Ep.269 互恵関係で参りましょう
「確かに今の生徒会の人手不足が深刻なのは確かだけれど、僕は反対だよ。信用出来ない」
されるがままに連れてこられて円卓についたエドガーの隣からフローラを引き離し、抱き寄せたフライが冷たい口調で言う。尊敬する相手からの冷遇に、唇を噛んだエドガーが俯いた。
「何もいきなり重要な仕事をしてもらおうって訳じゃないわ。今足りていないのは、力仕事をしたり資料をまとめる一般役員でしょ?彼の情報処理能力なら、十分役に立つと思うの」
そっとフライの腕から抜け出したフローラが、やんわりとフライをなだめながら、険しい表情をしている仲間達を見回す。
彼らの手にあるのは、初等科の頃からエドガーがまとめてきたライト、フライ、クォーツの三人の皇子達の隠し撮り……基、成長記録のファイルである。エドガーを生徒会に引き入れるに当たり、フローラが勝手に持ってきた。出した瞬間に驚いたエドガーが取り返そうとしてきたが、その前にクォーツとルビーが興味を示してしまったので見せざるを得なくなったのだ。
日付からその日の彼等の体調、撮影場所から何から何まで、徹底的にまとめられたそれは最早王宮でつけている成長記録よりも出来が良い。それを徐に閉じて、ライトが長いため息をつく。
「確かによく撮れてるなぁ……虫唾が走る程に。着替えから寝床までバッチリとは、シュヴァルツ公爵はご子息を間諜にでもするつもりか?」
「え、えぇと、そちらはあくまで俺の個人的な趣味でして、家族は一切関係ありません」
「わかってるよ!むしろこれが色事好きと名の知れたシュヴァルツ公爵に見られてるなら俺たちの貞操が危険だろうが!真面目に答えんな反応に困るから!!」
「もっ、申し訳ございません!」
エドガーの説明に、机にファイルを叩きつけながらライトが叫ぶ。同じく撮影対象となっている他の2人の顔色が悪いように見えるのも、気のせいでは無い。
それはそうだろう、同性からだろうが異性からだろうが、ストーカーは恐い。エドガーの裏事情を知るフローラでさえ引いている位だ、当事者達からしたらたまったものじゃないだろう。
「で?お前はなんでわざわざ初等科の頃から俺達に執着している?実家で使えないと言われて自身や妹の立場が無いことを気にしているのか?」
一度深呼吸をして気を取り直したライトが、ヒラヒラとファイルをエドガーの目の前で振りながら訪ねる。
エドガーは一瞬弾かれるように顔を上げたが、すぐにまた俯いてしまった。『ご存知だったのですか……』と呟く声の覇気の無さに、威圧的だった周りの面々にも戸惑いが生まれる。
「不快にさせてしまい、申し訳ございません。ですが、決して悪用するために撮っていたわけではありません!ただ、俺にとっては、……どんな困難の壁も、自らの努力と知性で打ち破りながら進んでいらっしゃる殿下方のお姿が憧れで……!ライト殿下達のようになれたら、きっと、エミリーのことだって自身の力で護れる兄になれるかと……!!」
膝の上で拳を握りしめるエドガーの声は、震えていて。流石にそんな相手を攻撃するのは気が引けたのか、フライが睨み付けるのを止めて自分の席に戻る。同時に、緊張感ある場には少しだけ不似合いな穏やかな声が響いた。
「憧れて、参考にするために撮っていてくれたのなら、写真は許してもいいと思うなぁ」
「ーーっ!クォーツ様……」
「……ただ、何か事情があるようだけれど、僕もいきなり彼を生徒会に引き入れるのは抵抗あるかな。エドガー君自身も役員になりたくてここに来たわけでは無いようだし、尚更ね。双方に明確な利益がある、取引のような形で話を進めるなら別だけど」
“妹”と言うワードで態度が軟化したクォーツだが、穏やかな口調ながらもそう難色を示した。長く続いた騒ぎがようやく一段落ついた時だ、慎重になるのもわかる。
しかしそんな中、俯いたままのエドガーの肩をポンと後ろから叩いたフローラは、仲間達の顔を順々に見回し立ち上がった。そして、最後にライトを見据える。真っ直ぐにこちらを見つめ返してくるライトと、フローラの隣に座るエドガーの制服は、どちらも深紅。神獣フェニックスの名を冠する、彼等の国の焔の色だ。
「利点ならあるわ、彼は正真正銘、シュヴァルツ公爵家の三男。ライトが例の噂でフェニックス国内での立場が不安定になっている今、力の強い貴族との結び付きを強めるのは、周りへの良い牽制になると思うの。そうだよね、エドガー君」
「ーっっ!!?」
視線をライトからエドガーに移せば、夕焼け色の瞳を見開いた彼は信じられないと言いたげな表情でフローラを見ていた。今の言葉と、優しく微笑むフローラの顔を見て、うっすらとではあるが感じ取ったのだ。フローラがエドガーに、償いの機会を与えていることを。
この場に連れてこられた時点で、正直エドガーは彼女がライト達に全てを話し、己が断罪される可能性が高いと思っていたのに。実際にはフローラは、ライトの出生にまつわる情報を盗み出したのがエドガーだと仲間達に知らせる素振りがまるで無い。
怪訝そうなエドガーに“一体何がしたいんだ”と食ってかかられるその前に、にこやかに微笑んだフローラは再びライトの方へと視線を戻してしまった。
「どうかな?私の頭で考えたにしては、悪くない案だと思うんだけど」
「あ、あぁ。最もな意見だし、政略としても正当法だ。でも……、お前の口からこんな案が出るなんて、意外だな」
口元に手を当てたライトが、ぽつりと呟く。その言葉は彼女を馬鹿にしているわけじゃなく、いつも純粋でまっすぐなフローラから打算的な話が出たことへの戸惑いだ。
そんなライトにニコッと笑って、数歩距離を取り直したフローラが胸を張る。そこには、以前には見られなかった強さがあるように見えた。
「うん、だって、ライトや皆がいつも私を物理的に守ってくれるから、なら私は、皆の心を守れる人になろうと思って」
ケヴィンに襲われたあの日、真っ直ぐに自分の目を見て『俺が護る』と、そう言ってくれたライトや、危険を省みずいつも自分を支えてくれる皆に、報いたい。
その為に、成長させなければとフローラは思う。戦うための武力や魔力じゃない、傷つく事を恐れて、嫌いな相手とすら戦えなかった、弱い自分自身の心を。
「……?」
決意を胸に仲間達に微笑んだ後、フローラの視線が一瞬、エドガーに向く。
たったそれだけで殺意さえありそうな鋭い眼差しを返してくるエドガー。心も体も痛め付けられ、踏み潰されて育った彼は、周りすべてに攻撃的になることでしか自らを守れずに居る。
誰とも戦えない臆病な心と、誰をも傷つけてしまう尖った心。その二つは、正反対で……でも、限り無く、同じなような気がした。
「……“心を守る”か、君らしいね」
しばらくの沈黙のあと、毒気を抜かれたように肩を竦めたフライが、ようやく少しだけ微笑んでくれた。
「まぁ、確かに今回騒ぎを起こした方々に比べれば、彼の方がまだマシかも知れませんわね」
「そうだね。妹さんが今どうしているのかは知らないけど、仲間になるなら、困った時には相談しやすいだろうし」
「私は主人が信じるなら、素直にエドガーさんを歓迎しますよ。役員になるか否かは、会長であるライト様の権限ですが」
良い流れだ。全体的に受け入れる方向になっていた、その空気に思わぬ伏兵が水を差す。
「ふあぁ……。でもそれさぁ、皆は得しても、エドガーの方には何も得じゃないんじゃない?」
「ーっ!!!」
「ぐえっ!ちょっと何するのさ!!」
円卓に乗せたカゴのなかから響いたその一言に、ピシっと場の空気が固まる。
誰も触れなかったそこを指摘したのは、カゴの中でお昼寝をしていたブランだ。顔をコシコシ洗う可愛い仕草を眺める間もなく、フローラがダッシュで再びカゴのベッドにその体を押し込む。が、気まずい空気は払拭出来ない。
(エドガー君側の利点は、ライトへの償いが出来るってことと憧れの三人に近付けるってことで十分だと思うんだけど……!先にライトの件の情報元がエドガー君だってブランに話しておけばよかったよ、私のバカーっ!!!)
「まぁ確かに、このままじゃ取引としては不当か……。せめて、彼にもそれなりの報酬がないとね」
冷や汗が止まらないフローラに、フライの声が追い討ちをかける。
エドガーとしても流石にいきなり自分の罪を告白して『償わせてほしい』とは言えないだろう。
(仕方ない、この餌を使うしか無いわね……!)
小さく深呼吸をして、鞄に忍ばせていた小さな封筒を取り出す。まだ3人分揃っていないが、緊急事態だ、仕方ない。
「大丈夫よ、エドガー君には私から報酬を用意したわ!!!」
声を張ったフローラが、徐に封筒の中身をばらまく。
宙で散り散りに舞い降りてくるその中身を反射的に受け止めてたフライとクォーツの動揺が、防音の筈の生徒会室を引き裂いた。
「「ど、どうやって入手を(したんだ/したのさ)!!?」」
そんな2人の叫びを他所に笑う、水の姫からのエドガーへの報酬は、初等科に入るより前の赤ん坊姿の婚約者達の写真なのだった。
~Ep.269 互恵関係で参りましょう~




