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Ep.296 ヒロインの瞞着手段

  フライに手を引かれて去っていくフローラを見送った後、エドガーははしゃぎ疲れてうたた寝した妹を噴水の結界に守られた病院へと連れて来た。

  馴染みのある病室のベッドに下ろされたエミリーはぼんやりと辺りを見回し、不思議に思う。自分はもう元気になった筈なのに、なぜまた病院ここに来なければならないのかと。

  だから、サイドボードから白いシルクで大切に包まれた棒状の何かを取り出している兄に、その疑問をそのままぶつける。


  エドガーはそんな妹の身体に優しく毛布をかけ、手のひらで頭を撫でた。まるで、不安を取り除こうとするように。


「いいかエミリー、今夜は寮には戻らずに、ここで寝るんだ。明日になったら、迎えに来るからな」


「どうして?エミリーもう病気じゃないでしょう?」


「……ごめんな。でも、今日が最後だから、我慢してくれ。明日になったら……」


  そこで、不自然にエドガーが言葉を切った。エミリーは大人しく続きを待ったが、エドガーは頭を振って話を切り替えてしまう。


「明日からは、普通の日常が待ってるから。元気に学校に通う為にも、今夜はここでゆっくり休むんだ」


「お兄様は一緒に居てくれるの?」


「……そうしたいけど、人に会う約束があるんだ。ごめんな、いつも寂しい思いをさせて」


  簡素なベッドに横たわったまま、エミリーが首を横に振る。


「寂しくなんかないよ。お兄様がいつも私を一番大事にしてくれてるって、わかってるもん。フローラ様ともこの間お話したの。“世界一のお兄様”だって」


  妹のその言葉に、エドガーが目元を押さえながら、もう片方の手で棒状の何かと、失くさないようビロードのケースに入れた指輪を握りしめる。

  熱くなった目頭が平常に戻った頃には、妹は再び夢の中へと旅立っていた。最近よく話していた、動物と遊ぶ夢でも見ているのだろうか。その穏やかな寝顔を、守りたいとエドガーは思う。


「……俺はもう、誰かの駒にはならない」


  見上げた満月に向かい呟くのは、生まれた時から父に、兄に、そしてヒロインに利用され続ける運命を強いられた少年の、初めての決意。

  そのたったひとつの思いを胸に病室を後にしたエドガーは、妹がつけたままの黒猫の耳がまるで生き物のように動き始めていることに気づかず、マリンとの待ち合わせ場所へ向かうのだった。













ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「ライトー、これ何?いけないんだよ、私物買うのに生徒会の予算使っちゃ」


「馬鹿言うな。劇用に発注した剣の領収書だろうが」


「えー?じゃあなんで二枚来てるの?」


「片方は俺が個人で買ったんだよ、名義がちゃんと俺宛になってるだろ?ったく、ふざけてないで真面目に働けよ。フライ達が夜抜ける分、俺たちは昼間休んだんだから」


  はーい、と間延びした返事を返すクォーツが、視線を時計に向けて一瞬瞳を細めた。

  釣られてライトもそちらを見る。もう後夜祭は始まっている時間だ、今頃、フローラはフライと一緒に居るのだろう。

  実際にその場面を見ている訳でもないのに、フライの隣で笑っているフローラの姿を想像しただけで、心が言い様のない不快感にざわめき立つ。その理由となる感情は、嫉妬心とクォーツからのアドバイスのせいで枷が外れて溢れだす寸前だ。これ以上刺激すれば、今にも爆発してしまうだろう。


 だからそれを振り払うように、束ねた書類を机に置いて立ち上がった。それを見たクォーツが、今度は心配そうに目をすがめる。


「もう行くの?」


「あぁ。相手は公爵家だし、あちらも俺に色々知られてることは気づいてるだろう。下手な細工をされても面倒だし、少し早めに行ってくる。……あとは頼むな」


「うん、任せて。……ライト!」


「ん?」


  来賓としてやって来たシュヴァルツ公爵を出迎えるべく出ていこうとしたライトを、クォーツが呼び止める。


「聖霊王の剣、持っていかないの?あれが無きゃ、フローラに何かあってもわからないんじゃ……」


  不安げな眼差しに、クォーツも心底彼女を案じているとわかる。だから笑って、ライトは答えた。


「大丈夫、肌身離さず持ってるよ」


「そ、そう?なら良いけど……」


  パタンと、ライトが出ていった扉が閉まる。それを確かめてから、クォーツは一人で首を傾げた。


「……どう見ても、手ぶらだったけどなぁ……」










ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

  シュヴァルツ公爵を迎える為に学院側が用意したのは、温室の屋上に当たる空中庭園だ。あまり知られていないが、客間だけでなくベッドまで用意されているここは、所謂VIPルームなのである。


(こんな場所で、自国の公爵を断罪とはな……。エド達の為にも、極力穏便に済ませたいが)


  難しいだろうなとため息を溢しつつ、教師から預かった鍵をガラス戸に……刺そうとして、止めた。鍵が既に開いていることに気づいたからだ。


「妙だな、到着まであと一時間近くあるのに……」


  慎重に扉を開き、足音はたてずに奥へと進む。


「……っ!」


  不意に吹いた強風に、反射的に瞳を閉じた。

  ゆっくりと瞳を開けば、辺りに舞うのは闇をそのまま固めたような漆黒の花びら。その先に有るのは庭園の中央、透けて夜空を映す天外付きのベッド。


「ようこそ、私の皇子様」


  本来なら誰も居ない筈のその場所で、悪役のように妖艶に、水色の髪を揺らした少女は微笑むのだった。


     ~Ep.296 ヒロインの瞞着まんちゃく手段~


  



  

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