Ep.300 転移する少女達
「エミリー!エミリーどこだ、無事なのか!?くそっ、あの屑親父め……っ!!」
燃え盛る病院の廊下を一人、煙に、熱気に、咳き込みながらも走る。
ライトに頼み込んで“用意して貰った”剣と、フローラか“貸して貰った“指輪。その二つを抱えた彼が待ち合わせ場所で会う筈だったマリンは、そこには居なかった。代わりに立っていたのはなんと、今エドガーが誰より会いたくなかった、実の父親で。
混乱しつつも怒りを露にし、『妹はもう健康だからドナーには出来ない』と吠えたエドガーに、見目だけは麗しい父は笑いながら言ったのだ。
『事故で失った我が子の命を、他のお子さんに差し上げるんだ。美談だろう?』と。
その瞬間であった。
噴水の結界に守られて見えない筈の妹の病院から、爆発音が響いたのは。
父も自身も、炎の国フェニックスの出身。魔力の属性は当然火だ。そして父は、死神のような顔で笑っている父は、現フェニックス国王に匹敵するほどの魔力を持っていると耳にしたことがある。
だから、エドガーはすぐに妹の病室を目指して走り出したのだ。自らの実父が、妹の眠る病室に魔力で火を放った。そう気づいてしまったから。
「よし、あと一階……っ!!」
炎と瓦礫に阻まれながら走り、妹の病室まであと一階となったところで、不意に目の前の踊り場で黒い竜巻が渦を巻く。
「ごきげんよう、遅くなったけど来たわよ、エド」
消えた竜巻の中から現れた彼女が、そう言って自分に手を伸ばす。ぞっとした。
エドガーの前に現れたのは、待ち合わせを破り来なかったくせに使い魔の黒猫の力で今さら転移してきた、にこやかに笑うマリンだったのだから。
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二人して青白く輝く泉に半身を浸し、至近距離で抱き合ったまま見つめあっている。
そんな雰囲気をぶち壊した爆発音に、フライが長く、長く、それはもう長すぎるのでは無いかと思うくらいに長いため息をついた。
「何でこのタイミングで……!ーっ、フローラ?」
怒りを抑えるフライの手を、フローラがぎゅっと握った。その手が震えているのに気づいて、告白が遮られた怒りも忘れてフライは彼女の顔を覗き込む。
そんなフライの瞳を見据え、フローラが呟いた。『大変』と、か細い声で。
「爆発音がした方向、エミリーちゃんが入院してた病院がある方角なの……!!」
「ーっ!」
その言葉に、つい先ほどまで年相応の表情をしていたフライの顔つきが変わる。
先に泉から上がったフライが、冷静だがどこか強さを感じさせる眼差しでフローラに手を差し出した。
「行こう!」
「ーっ、うん!」
迷わずその手をとって走り出した。
エミリーの病はもう完全に治っていて、彼女は本当ならあそこにはもう居ない筈だ。さっきだって、後夜祭の屋台ではしゃいでる元気な姿を見かけたばかりである。なのに、どうして、胸騒ぎが収まらないのか。
(お願い二人とも、病院に居ないで……!)
必死に祈りながら、フライに手を引かれて夜の森をひた走る。しかし、不意にフローラが足を止めた。
「痛っ……!」
「ーっ!大丈夫かい?無理して走るから悪化した?」
足首を押さえて屈むフローラに気づき、フライがそこに優しく触れる。一度はしっかり冷やした筈の患部は、無理をしたせいか再びズキズキと痛み出し、熱を持ってしまっていた。
「完全な捻挫だね。治療……は、指輪がないから出来ないのか。なら……!」
「ーっ!ちょっ、フライ!?」
本来なら一瞬で治せる程度の傷なのに、いつも人ばかり助けている彼女が、肝心なときに治せずに痛みをこらえている姿。それを目の当たりにしてどうして黙って居られるだろう。
「応急処置とはいえこんな物で悪いけど……固定すれば少しは痛みも軽くなる筈だから」
「でも、フライのシャツが……っ」
「シャツなんかより君の方が大切に決まってるだろ!!」
「ーっ!」
フローラの治療の為に使える布が無く、シャツの袖を切り裂いたフライがそう声を荒げた。
ドクンとフローラの心臓が跳ねたのは、声の大きさに驚いたからか、彼の真剣な眼差しに滲む熱い想いのせいか……。それを考えるより早く、フライがフローラの身体を抱き上げる。
「病院まで抱えて行くから、しっかり掴まって!」
「で、でも私重いよ!?しかも今はドレスが水吸っちゃってるし尚更……っ」
軽いリップ音と同時に、フローラの言葉が止まった。フライに姫抱きにされた体勢の彼女の唇に、何か柔らかい物が一瞬当たったからだ。
「な、フライっ、今っ……!」
「……大丈夫、羽みたいに軽いよ」
『だから、掴まえられないのかな』と自嘲気味に笑ったフライが、自らの唇を舌で舐めた。妙に艶やかなその仕草と、自分の唇に残る感触に、顔を真っ赤にしたフローラは両手で口元を覆った。
(少女漫画とかではよく見る場面だけど、いくら仲のいい幼馴染みでも黙らせる為だけにキス出来る……!?)
大パニックだ。
しっかり自分を抱えながら走るフライの顔は、いつも通り涼しげだけど。何を考えてるのか、見上げているフローラからしたらさっぱりだけれど。同時に、先程泉で抱き締められた時の、彼の言葉が耳に甦る。
『僕のものになってよ……っ!!』
心の底から絞り出したような、切なすぎる声だった。あの時早鐘を打っていたのは、フローラの心臓ではない。
フライのあの台詞の続きは、まさか……と思いかけて、自意識過剰だと首を振った。全部落ち着いたら、あの時何を言おうとしてたかちゃんと彼に聞いてみようと、こっそりと誓う。
「ーっ!」
「きゃっ!」
どれくらい考え込んで居ただろうか。気づけばもう二人は病院を守る結界の要である噴水の前に居て。
限界を迎えたフライが、そこでよろけたのだ。鍛えていて十分引き締まった体と言ってもフライはパワータイプじゃないし、そうでなくともドレスと言うものは重い。大分無理をさせてしまったのだろう。
遠慮無くここまで運んで貰ったことを後悔しながら、フローラは震えるフライの腕から降りた。
「……っ、病院はここなんだね?解除の鍵は持ってる?」
離れていくフローラに無意識に伸ばしかけた右手を自らの左手で制しながら、フライがフローラに問う。頷いて、フローラは噴水の女神像を使い病院を覆い隠す結界を解除した。
途端に、辺りに霧が立ち込める。それが晴れた時、フライは彼女の手を掴んでおかなかったことを心底後悔した。
悪夢のように燃え盛る病院が現れるのと引き換えに、フローラの姿は忽然とその場から消えてしまったのである。
~Ep.300 転移する少女達~
『彼女はそうしていつだって、この手をすり抜け飛んでいく』




