Ep.268 炎の皇子はわからない
「おい、あいつまだ戻って来ねーんだけど!!?」
書類提出と言う名目でフローラが生徒会室を飛び出してから三時間。仕事でバタバタしていて探しにいけなかったが、これは流石に長すぎるのではと仲間たちも段々不安になってきた。
苛立った様子のライトがとうとうそう声を荒げたのと同時に、フライが椅子にかけていたブレザーを羽織ながら立ちあがる。
「やっぱり一人で行かせるべきじゃ無かったね。探しに行ってくるよ」
「……っ!待て!」
扉に手をかけたフライを、ライトが咄嗟に引き留めた。
「ーー何の真似?邪魔なんだけど」
一瞬だけ掴まれてシワになった翡翠色のブレザーに視線を落としてから、フライが冷たく言い放つ。が、ライトも負けては居ない。振りほどかれないようフライの腕をしっかり掴んだまま、出来る限り落ち着いた声音で言う。
「あいつの事だ、考えなしに寄り道やサボりって事は無いだろう。心配なのは皆同じだけど、無闇な行動は避けるべきだ。役員の大半を解任にしたせいで、ただでさえ生徒会室には現在異常な注目が集まってる。仕事の人手すら足りていないこの状況でフローラ一人が数時間居なくなる度にこんなことをしていたら、“女に現を抜かして”とまた余計な醜聞を呼ぶぞ」
「……女に現を抜かして仕事をしていなかったのはケヴィン達でしょう、僕らじゃない。首にした役員だって、元からマリン・クロスフィードに骨抜きにされたただのお人形だったじゃないか。居ても居なくても、何も変わらないよ」
「そんなことはわかってる。フローラが俺達の仕事と自分の身なら迷い無く仕事を優先させる奴だってこともな。でも、世間はそうは見ない。実際、今のあいつに向けられた目がいい例だろ」
「……例の噂のこと?」
今にも出ていきそうだったフライの爪先が室内側に向いたので、掴んでいた手を離した。少しだけ気まずさを浮かべた表情で、ライトが頷く。
「皆のお陰で落ち着いたものだとばかり思ってたけど、どうやら世間の皆様は俺の出生の情報にまだ興味津々らしいからな。偽者疑惑の影響で、フローラが俺と小さいときに街で顔を合わせた件まで今はあちこちから探りが入ってる。一度下手を打てば、あっという間にあいつがふしだらな女だと噂されるぞ」
「……っ、わかったよ。彼女に有らぬ悪評を立てられるのは僕だって不本意だからね。まぁ、そもそもライトが全てを話してくれれば、もっときちんとした対策が立てられるんだけど」
『元を正せばお前のせいだ』、そう訴える空色の双眸と、仲間達の窺うような眼差しに、居心地の悪さより申し訳なさが勝る。
「……悪いな、話したくても話せないんだ。俺自身、ほとんど真実を知らないから」
何せ、生まれる前の話なのだ。それも致し方無いが、本当は……自身の手で調べたい気持ちはある。ただ、その為の手がかりを、ライト自身掴めていないだけで。
すまなそうなその声音に先に折れたフライが、ようやく扉に背を向けた。自分で探しに行くのは諦めたらしい。
「……まぁ、そんなところだろうね。それで?話せないのは仕方ないにせよ、じゃあまさか誰も探しに行かせないつもり?」
フローラが絡むと熱くなりがちではあるが、元が理知的なタイプなので話が通じやすくて助かる。何より、彼女が大切だからこそ、いざというときに自身の心を押さえてでも最善を選べる強さが、フライにはある。
が、もちろんライトとて心配していないわけじゃない。直ぐ様振り向き、既に立ち上がっている女性陣に声をかけた。
「探しにいくのは、レインとルビーに頼みたい。女性同士なら、悪評の立てようもないだろう」
「そうですね、私達なら同性しか入れない場所も探せますから」
「レインお姉様、早く参りましょう!!」
話の流れから、自分達に話が振られるのがわかっていたのだろう。レインの返事も待たずに飛び出そうとした妹を、クォーツが引き留めた。両肩に手を置き、諭すように優しく声をかける。
「ルビー、もしフローラが婚約者の居ない男たちと居た場合だけは、迷わず僕らを呼びに来るんだよ。決して女の子達だけで対抗しようとはしないように、いいね?」
「何故ですの?剣はともかく、魔力なら私とてその辺りの殿方には負けませんわ!それに、男性に捕まっているならすぐにでもお助けするべきではありませんの!!」
「あー、それはまぁ、そうなんだけど……」
皆よりひとつ子供で、まだいまいちフローラに向けられた疑惑の意味を理解していないルビーには、クォーツの真意が伝わらない。歯切れ悪く言い淀んだクォーツが、助けを求める視線を向けてきた事に思わず嘆息してしまう。
(可愛い妹を汚したくないのはわかるが、身を守れるようにする為にもちょっとは色事の知識もつけさせとけよな……)
小さく頭を振ったライトが、ルビーと向き合っているクォーツの隣に並び立つ。少し屈んで視線を合わせると、ライトの瞳より少し明るい赤色の双眸に睨み付けられた。不満たらたらなのが丸わかりである。
「あのなルビー、婚約者が居る生徒が少ない一年生にはまだあまり噂が出回って居ないのかも知れないが、実は退学になった元生徒会役員の婚約者だった令嬢を中心に、フローラに対する不満をもつ女子生徒が増えてる。自分達の婚約者が役立たずだと、権力者である皇子達に嘘を吹き込んで退学にさせたのがあいつだってな」
唯一、諸悪の根元となったケヴィンの婚約者だったメリッサだけはどうにか噂を収めようと頑張ってくれているが、現状としては事態は思わしくない。言っていて、自分でも気分が悪くなってきた。しかし、説明しているライトより先に激昂したルビーが思いきり怒りを爆発させる。
「なんっっっですのその言い種!!失礼極まりないですわ!……でも待ってください、では、フローラお姉様にとって危険なのは、殿方ではなく女性なのでは?」
「と、思うだろ?ところが……」
「ところが、話はそれで終わらなかった。彼女が色仕掛けで僕達を篭絡して利用しているなら、逆に自分に利用価値があると示して彼女と関係を持とうと考え出した馬鹿者が出てきてるんだよ」
苦々しく言い放って紅茶を飲み干すフライを、話を遮られたライトがじと目でにらむ。
「おい、人の説明遮っておいて優雅なティータイムしてんなよな……」
「事実さえ伝われば問題ないでしょ?まぁそんなわけで今、僕達には“婚約者に惑わされて優秀な部下や罪もない特待生を学院から追い出した愚か者”、フローラには“容姿しか能がない上に色香で男を篭絡して自分の嫌いな相手を追い出した影の悪女”のレッテルが張られてるんだよ。まぁ、全校生徒から見ればそれを信じている割合は二割にも満たないとは言え……、非常に不愉快だね」
空になったティーカップが、ガシャンとソーサーの上で砕ける。フライが怒りに任せて振り下ろしたせいで、衝撃に耐えられなかったのだろう。
「フローラさ、この話知ってるのかな……」
静かに怒りを滾らせるフライに同意するように、全員が唇を引き結んだ中。クォーツがぽつりと溢す。
それと同時に、場の空気に似合わない嫌に明るい声が静寂を遮った。
「知ってるよー?本当失礼しちゃうよね、そもそも篭絡出来るような色気なんか持ってないのよ!」
リスのようにほっぺたを膨らませながら扉を盛大に開いて入ってきたフローラの言葉に、思わず全員の肩から力が抜ける。
「怒りの矛先はそこかよ……!そうじゃないだろ……!第一、お前今まで何処に行ってたんだ、連絡もしないで!!」
「えへへ、ごめんなさい。でも、いい人連れてきたから許して?」
項垂れたライトに久々に親子のような叱り方をされたフローラだが、後ろ手で小首を傾げて謝るその可愛らしい仕草に毒気を抜かれる。
それにしても、いい人とは一体誰なのかと首を傾げるライト達の正面に、フローラの影から一人の少年が姿を現す。
思わぬその人物に、フライは顔をしかめ、ルビーとクォーツは敵意を示し、レインがまた自分の主人は何をしたいのかと苦笑する。
最後に深く息をついたライトが、自分と同じ色の制服に身を包んだ少年と、彼をわざわざ連れてきた婚約者を見比べる。
「今はとにかく人手と情報が必要でしょ?情報力は、誰より私が保証するから」
そう言って笑う、彼女の真意がわからない。ただ、きっとまたひと波乱起きると、頼りになる執事のいち早い帰還を願わずには居られないライトだった。
~Ep.268 炎の皇子はわからない~
『己の生まれも、彼女の策も、自身の心も何もかも』




