Ep.287 自覚した恋、無自覚な愛
翌朝目覚めると、見慣れては居るが寝起きで目にするのはおかしい、夜空をモチーフにした絵画天井が目に飛び込んできた。生徒会室に併設された、“会長用の”仮眠室の天井である。真っ青になり、飛び起きた。
「今何時!?」
「おそよう、お姫様。ちなみに今は“昼”の12 時だ」
「ライト!え、てことはつまり、私昨日お話中に寝落ちし、た……?」
気まずそうに自分の顔を指差して訪ねたフローラに、ライトが無慈悲にうなずく。大慌てで簡易ではあるが男性用なので高さがあるベッドから飛び降りようとして、毛布に足をとられて体勢を崩した。
「ーっ!フローラ!」
「おっとっと。だ、大丈夫、大丈夫!つまづいただけ!」
反射的にライトが腕を伸ばすより先に、フローラはどうにか自分でバランスを取り直した。そして、ちょーっとは成長しただろうとライトの方に向き直り、首をかしげる。
フローラの転倒に珍しく巻き込まれずに済んだライトは、空のままの自分の腕を見てなんだか不服そうにしていた。
「どうかしたの?」
「ーっ!いや、何でもない。それよりお前、制服に着替えろよ、校内でワンピースのままは流石に目立つぞ」
「はーい。あれ?」
ライトが気を使って出ていった後、夜闇に紛れて動きやすいようにと選んで着ていたワンピースのポケットに、紙切れが入っていることに気づいた。普段フローラの服を管理しているハイネの几帳面な性格上、ポケットに物を残したまま片しておくなどあり得ない。誰かに入れられたのだろうとすぐにわかった。
開いた子犬の形をした可愛らしいメモに記された内容は、『本日午後一時、黄昏の噴水広場に同封したバッジを着けて“一人で”来られたし』だけ。その赤十字に天使の羽が描かれたバッジに、見覚えがあった。
「……よし、まずはエミリーちゃんを助けなきゃね」
予備の制服に袖を通し、壁の一部が鏡になっているのでそこで身なりを整えて。髪に揺れるリボン代わりの白いネクタイに、小さく頬を緩ませる。ライトに関わる物を身に付けているだけで、なんだか守られているような安心感に包まれるから不思議だ。恋をすると、女の子は強くなるらしい。よく少女漫画で目にしたその言葉の意味がわかった気がした。
(ごめんライト、ネクタイもう1日貸してね)
心のなかでそう呟いて、窓からそっと外へと抜け出す。目指すは学院内に設置された十の噴水のひとつ。学院内に唯一設置された病院のへの入り口となる、黄昏の噴水だ。
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「フローラ、着替え終わったか?少し話があるんだけど……、開けるぞ?」
20分待ってもフローラが一向に出てくる気配が無いので返事を待たずに扉を開くと、そこはもぬけの殻だった。一瞬不安になったが、部屋が荒らされた様子はなく、布団や彼女が脱いだと思われるワンピースはきちんと畳まれ、ベッドの片側に寄せられていた。誘拐という訳でなく、恐らく自分で抜け出したのだろう。開いたままの窓から入る秋風が、レースのカーテンを揺らしている。
「全く、油断も隙もないな……」
のどかな気候に釣られ、ライトは一人ベッドに横たわる。フローラが先程まで寝ていたせいだろうか、ふわりと甘いバニラの香りがした。彼女を抱き止める時にいつも感じる、馴染みのある香り。
「ーー……」
天井に両手の平を掲げて、握ったり開いたりしてみる。頭に浮かぶのは、昨日エドガーやフライに受け止められていた彼女の姿だ。
(二人とも、バランス崩して全然抱き止めきれてなかったみたいだけど)
それでも、腹の奥の方が異様にムカついた。拗ねるように寝返りを打つと、不意に辺りが暗くなった。窓際に、誰かが立ちふさがったせいだ。
「フローラ様が自分以外の男に抱き止められているのが、拗ねるほど気に入らないんですか?」
「……っ、別に。あいつに怪我がないなら、それが一番だろ」
入ってきたのは、含み笑いでからかうような態度を隠さないフリードだ。モヤモヤしていた感情の正体をズバリと当てられ、嘆息混じりに答える。嘘ではない、これもまた本心だ。だけど、自ら口にしたそれは、紙にかかれた台詞でも読み上げたように白々しく響いた。
「……素直じゃありませんね。まぁ良いです、それよりどうしますか?シュヴァルツ公爵様から直々に頂いた、御息女様との縁談については」
ピシッと音を立ててライトが固まる。数拍置いてから髪をかき上げるその仕草は、苛立ちを押さえている証拠だ。
「馬鹿言え、そんなもの拒否の一択だ。いくつ離れてると思ってるんだよ!」
「別に男性の方が年上な分には、いくつ離れていようが貴族社会では有りがちな話ではありますがねぇ。シュヴァルツ公爵家を味方につけるなら、思わせ振りで返事は先伸ばして手玉にとるのもありかもしれませんよ」
「冗談だろ、そんな打算的に女性自身を無視して利点のみを選んだやり方、俺は大嫌いだ!それに……」
それに?と聞き返してくるフリードの目を真っ直ぐに見返して、ライトは言い切った。
「俺は、あいつ以外の婚約者なんて要らない」
「……!左様でございますか。……ここまで恥ずかしい台詞が言えてしまうのに、何故未だに無自覚なんですかねぇ」
ブツブツなにかを言っているフリードに、ライトは直筆で縁談を丁重にお断りする旨を記した封書を渡す。返事は早い方がいい。どうせシュヴァルツ公爵はもうすぐ終わりだ。
「シュヴァルツ公爵が今まで散々見下してきた俺に今さら食い付いてきたのは、エドが俺と懇意になりつつあると気づいたからだろう。縁を深めたいと言うよりは、散々虐げてきた三男の口から、俺に……と言うより、王家に自身の悪事がばらされる事を不安がってるだけだ。既に手遅れだとも知らずにな」
そうですねと、苦笑気味にフリードが頷いた。病に伏した我が子さえ政略に利用する。フリードの言う通り、貴族としては有りがちな話だが……心底気に入らない。ため息がこぼれた。
「エミリー嬢は家に帰ってもまともな治療を受けさせて貰えないと言うことで、学院に設置された特別病棟に居るんだろう?恐らく、今頃フローラが会いに行ってるだろうな。病名はなんだった?」
「魔力突然変異性の分裂型悪性腫瘍です。発見は早かったのに、シュヴァルツ公爵が治療を渋っていたせいで転移が早かったそうで。全身に回ってしまっていると」
「……そうか、どうりで」
そこまで進行してしまってはもう、普通の治療ではエミリーは救えない。だからフローラが首を突っ込んだのだろう。魔力性の悪性腫瘍なら、浄化は巫女の力で一発だ。
(それで妹だけじゃなく、散々自分を嫌ってたエドまで助けようとしてるんだから、お人好しだよな……本当)
「フローラ様に想いを馳せるのは結構ですが、頬緩みまくってますよ。気を引き締めて下さい。学院側のお馬鹿さんがまんまと言いくるめられたせいで、マリン・クロスフィード嬢が学祭の日にこっちに帰ってくることになってしまったのでしょう?」
「そうなんだよ……!何考えてるんだあの教師達は!とは言え、その決定を今さら覆すのは不可能だ、細心の注意を払うしかない。あぁ、憂鬱だ……!」
「休学中も手紙のやり取りは許すと言うことで、はいて捨てるほど恋文が毎日毎日殿下に届いてますからねぇ。今日も来てましたよ、フローラ様を遠回しに罵りつつ自分の価値はふんだんに誇張したお手紙が。どうします?」
「燃やせ、塵も残すな。それが燃えた灰が漂う空気を吸うのも不愉快だ」
「うわぁ、これ以上ないってくらいに嫌ってますねぇ」
「当たり前だろ。何が“自分の方が貴方を幸せに出来る”だ。フローラを傷つけようとした時点であんな女、無価値どころかマイナスだろ」
そう言って怒りを燃やす瞳の奥に揺れるのは、紛れもない愛しい人への愛だ。例え、無自覚だとしても。
「フリード、学祭が無事終わるまで、俺の世話は一切必要ない。フローラを見守ってくれ、俺が側に居られないときも、あいつが安全なように」
「ご随意に」
“彼女を護りたい”。どうせなら自分の手で守りたいと言うプライドより、愛する者を優先するその強い意思を宿した瞳に、フリードが恭しく頭を垂れる。
ライトの強い想いに呼応するように、壁に立てた聖なる剣の宝石がキラリと一瞬輝いた。
~Ep.287 自覚した恋、無自覚な愛~
『聖なる力を高めるは、愛する者への清き想い』




