺は本当はずっと、あの人たちみたいになりたかったんだ……」
その言葉を聞いたフローラは一瞬きょとんとした。そして、ふわりと笑ってエドガーの手を取る。
「なら、これからなれば良いじゃない」
「えっ……?」
「出来ないことが多いってことは、これから出来るようになることがたくさんあるってことだよ。ほら!私も昔魔法すーっごく下手だったけど、今は大分ましになったし?だから、エドガー君だってこれからきっと強くなるし、私のお胸もこれから育つよね!!」
変な方向にそう脱線したあとに、『楽しみね』と綺麗に微笑んだフローラ。そのあまりのギャップに今度はきょとんとしたエドガーが一瞬固まる。そして、盛大に笑いだした。
「な、なるほど。自分がぼけらんだからこその励ましってわけだ。その発想はなかった……!」
「なっ、何よ!そんな笑わなくても……!」
笑われたことにガーンとショックを受けたフローラだが、同時に背後で激しい音が響く。
「クォーツ!フライ!!」
最後のひと暴れなのか急に動きを激しくした魔物に吹っ飛ばされたらしい二人が、壁に激突し地面に倒れる。気を失ったのか、起き上がる気配はなかった。
ライトも限界が近いのか、握りしめた聖なる剣からは刃が消えかけている。
聖霊王の剣は、術者の精神力が弱くなったり、魔力が切れれば柄しかないただのがらくたになってしまうのだ。
いくら三人が強くとも、彼等だって魔物と戦うのなんて初めてだ。ましてや時間稼ぎの消耗戦なんて、無茶にも程があると今さら気づく。
(呑気に話している場合じゃなかった!)
フローラが青ざめ、彼等の方へと駆け出す。それを、真剣な眼差しをしたフリードが制した。
「フリードさん、離して!とりあえずダメージだけでも癒さなきゃ」
「身体をいくら癒そうが、打開策が無いままではどうにもなりません。手帳を渡してください」
「え?これですか?でも、鍵を探さないと……」
「いいから早く!」
鋭く一喝され、フローラは反射的に錠付きの手帳をフリードに渡す。
錠に指先を当ててフリードがなにかを詠唱すると、あれほど剣やら金槌やらでガンガン殴り付けても傷ひとつ付かなかった南京錠が、パキンと氷のように砕けた。
「ーっ!!フリードさんすごい!」
「さぁ、行って下さい!そして……」
「そして?」
「殿下の唇に口づけをして下さいね」
真剣だった表情から一変、にっこりと微笑んだ執事様が落とした爆弾が直撃したフローラは、その場で氷のように固まるのだった。
~Ep.305 希望になりし者~
『私、今日唇狙われ過ぎじゃない……!?』




