Ep.288 儚い少女の灯火を
噴水と言うものは本来、水を循環させ吹き上げ、吐き出す。それを人為的な力で循環させたシンプルな物だ。現代日本であれば単に夏場に近くに行くと涼しいとか、ホテルや遊園地にあるものなら夜にはライトアップされて綺麗だとか、そんな程度のただの“建物”だ。こちらの世界に置いても、芸術性が高いものが多いだけで、普通の場所にある噴水は、本当に水を循環させるだけのただの“噴水”である。
「ここね……」
しかし、ゲームの舞台となるここ、イノセント学院にある十の噴水たちにおいてはその限りではない。今フローラがたどり着いた黄昏の噴水はもちろん、他の9ヶ所にも、ひとつひとつある術がかけられている。
「バッジを女神像の指輪にはめて、三回逆回し……と」
謎のメモと一緒に入っていたバッジをつまんで回せば、カチリと音がある一ヶ所で鳴った。途端に辺りに霧が立ち込め何も見えなくなるが、フローラは慌てない。
数分とたたず霧が晴れると、辺りの景色は一変していた。噴水だけはそのままに、背景にあった筈の鬱蒼とした森は消え、変わりに清潔間のある白い石造りの建物が現れる。光の屈折率を歪めて特定の場所を見えないように隠す、錯覚魔法。それをフローラがはめたバッジが解除したからだ。
その病院の扉が内側から開かれる。出てきたのは予想通り、エドガーだった。
「やっぱり、このメモと錯覚魔法の解除用のバッジはあなたがくれたのね」
「まぁね、約束したなら守らないとだし。にしても、あんたが時間通りに来るなんて、珍しいな」
「あら、失礼ね。私、普段の授業とかはちゃんと時間通りに出てるのよ」
「でもプライベートだとしょっちゅう時間ギリギリになってバタバタしてんじゃん。ま、いいけど」
軽口を叩きながら、エドガーが踵を返す。それに続いて中に進めば、つんとした消毒液のにおいが鼻をついた。
「……ずいぶんと静かね」
「あぁ。噴水を要にした錯覚魔法で部外者が一切入ってこないせいもあるが、元々患者が少ないんだ」
そうだろう。と、後ろを歩きながら内心でフローラは頷いた。
貴族というものは本来、それぞれの屋敷に専属に近い形でそれぞれ腕の立つ医師を抱えていることが多い。故に、我が子が病に倒れたとなれば、大抵の親は実家に戻らせ、お抱えの医師に治療を任せる。故に、この病院に入院させて治療を任せるような家は少ない。せいぜい、お抱え医師はおろか、名医を呼ぶことすらままならないような下級貴族の子の為に、本来この病院はあるのだ。
「お兄様!お帰りなさい!あれ……?」
「ああ、遅くなってごめんな、エミリー。いつも俺と二人では退屈だろうから、今日はお客様をつれてきたぞ」
「そうなの!フローラ様、お久しぶりです!!」
そして、今天真爛漫にフローラを歓迎してくれたエミリーの実家、シュヴァルツ家の身分は公爵に当たる。順当にいけば、王族に次いで強い力を持つ家名だ。専属医を持たない筈がない。それなのにエミリーがここに追いやられているのは、彼女達の父にとって、二人の子は結局政略のコマでしかないと言うことだろう。胸が痛くなった。そんなこと、ゲームのシナリオを定めた制作者や、それを運命と定めたこの世界の神が許しても、自分は絶対許さない。
(すごい邪気……!)
笑顔で抱きついてくる少女の体から、黒ずんだ靄が辺りを染める。それは、通常なら祓うことの出来ない死の影だ。
同じ年頃の子達よりずいぶんと小さなその体を抱き止めながら、フローラは室内に漂う黒い靄に視線を向ける。エミリーの体を中心に、清潔である筈の病室を穢すそれと、真逆の波長を探った。
「おい、なんだその目。虫でも居たか?」
靄を目視出来ないエドガーが怪訝な顔をしたが、気にしない。指輪に優しく力を込めて、部屋全体に目には見えない波動を広げる。
閉めきられた部屋に一瞬風が広がり、エミリーに纏わりつく闇は中和された。もちろん、そんなこと普通の人間である二人には目視は出来ないのだが。
「ー?お部屋がちょっと明るくなりましたね、どうしたんでしょう?」
「あぁ、なんか心なしか……気のせいか?」
流石兄弟だ。
フローラが闇を中和したことで明るくなった室内を見回し、同じような顔で首を傾げている。クスクスと笑いながら、フローラは窓を開いて二人に向き直る。
「さぁ、雲が流れて太陽が出てきたのかしらね。エミリーちゃん、お土産にプリンがあるから、皆で食べましょ?」
「わぁ!プリン大好きです!」
(相変わらず素直で可愛い……!こんないい子が、何でゲームの設定だなんて馬鹿げた運命で病気に苦しまなきゃならないの)
「フローラ様……?どうしました?恐いお顔してます」
「ーっ!ごめんね、何でもないの」
歯噛みするフローラに気づいて不安そうな顔をしたエミリーに、優しく微笑みかける。
「なんでもいいがエミリー、お前は先に薬を飲め。良くならないぞ」
「えーっ!だって苦いんだもん……。それに、 我慢して飲んだって全然良くなんないし……!」
パジャマの裾を握りしめ、エミリーが肩を震わせる。ハッとしたように口をつぐんだエドガーと目が合うと、フローラはわざと大きめな声を出した。
「あら、大変!プリンのスプーンを忘れてきちゃったわ」
「ーっ!あんたな、今そんな場合じゃ……っ」
「一大事だわ、スプーンが無いと食べられないじゃないの。エドガー君、取ってきて!」
「はあっ!?何で俺が……」
「お願い!甘いものは心の栄養にもなるの。食べればちょっとは元気になるわ」
ね?と小首を傾げながらねだるフローラとうつ向いたままの妹を見て、エドガーが諦めたように肩を落とす。
「わーったよ……、3本でいいんだな」
「わーい、ありがとう!よろしくね」
出ていくその背中を、フローラだけが見送った。エミリーがまだうつ向いたままのせいだ。
そんな少女の小さな手を取る。氷のように冷えきった手が逃げるようにピクリと動いたが、逃がさなかった。その小さな命の火を、死に拐われないように。
「今からエミリーちゃんに、ひとつおまじないをかけます!」
「おまじない……?」
ようやくエミリーが顔を上げる。その瞳の中で、聖霊の巫女が微笑んだ。
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『意外と人使い荒いよなあの姫様』とぶつぶつ言いながらも、エドガーは妹の病室から出てた。食堂は無いが、看護師室に行けば食器類位は借りられる。
言いなりになるのは癪だったが、確かにフローラが言う通り、プリンを食べさせてやれば妹も少しは元気が出るだろう。プリンは、母の顔すら知らない妹にとって。そして、あの人からほとんど愛情は感じられないまま育った自分にとって、唯一の母の味がする物だから。
(“甘いものは心の栄養”……か)
どこかで聞いたことがある台詞だ。それを自分に言った人は、もうこの世に居ないけれど。
考え込んでいるうちに目的地についた。暗い考えを振り払い、背中を向けている看護師に向かい声を上げる。
「すみません、スプーンを借りたいんですがー」
「ーっ!エドガー様!い、いきなりいらっしゃらないでください!!」
「はぁ?おかしなことを……。俺、毎日来てますよね?」
カウンター越しに声をかけると、顔馴染みの看護師が慌てたように肩を跳ねさせた。しかもらしくもない強い口調で拒絶され、看護師がエドガーに見せないよう、手にしていた便箋のようなものを机の下に隠した仕草に気がつけば此れはもう、怪しむなと言う方が無理な話で。
高めのカウンターをひらりと飛び越え、エドガーは隠されたそれを取り上げた。
「ーっ!家の家紋が入った便箋……、あの男からの手紙か」
いつも来ているのだから、今さら隠すものでもないだろうに。そう伝えるが、看護師はこんな手紙を見たら自分やエミリーが傷つくと思ったのだと言う。
普段から割りと、病が治らないのはお前達の行いが悪いからだとか、割りと腹の立つ文面ばかりだ。それ以上傷つく内容なんてと、気まずそうな顔をしている看護師から手紙へと視線を移して、そして、頭が真っ白になった。
「あっ、エドガー様!!」
「ふざけるなよ、あの屑親父……!」
手紙をビリビリに破り捨て、エドガーが一目散に病室へと戻る。
閑散とした病室の廊下に舞う紙くずの上で、“心臓移植の同意”の文字が風に流され飛んでいった。
~Ep.288 儚い少女の灯火を~
『消す権利など誰にもない』




