Ep.295 欲しいものはただひとつだけ
楽しい時間と言うのは、悲しいくらいあっという間に過ぎる。
「フライ、ごめんね。お待たせ!」
すっかり時は流れて全2日間日程の学祭も終盤。目印にした時計塔の下に駆け寄るフローラの姿に、フライが優しく目元を綻ばせる。
その瞬間、チラチラと彼の様子を伺っていた周りの生徒達がその美貌に当てられ数名よろけたのだが、当のフライはフローラ以外は眼中にない。ただ優しく微笑んで、後夜祭用のドレスと髪留めの緑のリボンで彩ったフローラの髪を指先で掬い、口づけた。
「君を待つ時間は苦にならないからね、構わないよ」
「……っ!もう、またそうやってからかって……。周りの女の子達からの視線が怖いわ」
一瞬怯んだが、大分耐性のついてきたフローラは気を取り直して笑った。それを見て、フライもクスリと笑って謝りつつフローラの手を取る。会話こそ聞かれないように声量を抑えて居るが、端から見ればさぞ似合いの婚約者同士だろう。互いの想いが同じかどうかは別として。
「じゃあ行こうか、緊張したあとで疲れているだろうし、人混みの少ない方からが良いね」
「えぇ、さっきはありがとう。本当に助かったわ」
双方に注がれる異性からの羨望の眼差しをチラチラ気にしつつも、フローラが少しだけ疲れた様子で笑う。と、言うのも、フローラはつい先程、数年ぶりに人前でバイオリンを披露してきたばかりなのである。しかも、コンサートへの飛び入り参加で。
「司会進行をしていた三年生に聞いたけど、嫌がらせで手を痛めて参加出来なくなった生徒を庇って飛び入りしたんだって?全くもう、無茶するんだから」
「だって、黙っていられなかったんだもの。それに、代理の演奏の方は上手に出来たんだよ?課題曲、昔フライが私に教えてくれた曲だったんだから」
「はいはい、ちゃんと聴いていたよ」
そう、自信を持って弾ける曲だったからこそ尚更、見て見ぬふりはせず助けに入ったのだ。そのあとで、まさか追加で異様に難易度の高い曲を弾かされそうになるとは夢にも思わなかった。
むくれるフローラに笑いながら、フライは人混みを物ともせずフローラが歩きやすいようにリードしてくれる。頭が回り立ち回りも上手く抜け目のないフライは、ライトとはまた違った方面で頼もしい人だ。心底そう思う。
フローラが無事演奏を終えた直後に『皇女様ならもっと素敵な曲が弾けるでしょう?』と声を上げたマリンに、フローラが庇った生徒をいじめていた令嬢達が乗っかり、あれよあれよともう一曲弾く流れになったのだが、渡された楽譜はあまりに複雑で、とても初見で弾けるような物では無かったのだ。どうにか出だしは弾けた物の、フローラの演奏が途切れ始めるのにそう時間はかからなかった。
そんな時、特別演奏としてフライが即興でフローラの音色をカバーし、2人のアンサンブルは見事観客たちを唸らせたのである。
「フライが即興で私の演奏に混ざって来てくれた時は、本当に天の助けだと思ったよ」
「大袈裟だな、ちょっと演奏の手助けをしただけさ」
「あれで“ちょっと”なら私の演奏が“ちょ”で途切れちゃうよ」
「何それ、変なの」
フライが前を向いたまま、小さく喉を鳴らして笑う。そして、ふと振り向いた。
「でもまあ、感謝してくれてるならこれもまた貸しにしておくよ」
「えっ……!」
「何だかんだ、初等科の頃の貸しも返して貰ってないからずいぶんと利息も溜まってるね。さぁ、何で返して貰おうかなー」
「ちょっ、ちょっ、ちょっと待ってくださいお代官様ーっ!!」
もちろん冗談だとわかっているが、相手がフライだと何だか洒落にならない気がする。
あはははっと年相応に笑い声をあげるフライの腕にしがみつくようにして弁明するフローラだったが、不意に足になにかがぶつかったような気がした。
ころんと簡単にひっくり返りそうになったその体を反射的に受け止めてから、フローラは目を見開く。
「ーっ!エミリーちゃん!」
「フローラ様!こんばんわ!!」
「えぇ、こんばんわ。エミリーちゃんとエドガー君も来てたのね」
フローラの足にぶつかったのは、簡素だが丁寧に手入れされたドレスに身を包んだエミリーだった。その一歩後ろに立っていたエドガーも驚いた顔をしていたが、あわてて頭を下げる。
「後夜祭は不参加のつもりだったんですが、エミリーがいつまでも粘るからこんな時間に……」
そう言って苦笑するエドガーの手にあるのは、プラスチックで出来たカラフルな輪っか。辺りを確かめれば、淡い灯りをにじませる提灯と軽快な太鼓の音が耳を掠めた。間違いない、これは縁日だ。
「お、お祭り……?」
「あぁ、アースランド出身の生徒達がどうしてもと言うから許可した縁日のエリアだね」
「すぐ横は野外舞踏会の会場になってるせいでものすごくミスマッチ!」
思わず突っ込んでしまったフローラだったが、でも冷静になって屋台を見ていると、やはり元日本人としてはわくわくしてきてしまうわけで。すでに心は屋台に傾いているフローラの袖を、エミリーが可愛く引っ張った。
「ねぇフローラ様、私あの猫さんのお耳のカチューシャが欲しいんです。とれませんか?お兄様がさっきから頑張ってくれてるけど、一個も取れないんです」
視線をフローラとフライに向けられると、エドガーは手にしていた輪をサッと背中に隠した。エミリーと2人で顔を見合わせてから、フローラはエミリーからピンクの輪っかを受けとる。
「よし、折角だしやってみようかな!フライ、いい?」
「一回くらいなら構わないよ、頑張って」
「わぁ!頑張ってください!!」
フライとエミリーに応援され投げた第一投。その輪は、エミリーの狙いの黒猫カチューシャに続く棒にぶつかり、跳ね返り……
「……あ」
スポッと、フローラの背後で腕組みをして立っていたフライの頭に引っ掛かった。
瞬間、辺りに居る全員の眼差しが逃げるようにフライから逸らされる。慌てたフローラが、頭にピンクの輪が引っ掛かると言うシュールな事態になった美貌の皇子に駆け寄った。
「ごっ、ごめん!まさかこうなるなんて……!」
「フローラ……、わざわざ後ろに輪を飛ばすほど僕が欲しかったの?」
「ちっ、違うよ!!!」
咄嗟に全力で否定してしまったフローラに、フライが悲しそうに少しだけ目をすがめる。が、すぐにいつもの顔に戻り、輪投げの方へと歩き出した。
「……ふ、フライ?」
「仕方ない、僕がやるよ。エド、残りのリング全部貸して」
「はい!」
フライがエドガーから受け取った輪っかは7つ。景品に繋がるポールも7本。
その位置関係をしっかり確認したフライはなんと、7本の輪っかを一斉に放り投げた。
まるで生きているかのように宙を舞ったそれは、7つとも全て吸い込まれるように景品のポールへと落下した。
一瞬、辺りを包む静寂。
「す、すっごーい!!まさか全部いっぺんに入っちゃうなんて!!!」
「ふふ、これくらい簡単だよ、風さえ読めればね」
わぁっと上がる歓声にも浮かれず、微笑んだフライがエミリーにカチューシャを渡す。そして、さぁ行こうかとフローラに向き直った。
「そうね。……あら?なんだろ、あの光…」
立ち上がった視線の先、賑やかな祭の喧騒から大分外れた先で、淡く輝く光が浮かんで消えた。
その美しさに足を止めたフローラに、エドガーが説明してくれる。
「多分、高等科に繋がる森にある泉だね。異性と訪れた時に今の祝福の光が見られて、かつその光が消えてしまう前に思いを相手に告げることが出来たら、二人は永遠に結ばれるとか」
「ーっ!素敵ね……。この学院、そんな伝説あったんだ」
「まぁ光は実際にはただの蛍みたいだけど。それより……その、指輪なんだけど。今部屋に置いて来ちゃってるから、明日で、いい……?返すの」
泉に想いを馳せるフローラを、気まずそうなエドガーの声が引き戻す。
一瞬考えたが、フローラらエミリーを強い意思を込めた眼差しで見ているエドガーを見て、微笑みを浮かべる。
「えぇ、大丈夫よ。今日は兄妹でお祭りを楽しんだ方が良いものね」
そう頷くと、エドガーは安堵と諦めが混ざったような、何とも言えない顔をした。しかし、フローラはあえてそれを見なかったことにした。選ぶのは、彼自身だ。
エドガーが指輪を“誰に”渡すか決めた時に聖霊王がかけたある術が発動することを知っているフライもまた、去っていく兄妹に野暮な指摘はしなかった。
そうして二人を見送り、フローラが余った景品を抱えたフライに視線を移した。
可愛いぬいぐるみや花のネックレス、かと思えば盾やモデルガンなど、らしくもなく無駄な物にまみれたその姿が珍しくて笑ってしまう。フライは苦笑交りに、店の担当者に要らない景品を返していた。
「あれ、返しちゃうの?」
「まぁね、はしゃぐようなことではないし、第一に要らないし」
「えー?十分凄かったけどなぁ。でも確かに、フライは『どうしてもこれが欲しい!』とかなってゲームに熱中するタイプじゃないか」
笑いながら何気なく言った一言に、フライが足を止めた。そして、すぐ隣に立つフローラにすら聞こえない程の声で、呟く。
「あるよ、……ひとつだけ。狂おしいくらいに、手にいれたいもの」
「え?なんて?お囃子の音でよく聞こえなかった」
「……何でもないよ。それより、行こうか。さっきの泉、見てみたいんでしょう?」
「ーっ!!」
差し出された手と提案にフローラは瞳を輝かせたが、ふとエドガーの言っていた”恋愛成就“の伝説にライトの姿が頭を過って、その手を取るのを止めてしまう。
しかし、下ろされかけたフローラの手をフライが無理やり取って、歩き出す。
「……一緒に行くのが僕では不満?」
そう囁やかれて、思わず首を横に振った。
安心したように笑うフライのその笑顔が、眼差しが、いつもと少しだけ、違うような気がした。
~Ep.295 欲しいものはただひとつだけ~
『何も欲張っちゃ居ないのに、どうして手に入らないのだろう』




