Ep.257 護り、護られ、並んで歩こう
「ライト、ライト!大丈夫!?しっかりして!」
倒れたその身体を揺すり、涙を目尻に滲ませたフローラが叫ぶ。震えるその肩を、そっと抱き寄せて頭を撫でてくれたのはフライだ。
「フライ……」
「大丈夫、疲れただけだよきっと。だから、もうライトの為に泣かないで?……力ずくでも、奪いたくなってしまうよ」
「えっ……?」
穏やかだがどこか苦しげなその声に彼の方を向こうとして、しかしクォーツの声に遮られる。振り向けば、ライトの身体を助け起こしたクォーツが忙しなく頭を悩ませていた。
「ライトが倒れたのって会長から出てた妙な黒い靄を吸ったせいかな!?と、とにかくライトの執事のフリードをを呼ぶべき!?いや、それより医者かな!?」
「落ち着きなよ。ちゃんと脈はあるし大丈夫だから、とりあえずベッドに寝かそうか。全く、保護者面するわりには手のかかる……」
「あっ、私も手伝う!ーっ!!」
クォーツに肩を貸されて上半身を起こしたライトが、駆け寄ってきたフローラの腕を掴む。咄嗟に自分よりずっと背の高いその身体を支えようとしたフローラだが、トンと頭を肩に乗せられ、心臓が跳ね上がった。
(って、ドキドキしてる場合じゃないよ私……!)
邪なときめきを首をブンブンと横に振って振り払い、疲れた様子のその頬に手を当てる。
「ライト、意識はあるみたいだけど……。大丈夫?動ける?護ってくれて、本当にありがとう」
フローラの礼に、ライトが頷いた。どうやら意識はあるらしく、形の良い唇が小さく動く。
「……た」
「……?声が小さくてわからないよ、ハッキリ言ったら?」
具合が悪いならと遠慮していたフライだったが、どうにか自分で身体を起こすライトを見て大丈夫そうだと判断するが早いか、フローラをライトから引き剥がすように間に割り込んだ。
そのまま今度はフライの腕を掴んで、ライトが改めて呟いたのは……
「駄目だ、お腹空いた……!」
と言う、何とも気の抜けた一言であった。
まだフラついて一人で身体を支えられないライトを容赦なく突き放したフライが、こめかみを押さえながら呟く。
「……うん、成る程、倒れた理由はわかったね。とりあえず殴っていいかな」
「まっ、まぁまぁ落ち着いて!仕方ないよ、あれだけ暴れまわったんだから!」
「そうだよ!それに、ライトが使った剣は持ち主の魔力をすごく必要とするの!疲れたのも無理無いし!!」
魔力が切れている為、お得意の強制空中散歩へのご招待ではなくその綺麗な手で握り拳を作ったフライをクォーツと2人で必死に止める。
と、そこでタイミング良く小さく鳴いた腹の虫は、一体誰のものだったのか。
少し回復してきたライトが、眉を潜めて弁明する。
「おい、今のは俺じゃないぞ?」
「……倒れるほどお腹空かしてるのに?」
「そうだよ、他に誰が……あ」
辺りを見回したクォーツが、顔を真っ赤にしてお腹を押さえるフローラの姿を捉えた。
「……さて、結局試合前に選手が戦闘不能になってしまったから準決勝第二試合は中止だね。黒幕の身柄はどこにつき出してやろうか?」
「そうだねぇ、寧ろもう大会自体中止になりそうな勢いだけど。ところで、なんでこの部屋こんなあちこちずぶ濡れなの?ブランも、なんか捕まってたからとりあえず助けたけど、鳥かごの中で爆睡だし」
「あぁ、部屋全体が結界の影響で凍ってたから俺が溶かしたんだ。にしてもブランは大物だな、主人に似て」
さも何も聞こえなかった呈で、それぞれ優秀な婚約者達がケヴィンの身柄を拘束し、部屋に残る証拠を集め、悲惨に破壊された部屋を整理していく。誰一人として自分の腹の虫に触れない、その優しさがすごく痛い。特に、好きな人にまでいつもみたいなからかいも無しで流されるのは辛い!
「お願い、いっそ笑って……!!」
『いたたまれない!!』と、顔を真っ赤にしたフローラがその場でしゃがみこむ。
そんな姿に互いに顔を見合わせて、三人の皇子が声をあげて笑った。フローラも恥ずかしさに悶えつつ、『安心したらお腹空いちゃって』と皆と一緒に笑い合う。
そんな和やかな光景を眩しそうに目を細めて眺めていたひとつの魂が、最期に心底安心したように、呟いた。
『君達なら、大丈夫そうだね』
「ーっ!!!」
「……?ライト、どうしたの?」
「いや、今、なんだか懐かしい声が……」
「声?僕らには何も聞こえなかったけど」
フローラの問いに答えたライトの言葉に、フライがそう応じて。聞こえなかったと言ったフライに同意するようにクォーツが頷く。日の光に淡く輝く剣の柄を指先でなぞり、ライトが首を傾げた。振り向いたその場所はただの青空で、実際、声の出所には誰も居なかったのだから。
「ごめん、じゃあ多分俺の気のせいだな」
「……やっぱり疲れてるんじゃない。フローラもだけど、君も他人ばっか助けてないで少しは休みなよ」
投げ槍に見せかけたそれが、精一杯の優しさだとわかったライトが小さく笑ってから、大きく伸びをしてため息を溢した。
「休暇か……。取りたいのは山々だが、結局ケヴィンがこれじゃあリコールは失敗だしな。協力してくれた人達や、見に来てた生徒達も納得しないだろうなぁ」
「……まぁ、確かにね。ケヴィン・プロフィットは外面だけはいい人だったからまだ味方も多いし。……ライトの支持が例の話で落ち気味な事もあるから余計に後始末は骨が折れそうだ」
「せめて、ライトがケヴィン会長に勝った所だけでも皆に見て貰えたらまた話は違ったのにね」
クォーツの言葉に苦笑しつつ『どう説明したら良いか……気が重い』と首を振るライトの肩を、トントンとフローラが叩く。
三人が振り向くと、自慢げに胸を張ったフローラが、以前アイナの父から貰った一枚の鏡を持っていた。
「……?どうした、鏡なんか出して。お前それ大事な物なんだろ?無闇に持ち歩いてたら失くすぞ」
いつものように軽口を叩いてしまってからしまったと口を押さえたライトだが、『失くさないもん』と幼く怒ったりはせず、フローラが自慢げに語る。
「ふふん、心配ご無用!さっきのライトがケヴィン会長を一刀両断したシーンは、これを通して闘技場に来てた観客の皆さんにしっかりと見て頂きました!!」
まさかの宣言に、三人が揃って瞠目した。フローラの手から引ったくったそこには、ケヴィンが身勝手な理論を惨めに語る場面から、ライトがその欲にまみれた独裁者を切り裂くその瞬間までが見事に写し出されている。フローラは、聖霊王から力を借りて、闘技場にオーヴェロンが出してくれた水鏡に、自らが手にしていた鏡からこの映像を転送したのだ。これを見れば、確かに生徒達の気持ちも、変わるだろう。
驚きつつも微笑んだフライが、優しくフローラの頭を撫でる。
「お手柄だね、これならケヴィンを指示する者も居なくなりそうだ」
「驚いたけど、いい働きだね!普通に戦うよりずっと印象的だ。色々大変だったけど、結果的に良かったかもね!」
「あ、あぁ。でもお前、いつの間にこんな機転が働くようになったんだ……」
驚いた様子のライトと褒めてくれる二人に、ふわりとフローラが微笑んだ。
「ライトに叱られて、私考えたの。身の危険からは、いつも皆が護ってくれる。だから、私も私にしか出来ない形で、大事な人達を助けたいって」
その言葉にきょとんとした三人がおかしくて、クスクスと笑いながら『久しぶりに皆でご飯にしよう』と、彼らを促し歩き出した。
並んでフローラの一歩前を歩く三つの背中を見ながら、考える。
物言いは厳しかったが、あのときのライトの言葉は正しく事実だったし。そのすぐ後にケヴィンに追い詰められてみて、今さら思い出したのだ。本当に辛いのは、助けられっぱなしな事じゃない。いざというときに、『助けて』と、呼べる名前がひとつも無いことだと。
今のフローラは幸せだ。呼べば確かに声が届く人が、こんなにもたくさんいるから。
(私も、誰かにいざというときに求めてもらえるような人になりたい)
かつての自分は、護られてはいけないと、一人で戦わなくちゃと。幼い強がりで失敗して、短い生涯を終えた。もう、同じ間違いは繰り返さない。
護られる自分を許せるように、誰かを救える自分になろう。そしていつか……
ふわりと吹いた風にマントが舞い、フローラを護る際にライトが負った切り傷が見えた。思えば、一番最初の頃から、いつも彼は自分を助けてくれてた。その記憶に一瞬で強く締め付けられた心に耐えかねて、足を止めて小さく、呟く。
「……大好き」
自覚したばかりのそれはあまりに大きいのに、口にすると、自分の耳にしか聞こえないくらいに、小さくて。今はまだ届かないけど。
いつか、真っ直ぐにこの気持ちを伝えられるような自分になる。そう強く誓うと同時に、振り向いた三人が今の自分の名を呼んだ。
顔を上げてみれば、寮を出たそのすぐ先ではレインとルビーもこちらを見て手を振っている。
結局初代の魔族の力はどこへ消えたのか、とか、ケヴィンをあそこまで狂わせたマリンの目的はなんだったのかとか。……ライトの出生の秘密とか、心配事は、まだまだ色々あるけれど。皆と紡いだ絆があれば、どんなこともきっと、大丈夫。
だから、いつも通りの日常に向かって、満面の笑みで飛び込んだ。
飛び込む途中で石に蹴躓ずいたフローラが盛大に転び、居合わせた全員の笑い声が辺りに響いたのは、また別の話である。
~Ep.257 護り、護られ、並んで歩こう~
『願わくは、何でもない日常を1日でも長く皆と過ごせますように』




