Ep.299 護りたいもの
気持ちが悪い。じっと座り込んでいるにも関わらず脳が揺さぶられるような感覚に、吸わされた薬が危険なものだとはマリンに言われずともわかった。特殊な毒物ならば、既に現存している薬剤での解毒は難しいであろう事も。
「……いい加減にしろ、マリン・エターナル」
「ーっ!!」
そして、本当に死に至るような劇薬ならば、今すぐにでも目の前のマリンの唇に乗っている解毒剤を飲まねば危険だとまで理解して尚、ライトは彼女の肩を押し退けた。かつてフローラから聞いていた、彼女の“本来の名”を呼びながら。
「なっ、何よ!ここまでやってるのに何も感じないわけ!?大体、何でアンタがその名前っ……!まぁいいわ!もう毒が回るまであと三分も無いのよ!?」
「あぁ……、っ!したくもない事は、出来ない主義、なんでな……」
「~~っ!男なら可愛い子のつまみ食いくらいするもんでしょ!まだゲームの期間じゃないし、100歩譲って今好きにならなくても許してあげるからほら!」
剣の力で少しだけ毒の回りが遅くなっているのか、ライトはまだ少しなら体が動く。
再び迫ってきた少女の体を、今度こそ完全に自分から引き剥がした。
「俺が触れたいのも、護りたいのも、フローラだけだ……。お前じゃない、キスなんて出来ない」
静かな声なのに、妙な凄みがあった。
気圧されて黙りこんだマリンの肩に自らの上着をライトが投げる。
なんの真似かと、マリンはヒロインのふりも忘れてライトを睨み付けた。そんな彼女に、ライトは告げる。
「第一、お前も女の子だろう。……軽々しく自らの身体を使ってないで、もう少し自分を大事にしたらどうだ?」
単に、いくら嫌な奴でも女性をあられもない姿のまま放置は出来ないのは皇子として育てられた性なのか。でもきっと、優しすぎる彼女は、自分のこの行動を非難したりはしないだろう。それだけで、この後誰からどんなに非難されようが、大丈夫だろうと思えた。
(なるほど、ここまで溺れておいて無自覚だったなんて……)
体は苦しくて仕方がないのに、あまりの自分の鈍さに苦笑が漏れた。そして同時に思い出す。マリンが先ほど、『フローラを始末する算段がある』と口を滑らせていたことを。甘い感情は吹き飛び、一気に頭が冷える。
「今回はそれどころじゃないから見逃してやるが、あいつに万が一のことがあってみろ。俺はお前を許さない」
鋭い視線に射ぬかれこれでもかと言うほど目を見開いたマリンの唇には一切触れる事無く、ライトは今度こそ結界から抜け出して行く。制限時間の10分は、当に過ぎてしまっていた……。
「……っ!」
「おっと!」
ガラス張りの空中庭園から地上に続く展望階段。その中段まで降りたところで傾いだライトの身体を、後ろから誰かの腕が支えた。
もう瞳を開けるのも億劫だ。声と気配だけでも十分に誰だかわかる、わざわざ顔を見る間でもない。
「全く、迎えが遅すぎる。……減俸、対象だな……」
安堵と共に口から漏れたのは、そんな皮肉混じりの言葉だったけれど。声にならない声で主君の口が『ありがとう』と動いたことに気づいているフリードは、何も言い返さずライトの身体を階段の段差に座らせた。
「待て、フリード……。俺のことは、いいから、……あいつの、フローラの居場所はわかるか?無事かどうか、確かめないと……」
死んでいないのが奇跡的な状態だ。なのに自身の治療より彼女の安否を訪ねるライトの姿に、ようやく主君が自覚したことをフリードは悟る。
『自分で見に行く』と無理に立ち上がろうとしてまた倒れ込んだ主人の姿を見ていられなくて、フリードはライトの額に手を添えた。まるで、親が我が子の熱を測るときのように優しく。
「……?」
冷却シートに熱を吸われるように、すっとライトの苦しみが消えた。
「フリード、お前今、何を……?」
「何って、解毒剤ですよ。主人の体調管理は万全にしておくのも、従者の勤めです」
そう笑ったフリードは、ライトに触れていた方の手を背中に隠しつつ、反対の手で小さな香水瓶を振って見せた。揮発性の解毒薬でも、持ち歩いていたのだろうか。
何の匂いも、霧吹きを押した気配すらしなかったがと違和感に首を捻る。しかし、それより、今は。
「フローラはフライと後夜祭に参加している筈だよな、俺はそちらに行ってくる。フリードは、エドとエミリーを保護してくれ。シュヴァルツ公爵がここに現れなかったと言うことは、子供達の方に向かった可能性が高い!」
「ーっ!フローラ様の方へご案内しなくて良いのですか?愛しい方を最優先したいでしょう」
「ーっ!」
悪戯に笑う従者に、ライトの顔が朱に染まる。しかし、その顔はすぐに毅然とした表情に変わった。
「フローラは、エド達を助けたがってるんだろう。あいつが大切にしたいものを、俺も護りたい。第一、あの二人はフェニックスの民だ。自国の民には、幸せであって貰わないとな。だから、そちらは任せたぞフリード」
本当は、全て投げ出して今すぐにでも彼女の元へ走りたい気持ちがある。けれど、二人を見捨てる選択肢を取らない主人に心から敬服して、フリードも答える。
「えぇ、仰せの通りに」
ライトが満足げに頷き、足早に走り出そうとしたその時だった。
ガラス越しでも響くような爆発音と共に、東の方が一瞬明るくなったのは。
「……っ!」
「殿下!?ちょっ、ここまだ三階ですよ!!」
方角的に、彼女が居たとしてもおかしくない位置だった。窓を開いたライトは、高さに躊躇うこともなく手すりに手をかけ、ひらりと飛び降りてしまう。
驚いて下を覗き込んだフリードの制止も聞かず、見事地面に着地したライトは、一目散に走っていってしまった。
どんな邪魔が入ろうが惹かれてしまう、たった一人の少女の為に。
~Ep.299 護りたいもの~
『理由はひとつ、愛ゆえに。炎の皇子が夜を駆ける』




