Ep.274 女王も、妻も、母親も
令和最初の投稿です(p^-^)p
花園に寝転んだままタイターニアが目を開くと、夫が横たわった自分の身体にそっとメイド服をあてがっているところだった。屈んでいる夫のその六つに割れた腹を下から思い切り蹴り飛ばしてから、起き上がる。はらりと身体の上から落ちた衣装は、先程話していたフローラが手ずから作った一着だ。
「思念体を回収するときに一緒に持ってきたのね?駄目じゃないの、彼女きっと困っているわよ」
腹を押さえて地面に丸まったオーヴェロンが、指先でメイド服を優しく持ち上げた。
「いたたたた……!あぁ、それか。返さなければと頭ではわかっていたんだが、どうしても一度妻にこれを着せたいと言う欲望に抗えなかったんだ」
「そんな邪な欲望に王が負けていたら、その内森ごと魔族に乗っ取られてしまうわよ!」
聖霊が、感謝と愛で力を得るように、魔族は“欲望”を存在の糧とする。それを痛いほど知っているであろう夫の顔から、笑みが消えた。鋭い強さを秘めた声が、二人きりの花園に響く。
「ーー案ずるな、もうそんな真似はさせぬ。絶対にな」
しつこいので一発平手でもお見舞いしてやろうかと振り上げていた右手が、真剣なオーヴェロンの表情を見た瞬間ピタリと止まる。
霧散して怒りが消えてしまったタイターニアは静かに振り上げた手をおろした。
「……そう、頼もしいわ。でも、 無理はしないでね。貴方の王としての力は、あの時……っ!」
言い淀んだタイターニアを、オーヴェロンが強く抱き寄せた。久しぶりに胸が甘くうずいたが、耳に甦る少年独特の声に、すぐにそのときめきも消えてしまう。
『すごい力を持つ聖霊の王様だと言うわりに、妙に出来ないことが多いですよね』
なんでもないつもりで言ったのだろうが、あの土の皇子の言葉は、正しい。彼は見かけによらず鋭いようだ。今のオーヴェロンの力は、何をどうしても万全にはなりようが無いのだから、彼の見解は間違っていない。
初代の魔族は、厄災を背負った少女の手で解放されてしまった。ライトが騎士から引き継いだ聖霊王の剣によりあの島からは弾き出されたようだが、消滅はしていない。弱らせ過ぎた為に気配は終えないが、恐らく新たな生贄を求めて人間界をさ迷っているのだろう。
そしてオーヴェロンの友であり、彼の手から直々に聖霊王の剣を授けられた彼の騎士は、役目を終えて空へと還った。あの日、初めての友を見送った、夫の頬は濡れていた。
(……追いかける、なんて馬鹿な選択を、この人がするとは思えないけれど)
かつて、巫女がその身を焼かれた日、悲しみにくれたタイターニアは、たった一度だけ、過ちを犯そうとした。それを食い止めてくれたのは他ならぬ、今自分を力強く抱き締めているこの夫に他ならない。
しかし、そのせいで、ただでさえ多くの力を失っていた聖霊の王は、貸し出していたその力を回収する術を失ってしまった。その事を、今更ながらに悔いている。だけど、後悔するだけでは何も変わらないから。
『土の皇子には痛い所を突かれたな』と苦笑する夫の背に手を回し、抱き締め返す。ものすごく恥ずかしいが、この体勢なら赤くなった自分の顔は夫の胸に埋めて隠せるから。伝えるなら、今しかない。
「大丈夫よ。あなたに足りない分は、私が補うわ」
「……!」
強張った腕に、夫が驚愕しているのがわかった。若人達の前で散々翻弄された仕返しだ。一瞬の隙をついて、その頬に自らの唇を当てる。そして、胸を張って言ってやった。
「あなたがこの森の聖霊達と、人間達を王として守るのであれば、そのあなたを支えるのが私の役目だわ」
今しがた口づけられた頬に手を当て、オーヴェロンが微笑む。
「それは、女王だからか?」
「ーっ!……わかっている癖にそれを聞くの?意地悪ね」
「いいじゃないか。可愛い格好をしてほしいと言う些細なわがままを聞いてもらえなくて傷心中なんだ、優しくしてくれ」
永遠に若いとはいえ、外見も20代に見える数百歳超えの女に14歳の少女の服を着せようとしておいて何が些細なわがままか。ため息がこぼれるが、同時に無意識に唇がほころんだ。
(仕方ない人……。でも、そんな仕方ない人を愛した、私が一番仕方ない女かもしれないわね)
ここまで来て負けるのも癪だ。思いきって、余裕ぶっている夫の胸に飛び込む。よろけたその身体を巻き込むようにして、二人して花園に倒れこんだ。
衝撃で髪が乱れても麗しい夫の頬を両手で挟み、瑠璃色の眼差しの中で聖霊の女王が美しく微笑む。
「女王であり、あなたの妻で、この森の子達の母だからよ」
「……!そうか、そうだな……。我が子はもう現し世におらずとも、俺はこの森の父だ」
“妻”と言う単語に頬を緩ませた夫が、“母”の単語に切なく瞳を細める。辛いことを思い出させてしまっただろうかと焦ったが、その表情は一度まばたきをしたあとにはもういつも通りに戻っていた。
「感傷に浸っている間は無い。巫女達の周りにある闇の影も、完全には消えていないようだからな」
身体を起こした夫が、辺りに浮かぶ数多の鏡の中でも二番目に大きな水鏡を覗きながら言う。この鏡こそが、新たな巫女、フローラのお陰でこの聖霊の森と人間界とを繋ぐ力を得た唯一無二の水鏡だ。巫女と騎士の力が覚醒したことで、聖霊王側からも人間界の様子が少しだが見えるようになってきている。
そこに映し出されたフローラ達を示す、4色の光。その周りにはずっと、三つの闇が彷徨いていた。しかし、一週間ほど前、その三つが同時に姿を消したのである。
「巫女に聞けば、丁度例の魔族の子猫と契約したと言うあの娘が島から出たのが一週間前だと言うじゃないか。故に俺は、三人の魔族は皆、あの娘に憑いているものだと思っていたのだが……」
「ーー予想は、外れてしまったようね」
口をつぐんだ夫に代わり、タイターニアが静かに言う。オーヴェロンも頷き、鏡に残るたったひとつの黒点……魔族を示す、闇の点を見やった。
つい昨日、不意に巫女達の周りに戻ってきた点。つまり、マリンの側でない魔族が一人、彼女達の周りに居ることになる。それも、かなり近くに。
しかし、しばらく見ていると、二人の前でその黒点はふっと反応を消した。
「ふむ、またか……。不可解な反応だな」
「そうね。魔力の反応が現れては消えて、消えては現れ……。この反応、まるで……」
かつて人と聖霊に亀裂が入った時、消滅していった聖霊達の、“消える前触れ”によく似た反応。しかし、人の“欲”を食い物にする魔族に、消滅などあり得ない。夫は肩を竦めて、鏡に写るそれを、若人達の日常の方へと切り替えた。
「考えるだけでは何もわかるまい。次に話をするときに、巫女たちには注意を促しておこう」
「そう……ね。それにしても、あの子達何をしているのかしら……?」
夫が写し出したのは、風の皇子と土の皇子に押さえられ、何やら深い緑色の液体を一気飲みさせられている姿で。
飲み干すなり倒れた騎士の後継者の姿を見て、お人好しな騎士と言うものは災難にあいやすいのかもしれないと、不憫に思うタイターニアなのだった。
~Ep.274 女王も、妻も、母親も~
『強さの秘訣は、ただひとつ。愛する者への想いだけ』




