Ep.281 嫌いじゃないよ《先輩後輩編》
「本当に申し訳ございませんでした!!!!!」
香ばしいパンの香りが漂う役員用のランチルームーーーー会議用として生徒会室に併設してあるーーーに入るや否や、エドガーが叫びながらライトに土下座した。それを一瞥し席についたライトの隣に座り、フライが腹を抱えて笑いだす。大分我慢していたのだろう、笑いすぎて目尻に涙が浮かんでいるフライを、ライトじっとりと睨みつける。
「あはははっ!いやぁ、傑作だったね。お陰で今日は楽しく過ごせそうだよ」
「笑い事じゃねーぜ、ったく……」
「まぁまぁ、そんな怖い顔しないで。ブレザーはフローラが洗ってくれてるんだし良いじゃない」
朗らかなクォーツになだめられ、足を組んだライトがそうだなと相槌を打ちつつベランダを見る。そこではフローラが自らの水の魔力と指輪に宿る風の力を使い、洗濯機のようにライトのブレザーを洗濯している姿が見えた。フローラが聖霊の巫女であることを知る仲間達は『巫女の力の無駄遣い……』と思ったものの、エドガーが居る手前口には出さない。
「……っ、しかし、皇太子様のお召し物に俺は何てことを!何かお詫びをしなければ……っ」
「もういいって、故意じゃなくて過失なんだろ。いいから席につけ、料理が冷めるぞ」
「いえ!あのような無礼を働いた上に一緒の食卓にお邪魔するなど出来かねます!!」
壁まで後退り首を横に振るエドガーに
ライトが嘆息する。それを見てビクッとしたエドガーに、洗濯を終えたブレザーを抱えたフローラが苦笑いで声をかける。
「大丈夫だよ、エドガー君。だってライト、わざと避けなかったんだから。でもごめんなさい、冷たかったでしょ」
「……はぁ、まぁ謝ったからその事自体は許すけど。それわざわざ言っちゃうかな普通」
「え……?」
乾燥までされて丁寧に畳まれたブレザーをフローラから受け取りながら、ライトがまぁなと肩を竦める。
「あの場でこれ以上周りを巻き込まずにさっさと話を切り上げるには、もっと大きな事件で騒ぎを塗りつぶすのが早かっただろうからな」
ライトの言葉に、エドガーが項垂れる。
考えてみればそうだ、あのライトの反射神経で、あの近さで飛んできた物を避けられないわけはない。自分達が起こした騒ぎを納める為にわざとライトが被害を被ったことに気づき、申し訳なくなったエドガーだが。
「まぁエドガーはまだ良いとして、お前はまーたなんで騒ぎの場に居たのかなぁ、なぁフローラ。俺と今朝約束したよな、無理しないって」
「い、いや、私にはどうしてもあの場に居なきゃいけなかった理由がありまして……。それに私、善処しますとは言ったけど約束はしてな……いひゃいいひゃいっ」
「小賢しい言い訳をするんじゃない!ったく。初めからエドガーのクラスを見に行く気だったなら、俺達も一緒に行ったのに」
言い訳するフローラの頬を両手でつまんでつねりながら説教しているライトが『以外と伸びるな』とふと優しく微笑んだのを見てポカンとしてしまった。てっきりもっと思い切り叱られるものだと思っていたのだ。
そんな唖然とするエドガーの目の前でライトの手から解放されたフローラは、頬を擦りつつポツリと溢す。
「だって、呼びに来たのにあんな場面みちゃったら声かけらんないじゃん……」
「ーっ!?いや、あれは違うから!誤解なんだって!」
「それに関しては僕からも言わせて貰うけど、本当に怪しいことなんて一切してないからね」
フライがライトのネクタイを結び直していた時の一件のことだ。慌てて弁解するライトとフライの前に片手をつきだし、皆まで言うなとばかりにフローラが首を振る。
「うん、わかってるよ。ネクタイを結んでただけなんでしょ?朝私にネクタイ貸してくれた筈のライトが、今別のネクタイつけてるし。さっき会ったミリアちゃんがキール君のネクタイ直してるの見て気づいたんだ。ごめんね、勘違いして逃げ出したりして」
「あ、あぁ。予備があったからな。なんだよ、誤解いつの間にか解けてるじゃ……」
「つまり、二人はとっても仲良しってことね!」
「いや、解けてねーな!」
叫ぶライトを他所に、フローラは勝手に自分もフライに負けないくらい綺麗にならねばと勝手に意気込んでいる。頬杖をついてため息をつくと、フライがやれやれと口を開いた。
「フローラ、あれはライトが自分で結べな……」
「フライも余計なこと言うな!いいかフローラ、確かに俺達は不仲じゃないがあくまで友達であってだな……」
「やだなぁ、わかってるよ~。仲良しなのは良いことだよね!」
「本当にちゃんとわかってんのか……?」
ニコニコと笑うフローラが『わかってるってば~』と席につくのを見て一旦諦めたのか、立ち上がってフローラを挟んで話していたライトとフライも席に戻る。
「すみません、遅くなりました」
「お待たせ致しましたわ!申し訳ありません、クラスの準備が長引いてしまいまして」
そこへタイミング良くやって来たレインとルビーも加わり、食卓につく。用意された席は7つ、最後のひとつが空席のままな事に気づき、ライトが未だ床に正座したままのエドガーの方へ振り返った。
「ほら、これで全員揃ったぞ。座れよ、食事はきちんと摂らないと駄目だ」
「い、いえっ、ですが俺ごときが殿下方と同じ卓で食事だなんて滅相もない!!」
「お前、意外と意固地だな……」
「もう無理やり座らせちゃえば?はい、椅子」
「えっ!?あ、ちょっ、お待ちください!!」
空腹で早く食べたいのか、焦れたフライがエドガーの席の椅子を引いて片手でコンコンと叩く。そうだなと同意したライトに担がれ、座らされ、トドメに給仕の為壁際に控えていた侍女に茶まで出されてしまい、エドガーはようやく諦めた。しかし、茶は飲むものの料理は口にしないエドガーに、フローラが優しく声をかける。
「食べないの?たくさん動いて喋ったあとだし、お腹すいたでしょう?ちゃんと食べとかないと夜まで持たないよ」
「……ふん、俺がどうなろうがあんたには関係ないだろ」
小皿に綺麗に取り分けた料理をフローラが差し出したが、それにふいとそっぽを向いたエドガーが反発する。フローラ自身はあまり気にせず『じゃあお料理ここ置くね』とエドガーの前に小皿を置いたが、フローラを案ずるフライとクォーツが若干眉根を寄せる。ライトとレインはなにかを見極めるように難しい顔で二人のやり取りをみていた。
そんな中ルビーが持っていた扇でパンと机をひと叩きしてから、目をつり上げて立ち上がった。
「貴方、いい加減になさいな!この間から、フローラお姉様に対して無礼が過ぎるのではなくて!?一体何様のおつもり!?」
「……っ、うるさい!嫌ならこいつが俺に関わって来なきゃいいんだ!」
ルビーに応戦して立ち上がったエドガーも、フローラを指差しながら声を張り上げる。
「まぁ、なんて言い種なさいますの!フローラお姉様の温情がわかりませんの!?あなたがそんなことばかりしているから、妹さんも病に倒れてしまうのではなくて!!?」
「……っ!ルビー、止めなさい!」
クォーツが珍しく鋭い声で叱ったが、遅かった。ルビーの言葉に、見る間に落ち込んだエドガーが、苦しそうに表情を歪ませた。
「……っ!そ、それは……っ」
「ーー……ルビー、エミリーちゃんの病気に、エドガー君はなにも関係ないわ。私のこと庇ってくれたのは嬉しいけど、今のは良くないね」
「うん、自分の家族が苦しい目にあってほしいと意図的に行動する人なんて居ない。ルビー、謝りなさい」
フローラとクォーツが、優しくも厳しさをにじませた声音でルビーを嗜める。頭が冷えたルビーも、しゅんと肩を落としながらエドガーに頭を下げた。
「今のは失言でしたわ、ごめんなさい」
「……いや、こちらこそ申し訳ございません。ルビー皇女殿下」
ルビーは小さい頃身体が弱く、クォーツはそんなルビーを大事に守り、兄妹は支えあって生きてきた。そんな二人だから、本当はエドガーの今の苦しみが一番わかるのはクォーツとルビーであるとフローラは思っている。
実際、エドガーを深く傷つけてしまったとわかったのだろう。ルビーもひどく反省した様子で、エドガーと互いに謝罪を終えても、場の空気は重いままだった。
「あー、なんかいつまでもよそよそしいと思ったら、呼び方が悪いんだな」
しかし、静まり返った場の空気を、ライトのなんでもないような声がぶち壊す。思わずライト以外の全員が『呼び方?』と首を傾げてしまった。
「エドガーだよ。今聞いてて気づいたけど、お前俺らのこと大体様付けか、かしこまった型式で呼ぶだろう。だから距離が縮まらないんじゃないか?」
「あぁ、一理あるかもね。外ならともかく、普段は僕ら大体呼び捨てだし」
「だろ?せっかく少しは馴染ませようと思って一緒に昼食摂ってるんだし、いい機会だ。ちょっと呼び方変えてみないか」
「は、はぁ……。いえ、しかし、様付けも殿下とお呼びするのも駄目なら、一体なんとお呼びすれば……」
いきなりの提案に、エドガーが狼狽える。フローラがその向かいの席で、元気に片手をあげた。
「はい!ここはやっぱり“先輩”が良いと思うの!」
「先輩?あぁ、確かに、学校なのに後輩からそう呼ばれたことないよねぇ。ルビーは皆の事“お兄様、お姉様”呼びだし」
「うん、いいんじゃないか。ほら、試しに俺のこと呼んでみな」
「あ、ええと、ですがライト様……っじゃない、ライト先、輩……?」
癖でつい様付けになりそうになったエドガーだが、ライトに睨まれて慌てて言い直す。たどたどしい呼び方に、クォーツが苦笑を漏らした。
「まだたどたどしいね、やっぱり緊張しちゃうのかな」
「は、はい。どうしても恐れ多くて……」
「まぁ、その内慣れるさ。ところで、俺達はなんて呼ぶんだ?“後輩”とは呼ばないだろ」
「……では、“エド”とお呼びください。短い方が呼びやすいでしょう」
「ーっ!」
エドガーのその自己申告に、フローラがピクリと反応した。
(“エド”って、確か亡くなったエドガー君のお母様が使ってた愛称だよね。ゲームでは好感度が“好き”以上にならなきゃ使えない呼び方だった筈……。やっぱエドガー君、ライト達のことは認めてるんだなー)
少なくとも、今のフローラはまだその呼び名は使えないだろう。まぁそれは良いとして、ルビーはもちろん、アイナやアイナのクラスの子達にすら“先輩”とは呼んでもらえないフローラとしては、嫌われててもいいから一回くらい後輩から“先輩”と呼ばれてみたい訳で。
ライト達を相手に呼び方練習をしているエドガーの方に、キラキラと視線を送ってみる。圧に気づいたエドガーが振り向き、嫌そうに瞳をすがめた。
「言っとくが、あんただけは絶対呼ばないからな!!じゃあ俺、クラスに戻ります。ライト先輩、フライ先輩、クォーツ先輩、レイン先輩、ルビー様、ごちそうさまでした!」
「おいっ、お前少しはフローラへの態度を……こら、エド!!」
そして当て付けのようにフローラ以外の全員の名前を呼んだエドガーは、ベーッとフローラに舌を出してから走り去っていった。
ちゃっかりレインまで先輩呼びされていた事にショックを受けてしょんぼりした物の、今夜またイベントでエドガーに会う予定がある。落ち込んでる暇はないと、ごちそうさまをして再び見回りに戻るフローラ。
夕方見に行ったゲームのイベントに関係ある、出し物のお化け屋敷を担当しているクラスの女の子達が、怖がってるフリをして抱きつくと言うベタな作戦の為にお化け屋敷に他ならぬフライを連れ込む算段を立てているのを聞いて、本気でやめてあげてほしいと思った。
~Ep.281 嫌いじゃないよ《先輩後輩編》~
『距離を縮めるのは、親しき者のみに許された渾名』




