Ep.291 お姫様は案外酷い
学祭前の忙しい日々において、夕食前に自室で過ごすわずかな時間は、ライトの唯一の自由時間である。が、その僅かな憩いの時間の筈の今、ライトはフライと向かい合って頭を抱えていた。それもこれも、先程フリードから聞いた報告の内容のせいだ。
「政略結婚に使えないとなったら、我が子の命さえ迷わず金にする……、近年希にみる下衆だね。婚約を打診されて丁重に御断りしたと言う皇太子様は、ちょっとは罪悪感湧かない?」
「それは、俺への当て付けのつもりか……?もちろん感じるところがあるから、対策の為にお前を呼んだんだろ。移植に同意した相手方はスプリングの貴族だそうじゃないか」
エミリーとの婚約をライトが断るや否や、シュヴァルツ公爵はまだ存命である娘の臓器を各国の高位貴族に提供する事に決めてしまったと、調査に行ってきたフリードから聞いた。
「魔力性の悪性腫瘍は、患者が他界すると腫瘍の原因である魔力が消え、亡骸自体は健康な状態に戻ると聞きます。皮肉な話ですが、臓器提供にこれほど適した案件はないのでしょうね。フライ様、紅茶のおかわりは如何でしょう?」
「……気の毒な話だね。あぁ、貰うよ。砂糖は要らないからね、君の主人と違って」
「えぇ、存じ上げておりますよ」
「フリード、俺にもくれ。いつもより甘めで」
「畏まりました。……おや、こんな夜分にお客様のようですね」
憂いを乗せた表情のフライと、疲れた様子のライトからティーカップを受けとったフリードが立ち上がったところで、扉が外から叩かれる。執事らしく来客の対応に向かったフリードが開いた扉から飛び込んできたのは、なにやら細長い紙袋片手にプンプンと怒りのオーラを撒き散らすフローラだった。
「ライト、大変なの聞いて!!エドガー君のお父様、酷いのよ!!」
「フローラ!?お前っ、どこから聞いてた!!?まさか……」
まさか、フローラを差し置いて別の家から婚約を持ちかけられたことも聞かれていたのだろうか。そう不安で動揺したライトに聞かれたフローラは、きっぱりと答える。
「エミリーちゃんとの婚約を持ちかけられた話はどうでもいいから!それより、あの2人をシュヴァルツ公爵から離さないと!」
フローラの言葉に、ライトはガーンと頭を固い何かで殴られた気がした。服の上から胸元を押さえて、よろよろと壁にもたれかかる。
「どーでもいいですか……、そうですか。やべぇ、なんか泣きそう……」
「ーー……ふっ」
「殿下、お可哀想に……」
「おいそこ、何笑ってんだよ!!」
あからさまに鼻を鳴らしたフライと、目元をハンカチで拭う仕草をしつつ顔を背けて肩を揺らすフリード。どちらにせよ、笑っているのはバレバレだ。
それを叱ってから、ライトは改めて背筋を伸ばす。
(……っ、俺も何ショック受けてんだよ。フローラが気にしてないなら良いことじゃないか)
だから傷ついてない、自分は断じて傷ついてなんか居ない……。そう自分に言い聞かせるライトを余所に、フローラは続ける。
「何騒いでるの?ちゃんと断ったんならいいじゃない。そりゃ気にならないよ。ライトが婚約者が居るまま他の縁談受けるなんて不誠実な真似するわけないもの!!」
その瞬間、全員が目を瞬かせた。数拍置いてまずフリードが面白そうに目尻を下げ、ライトが毒気を抜かれたように肩を落とす。最後に、笑いに震える肩をようやく止めたフライが立ち上がった。
「まぁそんな下らない話は置いておくとして、フローラが怒っているのはシュヴァルツ公爵が内々に娘の心臓を他家の子に移植する話を進めてしまって居るからでしょう?今丁度、その話をしていた所だよ」
「ーっ!知ってたなら話は早いわ!いくらなんでも酷いでしょ!?もーっ私怒ったんだから!!美貌の公爵様だかなんだか知らないけど、実の子供すら愛せないようなお馬鹿さんは頭つるつるになっちゃえばいいのよ!30年後くらいに!!!」
「ーー……中々気の長い呪いだな、巫女さんよ」
「そもそも、フローラの性格上呪いが上手くかけられるとは思えないしね……」
「しかも、女性が好きな殿方は通常より男性ホルモンの働きが強いそうですから、呪いが効くより先に勝手に禿げてしまうかも知れませんねぇ」
「皆してそんな呑気な……!!」
自己申告した通り、確かにフローラは怒っているのだろうが、如何せん可愛らしすぎて恐くない。ライトが苦笑混じりにその肩に手を乗せた。
「お前の怒りも最もだがな、考えても見ろ。エミリー嬢の病自体は、もう回復したんだろ?他ならぬお前の力で」
「それは、そうなんだけど……」
ライトの言う通りだ。フローラの巫女の力に加え、エミリーとエドガーがようやく互いに素直に向き合ってくれたお陰で、フローラが見舞いに訪れた翌日……つまり今日の昼には、エミリーはすっかり全快した。そしてその事は当然、実父に当たるシュヴァルツ公爵にも報告が行っている。エドガーいわく、まだ音沙汰は何もないそうだが……その沈黙が不気味で恐ろしい。
それに、今まではどんな重症でも一時間かけずに治せていた筈の巫女の力を使ったにも関わらず、エミリーの回復に半日以上の時間を要したことも、妙に不安を煽った。
「まぁ、死に直結するような病の治療なら、多少時間がかかるのも無理は無いとは思うけどね……。本人は何て?」
「さっきチラッと会ってきたけれど、具合はもうすっかり良いそうよ。学祭もエドガー君と回るんだって、楽しみにしてるみたい」
「じゃあ、やはりドナーの件は流石に本人は知らないんだな……。他には?何か言ってなかったか?」
ライトに問われて、夕方に退院出来たのだとはしゃいで訪ねてきたエミリーとの会話を思い出す。が、したのは正直雑談だ。特にめぼしい情報は思い浮かばなかった。
「……ううん、何にも。強いて言えば……入院中から今朝まで、最近ずーっと同じ夢を見るって言ってたくらいかなぁ」
「夢?」
「そう。猫ちゃんとか、色んな動物とお友達になって遊んでる夢だって。最近では、夢の中のエミリーちゃん自身に耳とか尻尾とか生えてきて、自分も仲間になって遊んでるみたいで楽しいって、言ってはいたんだけど……」
小さい女の子特有の、メルヘンチックな楽しい夢だ。でも、その話に何故かフリードがほんの一瞬、眉根を寄せた。
「……フリード?」
「ーっ!なんでしょう、殿下。またおかわりですか?あぁ、そう言えばフローラ様にお茶をお出ししていませんでしたね」
ライトに名を呼ばれハッと我に返ったフリードは、備え付けの簡易キッチンへと消えていく。その後ろ姿を呼び止めたかったが、なんと声をかけていいか、わからなかった。
「確かに毎日同じ夢って珍しいけど、まぁ無いことじゃないしね。ほら、その夢に本人の強い願望が現れてると、何度も繰り返し見たりするって言うじゃない」
「そうなんだよね。エミリーちゃん自身も言ってたんだ。『お兄様が動物が苦手で、自分は大好きなのに飼えないからきっとこんな夢を見ちゃうんですね』って」
「やはり、関係なさそうだね……。不確定要素にかまけていないで、生体臓器移植を行おうとした法律違反でシュヴァルツ公爵を裁いた方が良さそうだ。ねぇライト。……ライト?」
「あ、あぁ、そうだな。元々後ろ暗い事の多い家だ。公爵と言えど、今回ばかりは言い逃れはさせないさ」
『だから、安心しろ』と微笑みかけると、法的な措置が取れるとは言うことに安心したらしいフローラがほっとした様子で息をついた。
「そっか、よかった……。ライトとフライの2人がかりで動いてくれるなら、大丈夫だよね」
「あれ、僕はおまけの扱いなの?悲しいな」
「ーー……」
フライにからかわれ、あたふたしつつも『そんなことないよ』と笑うフローラ。その笑顔に、少しだけ違和を感じた。だからだろうか、フライに部屋まで送ると言われて出ていこうとしていた彼女を、無意識に呼び止めてしまったのは。
「……フローラ!」
「え?」
フローラが振り向いた。しかし、こちらに戻ろうとした彼女をフライが道を然り気無く塞いで制する。自分とフライを交互に見るその表情は、やっぱり不自然な位に、“いつも通り”だった。
「……何か、嫌なことでもあったのか?」
数秒後、ライトの口をついて出たのは、何の脈絡もない質問。
失敗した、と思ったが、その後悔は、ふわりと笑ったフローラの笑みに霧散して消える。
「……っ!ううん、何もないよ。何もないけどありがとう、元気出ちゃった」
一度目を伏せてから顔を上げたその笑みは、まさしく大輪の花のようで。思わずまた胸元を押さえつけた。今度は痛みじゃなく、全身に響くように脈打つ拍動を抑える為に。
「……全く、あれのどこが”悪役”なのか、教えて貰いたいくらいだな」
そう呟いたライトは、今日も今日とて目が滑る、気違い少女からの恋文を暖炉への破り捨てるのだった。
イノセント学院中等科、学祭開催まで後、二週間。
~Ep.291 お姫様は案外酷い~
シュヴァルツ公爵が本当に禿げるのか、それは“かみ”のみが知っている……かもしれない。




