Ep.290 思いをぶつけて
「エミリーちゃんを、他の貴族の子供の心臓移植のドナーに……!?」
噴水の縁に並んで腰掛け絶句したフローラの隣で、エドガーが目を伏せたまま頷く。
「ちょっと待って!エミリーちゃんまだ生きてるでしょう!?生きてる我が子の心臓を他の子にあげるって、シュヴァルツ公爵は正気なの!?そんなの人殺しと変わらないよ!!」
「……正気かはわからないが、本気だよ絶対。看護師が読むからあの手紙には『娘が鬼籍に入った場合には』なんて言い訳めいたこと書いてたけど、調べてみたらもうひと月後には相手方に移植の為にエミリーを差し出す契約書も渡してしまったと……!ふざけるな……っ!!」
破けた手紙の一片を握り締めたエドガーの拳が、大理石製の噴水を叩く。己の手に血が滲むのも構わずに。
(これはゲームにはなかった展開……。実際にゲームに沿ってシナリオが進むなら、エミリーちゃんがドナーとして提供を求められるのは腎臓で、いきなり死に直結する心臓じゃなかった。それに、まだ病状だって容態が急変して死んでしまう程じゃない)
確かに顔色は良くなかったが、医師から聞いたエミリーの寿命はまだあと一年はあるとのこと。にも関わらず、娘を殺してまでその臓器を、我が子の命を金へと変える算段が立てられるだなんて、絶対におかしい。誰かが裏で糸を引いている。確証は無いが、ハッキリとそう感じた。
「看護師達を問い詰めたら、この手の封書が来たのも今回が初めてではないらしい。治療も、最低限で構わないと直筆の書状が来たそうだ」
「……提供相手については?」
フローラが聞いたが、エドガーは首を横に振った。まだ詳しくはわからないらしい。
「……事情はわかったわ。昼食が届かなかったのも、エミリーちゃんを弱らせる為の圧力が病院にかかっているせいかもしれないわね。人命を預かるお医者様が、そんな権力に負けてほしくは無いけれど……」
「だが、この学院で働いている人間は皆、社交界を知る貴族達ばかりだ。権力の恐ろしさを身を持って知る大人は、力の無い幼子の為に自身の立場を投げ出したりはしない。……もう、どうしたらいいんだ……!」
「とにかく、エミリーちゃんが健康になるまで、貴方はあの子から離れない方がいいわ。今夜は病室で隣に居てあげて。寮には私やライトから知らせておくから」
「ーっ!でも、俺が側に居るからって何が出来る!?治るまでって何時だ!!?そんな悠長なこと言ってられない、誰も助けてなんかくれないー……うわっ!!」
「あっ!エドガー君っ、大丈夫!?」
精神が不安定なせいだろう。立ち上がったエドガーが体勢を崩して、噴水に落下した。
噴水の縁に手をついて中を覗き込む。頭から水浸しになって水の中で尻餅をついたエドガーは、目元を覆って泣いていた。
(無理もないよね。まだ13歳の子供に、実の親が妹を殺そうとしているなんて事実……受け止めきれるわけない)
「……とりあえず、上がりましょう?濡れたままじゃ風邪ひいちゃうわ」
「…………どうでもいいよ。どうせもう、何をしてもどうにもならない!」
「貴方がそんなこと言っていいの?妹を護るって、お母様とも約束したんでしょう」
「ーっ!!」
エドガーが目を見開いた。こぼれ落ちた雫の出所は濡れた髪か、彼の瞳か……数的落ちてきた雫が、凪いだ噴水の水面に波紋を落とす。
暫しの間の後、エドガーはなにかを振り払うように立ち上がった。
「だからなんだ!散々頑張ったさ。でも全部無駄だった!使える魔法だって俺は花火だけだ、戦う力にすらならない!何がお母様だ、こんな人生だけ残して勝手にさっさと逝きやがって!!身勝手だっ、本当に俺達のこと大事なら、死んでんじゃねーよ!!!」
「ーっ!」
パァンっと乾いた音が、鬱蒼とした森に響く。痛みを感じるより先に、エドガーは自らの右頬に手を当てる。その場所は確かに熱を持っていた、ひっぱたかれたのだから、当たり前だ。
「ーっ、何すんだよ!」
「甘ったれたこと言うんじゃないの!!誰も助けてなんかくれない?じゃあ貴方は一度でも、誰かに『助けて』って言えたことがあるの?気持ちなんてね、声に出さなきゃ伝わらないのよ!!」
「そ、それは……っ」
「それから、さっきのお母様への暴言は、生きたくても志半ばで天へ召された方への冒涜だわ。撤回なさい」
「……嫌だね、なんであんたにそんな偉そうなこと言われなきゃならないんだ。そんなこと言って、じゃああんたは死んだことがあるのか!!!」
「……っ!」
その一言に、静かな怒りを燃やしていたフローラの顔から表情が消える。
触れてはいけない一線に触れてしまった気がして、エドガーは思わず一歩、後ずさった。
その後ずさる足音で我に返ったフローラが笑う。ごちゃ混ぜの感情を、全て覆い隠すように。
「嫌ね、変なこと言って。あるよって言ったらどうする気?」
「あ、いや、……ごめんなさい。言い過ぎた。でも病室に泊まろうにも、あそこには患者の分の食材しか……。いつもなら予備のパンとかあるけど、今日は無いみたいだし」
「あら、問題ないわ。エミリーちゃんの病気のことはもちろん、食料問題もね」
フローラのただならぬ雰囲気に毒を抜かれたのか、気まずそうに視線を落としたエドガーが噴水から出てこちらに戻ってくる。そのずぶ濡れの頭にタオルを被せ、にっこり笑った。これは誤魔化し笑いじゃないと勘づいたエドガーが、嫌な予感にフローラに背を向ける。その肩を、迷わずガッシリ掴んだ。
「あら、どこへ行くの?病院に戻るんでしょう?」
「あーいや、ほら、パンが無いから食料の調達へ……」
「大丈夫よ。パンが無いなら……」
まさかおやつを食えと言うつもりか、自分はともかく、病人には不健康極まりない行為だ。反論しようとしたエドガーの前で、バッとフローラが制服を脱ぎ捨てる。
「ちょっ!?馬鹿っ、女がそんな慎みの無いっ……」
「やだ、何を赤くなってるの?」
クスクス笑う声に、エドガーが咄嗟に目元を覆った指の隙間からフローラを見る。彼女は、真っ白なコックコートとサロンを身に纏い、赤いタイを首に下げていた。
安心したような、落胆したような不思議な気持ちでエドガーがため息をつく。
「制服の下にどうやって着てたんだよ……」
いや、そこもだが、そもそもその格好はなんだと考えて、エドガーは気付いた。フローラの今の服装が、実家の調理場でパンを担当している職人の服に非常によく似ていることに。
「あんた、まさか……」
「パンが無いなら、一から作れば良いじゃない!!」
「あんたそれで面白いこと言ったつもりか!!?」
エドガーの叫びは、再びフローラが病院への道を開いたことで立ち込めた霧に吸い込まれて消えた。くるりとフローラが振り向く。
「エミリーちゃんのおまじないの件もあるし、今夜はパンとプリンでも食べながら、兄妹水入らずでお話したら良いじゃない」
「お話って、九時には明かり消えるから部屋暗いんですけど……」
「そんな時こそ、花火の魔法の出番でしょ?エミリーちゃんも言ってたよ、世界で一番素敵な花火だって」
「あいつっ、そんなことを……っ」
「『戦えない』のは別に欠点にならないわ。妹を笑顔にするために産み出した魔法、とっても素敵よ。胸張りなさい、お兄ちゃん」
そう言い残してから霧が晴れるのも待たずにかけていったフローラは、エドガーとエミリーの分はおろか病院のスタッフ、患者分合わせて食べても消費しきれないほど大量のパンを焼いて、ライト達にも届けに行くのだとさっさと帰ってしまい。
それを押し付けられ、言いつけ通りエミリーの病室にエドガーが泊まった夜は、病院の外まで明るく照らすほどの金色の光が、ある一病室を照らしたと言う。
~Ep.290 思いをぶつけて~
『孤独な心を癒すのは、他の誰かの思いだけ』




