Ep.292 決断を下すのは自分
「……ねぇ、僕さっきからすごく気になってる事があるんだけどいいかな」
「ん?いいよ、何?」
部屋まで送ってもらう途中、徐に振り向いたフライがそう切り出した。フローラが同意すると、白い指先がフローラの抱き抱えている紙袋を指差す。
「それ、一体なんなの?」
「フランスパン!焼きすぎちゃったから一本あげるね」
「うん、ありがとう。でも何でパン……?」
色々と疑問が渦巻くフライだが、ニコニコと笑っている好きな子に差し出された物は断れないものである。紙袋を開けば、ふわりと甘く香ばしい香りがした。
「……中々スタイルのいいフランスパンだね」
「あはは、伸ばすときに真ん中がちょっと窪んじゃって……やっぱ変?」
「いや、良いんじゃない?こういうのもまた、手作りらしい温かみがあるよ」
フライのその言葉に、フローラが安心したように微笑む。そして、ふと思い出したことを呟いた。
「手作りって、普通の貴族の人達にはあんまり馴染みが無いみたいなんだけど、エドガー君達のお母様は昔から体が弱くて外に出られなかった分、室内でできる簡単なお菓子作りとかがお好きだったんだって。特に、具合が悪いときでも食べやすいプリンが得意料理だとか」
「へぇ、だからプリンを……。手っ取り早く胃袋を掴む作戦に出たわけだ。しかし詳しいね、どこからの情報?」
ドキリとしたが、まさか前世でやっていたゲームからだとは口が裂けても言えない。だから、『企業秘密です』と唇に指先を当てて笑って誤魔化した。
この手のやり取りももう何回目かわからないほどだ。フローラが答えやしないとわかっているフライも、秘密なら仕方ないなと微笑むだけで深くは追及しない。
「ところで、エミリー嬢が無事回復したのなら、エドをこのままこちら側に縛り付けておく必要は無いんじゃないのかな。何があるかわからないし」
話をそう切り替えたフライの問いに、フローラは首を振った。
「ううん、だからこそ今はまだ、あの子を独りに戻しちゃいけない時期だと思うの。野心家と名高いシュヴァルツ公爵がそう簡単に諦めるとも思えないし、それに……」
ゲームでは、学祭の最終日の夜、エミリーの命を救うか否かで運命が大きく変わる。エミリーが無事元気になったとしても、もしかしたら“病死”と言う点が事故などに変わるだけで、似た出来事が起こりうるかもしれない。何せゲームのシナリオは、この世界では神が定めた運命のようなものだ。
(運命を壊す為に、私は戦ってるわけだけど……)
「でも、学祭当日は皆何かと忙しくてずっと一緒にはいられないだろう?ましてや、期間中はあのマリンも学院に戻ってくるんだ。エドがまた絆されてしまったら……」
苦言を呈するフライは、いつもと何ら変わり無い涼やかな表情だ。でもフローラは、ほんのわずかにその声音が普段より暗いことに気づいている。フライだって、何だかんだとよく働いてくれて、しかも純粋に自分に憧れているエドガーを今更疑いたくは無いのだ。
もちろん、フローラも同じ気持ちである。あるけれど……だからこそ。そろそろ仕掛けが必要だ。
「大丈夫よ、時間なんて上手くやれば少しは作れるし。最終的に誰を信じるのかは、エドガー君自身が選ぶことよ。今はまだほんの少し、迷いがあるみたいだけど……」
「迷い?」
フライに問われ、頷いた。
エドガーが持っていた、エミリーの心臓移植についての父からの書状の破片。きっと臓器売買の証拠になるだろうとそれを復元した際、無機質な白の便箋と共に、豪奢に金で縁取られた水色のカードがフローラの手元に現れた。恐らく、一緒に破られてしまっていた内緒のカードの破片が偶然混じっていて、それが復元されたのだろう。
差出人は言うまでもない、マリン・クロスフィードだった。
(……エミリーちゃんの病気を治すと持ちかけたのも、あくまで目的を果たすために言っただけで本気じゃなかったんだろうけど。舐めないで欲しいわ)
マリンの狙いは、あくまで指輪だ。ヒロインの証とも言える、唯一無二の輝く力。だから、あんな手紙がエドガーに届くのだろう。
『一刻も早く病気を治して貴方の妹の心臓を他人にあげなくてすむようにする為には、フローラ姫に盗まれた指輪と、ライト皇子が持っている剣が必要なの!お願いよエド、とってきて!!』
続く二枚目に受け渡しの日時が指定されていたようだが、そこまではわからなかった。
だが、その“とってきて”が“盗ってきて”に見えたのはきっと、見間違いではない筈だ。
「……エドガー君ね、私にライトのお母様の遺したっていう日記をくれたの。今朝」
「ーっ!」
「こんなもの、下手したら持っていたと知られるだけでエドガー君も罪に問われてしまうわ。それなのにこれを私に渡した、それがあの子の答えだと思うの。学祭が無事終わるまでは、まだライトには言わないけど……」
そう言って小さく拳を握ったフローラの手を見て、フライはようやく気づく。その指に、聖霊女王の指輪が無いことに。
「身を守る鉄壁の防御まで外しちゃって、どうして……」
『そこまでするのは、エドが彼の国の民だから?』
その呟きは、フローラには届かなかった。
「あ、ここでいいよ!ありがとう」
「……っ、待って!」
女子寮へと繋がる扉の前で走り去ろうとしたフローラの手を、フライが掴んで引き留める。『どうしたの?』と聞いたが、フライは瞳を一度閉じて、大きく深呼吸をした。何か、迷いを断ち切るように。
「エドの件はわかった、僕も極力は信じるようにするよ。その代わり……」
「その代わり?」
繋がれたままの2人の手を、吹き抜けた強風が揺らす。しかし、フライは手を離さないまま、笑う。
「学祭の間、どこか少しだけでいい。2人になれる時間をくれない?」
少しだけ切羽詰まったようなその声が、秋風に浚われ消えていく。
首を傾げながらも、真摯な態度に圧されたフローラがフライの提案に頷いた頃。
ライトの部屋の前では、ある訪問者が思い詰めた表情で扉を叩くのだった。
~Ep.292 決断を下すのは自分~
『どんな結末も受け入れる為に、そうでなければならないのです』




