Ep.254 花開く想い
目を覚ますと、そこは氷で出来た寝台の上だった。
「何ここ……!あいたっ!!もーっ、氷滑るし……!……いや、私別に氷じゃないとこでも転ぶか。それより、何で私こんな格好……?」
一人で自問自答式の悲しいコントをしつつ起き上がり、寝台と同じように凍りついた壁に写る己の姿に瞠目した。一目で質が良いとわかる艶やかなシルクで作られたそれは、色こそ白一色だが形は教会のシスターが身に付けている修道服のようで。
その服が現代街で目にするものよりかなり型の古いそれに、見覚えがあることに気がついて、背筋が凍りついた。
(このワンピースとヴェールの形、処刑の日に巫女様が着てたのと同じだ……!)
「やぁ、気に入って貰えたかな?」
「……っ!ケヴィン会長……!」
振り返りつつ、咄嗟に数歩距離を取った。彼が現れただけで、氷に閉ざされた部屋にどす黒い障気が広がったからだ。
そんなフローラの態度に、暗い眼差しをしたケヴィンが『つれないな』と肩を竦める。
「……生憎ですが、婚約者が居られる殿方と懇意になるような品のない趣味は持ち合わせておりませんの」
小さい頃よく目にした皮肉めいたフライの笑顔を参考に思い浮かべながら口角をあげつつ、腕につけていた時計を探した。
(やっぱり外されちゃってるか……。そもそも、一般の魔道具のあのセンサーじゃ、多分この結界に阻まれて通信は出来なくなっちゃってるだろうな)
レインが持たせてくれた腕時計と、護身にとハイネに隠し持たされていた短刀は気を失っている間に取り上げられてしまったようだった。
どう着替えさせたのかは知らないが、服装も完全に変えられた。フローラの手に残ったのは、胸元に揺れる四つ葉のネックレスと、半永久的に抜けないようになった聖霊女王の指輪だけである。
そして、黒く濁った指輪が教えてくれている。この男が悪しき者だと。この結界が、魔族の力で張られたものだと。
(よく見たら、準決勝選手の控え室だわここ……)
壁も家具も全て氷に閉ざされているせいでわからなかったが、目を凝らせば分厚い氷の奥に透けて窓や扉の装飾が見えた。部屋の間取りも、ライトの部屋で見たものと何らかわりない。
部屋が広いとは言え、扉までの距離は数メートルしかない。上手く隙をつけば、走り抜けて扉までのたどり着くことは出来るかも知れないが……
(いや、たどり着いたとしても駄目ね、扉が開かないもの)
この部屋を氷つかせて居るのは、魔族の力だ。フローラには、それを浄化する力があるが、その力はあくまで結界そのものを攻撃して打ち破るような力でなく、術者の方を浄化して内側から解除させる力。戦いには元から向かないのだ。騎士が使っていたと言う聖霊王が与えた剣、“エクレール”があれば話は別かも知れないが、外側から誰かが助けに来てくれる可能性も低いだろう。この部屋が怪しいと気づいたところで、あの扉は外側からだって開けられない筈だ。
「考え事は終わったかな?」
「……っ、さぁ、どう見えます?」
出られないのなら尚更、ケヴィンのペースに呑まれてはいけないと、弱々しく見えないようしっかりと胸を張った。
しかし身構えるフローラの腕を、ケヴィンが素早く、乱暴な動きで捻り上げる。物の様に扱われ、細い腕がギシリと嫌な音を立てた。
痛みに顔を歪めつつも、言いなりにはならないと目に力をこめてそのご自慢の顔を睨み付ける。
「痛……!仮にも全生徒の手本となるべく会長となられた殿方が、女性に対してこの扱いは不躾ではございませんこと?本当に、残念なお方ですね」
「……何だと?残念なのは貴方の方だろう、婚約者達を唆し、リコールを図らせたのは君だと聞いている」
「それは、マリン・クロスフィード嬢からの情報でしょう。証拠は何かございますの?」
拘束は緩めないまま、ケヴィンが言葉に詰まった。そりゃあそうだろう、証拠なんて有るわけがないのだから。フローラは、このリコールに関しては不本意ながら一切関わりが無いのである。
「答えられませんのね。愛する女性からの証言だと言うだけで真偽も確かめずに鵜呑みにするだなんて、本当に残念なお方……。そんな様だから、人望もなく反逆者が現れるのです」
この期に及んで反省のはの字もないケヴィンに、“自業自得”だと突きつけてやる。それによって彼が更に狼狽えたお陰で、段々拘束が緩んできた。
「……っ証拠集めなど必要ない、君が自白さえすれば良いんだ!!」
最早、呆れて言葉も出なかった。こんな馬鹿があの三人やメリッサを散々苦しめて来たのかと思うと、本当に腹立たしい。
その苛立ちも力に変えて、一瞬の隙をついてケヴィンの手を振り払った。
「あっ!このっ……逃げるな小娘が!!」
しかし、氷で閉ざされた密室の中。逃げ場も隠れ家も何もない。指輪に込められたライト達の魔力は、ここ数日間で使いすぎてほとんど空になっているし、氷のなかで水を使おうが氷がすぐ溶ける訳はない。危機的状況を切り抜ける術がフローラに無いのがわかっているのか、怪しく笑ったケヴィンが一歩、壁際まで逃げたフローラに近寄った。
咄嗟に、天から下がっていた鋭いつららを折り、自分の喉元へ突きつける。
「こっ、来ないで!来たらこれを突き刺します!そうなれば、少なくとも貴方は一度必ず王族殺しの罪を疑われる事になりますのよ!!」
「ーー……」
叫ぶフローラに、ケヴィンの眉がピクリと動いた。メリッサから聞く限り、プライドの高い男だ。罪を着せられ一時的にも落ちぶれるだなんて、きっと耐えられないだろう。
実際、フローラに近づく足は止まっている。
「……ハハッ、やはり噂通り、普段の穏やかさは男や下の者を惑わす為の猿芝居と言うわけか。いやはや、恐れいったよ」
声をあげて笑いだしたケヴィンだが、すぐにスッと真顔に戻る。まるで、操り人形のように。その様が不気味で身構えるフローラに向かい、再び目の前の男が歩きだした。
(……っ、もう少し近づいてきたら、これで思いっきり刺し……たら流石に死んじゃうか。それは駄目だ。よし、じゃあ殴る!バーンって!!)
そう決意して、冷たさにかじかんできた手でつららを強く握り直した、その時だった。
「しかし、こちらの方が一枚上手だったようだ。良いのかな?君がこれ以上抵抗すると、私はこの紐を切らざるを得なくなってしまうが?」
言われて見てみれば、先程までとは違う、作り物のような笑い方をしたケヴィンの指先から透明なテグスのようなものが延びている。複雑に部屋中を通り、延びたその紐の終着点には、純白の毛玉を閉じ込めた黒い鳥かごがついていた。
「……っ!?ブラン!!!」
「あの穴の先は、丁度闘技場の戦場の空中500メートルの位置に繋がっているそうだ。私がこれを切ったら……、わかるよね?」
その言葉に、青ざめた。力なく気を失っているブランが閉じ込められた鳥かごの真下には、先程この部屋に引き摺り込まれた時と同じブラックホールが口を開けていた。そこに、落とされてしまったら。
確実に死は免れないだろう。それも、他ならない、また……転落死だ。そんなこと、絶対にさせられない。
(どうして、毎回ブランばっかりなの……!)
前世での最後の記憶。外れたフェンスに身を預けたまま、あの子の小さな身体を抱きしめコンクリートへ激突した……その記憶が、つららを掴んでいた手から力を奪う。
やがてフローラの手から、鈍い音を立てて唯一の武器が床に落ちた。それを踏みつけて叩き折ったケヴィンは、更に深く笑う。
そして、壁に追いやったフローラの礼服を、力任せに胸元から引き裂いた。
「……っ!?なっ、何する気ですか!!?離して!!嫌!!!」
「良いね、性根が悪いわりにはそそられる反応をするじゃないか。何も殺そうと言う訳じゃない、ちょっと穢すだけだ。大人しくした方が、身のためだと思うよ?あぁ、口での抵抗は緩そう。負け犬が吠えている様は、見ていて気分が良い」
「え……?な、何考えてるの!婚約者だって、好きな人だって居るくせに……!知られたらどんな顔をするかわからないの!!」
「婚約者?あぁ、あんな女はただのお飾りだ、彼女の意思など私には必要ない。また、健気なマリンが私にこれを提案してくれたのだよ。結婚するまで綺麗で居たいから自分は私の欲を受け止められないが、溜めたままでは身体に悪いと。だから、他人を使って発散して、ついでに練習でもしておけばいいとね。記憶も、彼女の使い魔の力なら改変が可能だ。十分楽しんだら忘れさせてあげるから、安心して……ーっ!?」
「……いい加減にしなさいよ、この最低男!!!」
バチンと良い音を響かせたのは、フローラの張り手だ。一瞬瞠目したケヴィンだが、すぐに怒りに目を燃やしてフローラの身体を床に叩きつけるように押し倒す。床に頭をぶつけたせいか、脳がぐらぐらと揺れた。
「大人しくしろ!あの使い魔がどうなってもいいのか!?」
その言葉に、抵抗が止まる。大人しくなったフローラの胸元に手を入れようとして、ケヴィンがそこに輝くネックレスに目を止めた。
「おや、三人の内誰かに貢がせた物かな?ラピスラズリの四つ葉とは、また豪勢なことだ」
「……っ!」
鎖を指先でつままれて、フローラの顔色が変わる。それをみたケヴィンが愉快そうに顔を歪ませた。
「……気が変わった。自分達の婚約者が、反逆を起こすほど嫌っている私に穢されたと知ったら、彼等はどんな顔をするだろうな。特にあの目障りなライト・フェニックスは、色恋に絡む穢れに異様な嫌悪感があるそうだから、実に楽しみだ。……っ、暴れるなと言ってるだろうが!本当に切るぞ!!」
その名前が出た瞬間、緊張と恐怖で暴れていた心臓が一気に凍りついた。そんなことになったら、今度こそ取り返しがつかないほど、嫌われるかも知れない。そうなったらきっと、二度と立ち直れない気がする。
でも、ブランの命はケヴィンが握っていて、紐にはとうとうナイフがあてがわれた。もう、抵抗は出来ない。
震えるフローラの胸元をめがけ、ゆっくりとケヴィンの手が迫ってくる。
馬乗りになり笑っているその男の姿が、フローラには化け物のように見えた。ライトに同じ体勢にされた時は、ドキドキはしても嫌悪感は全く無かった。その理由が、ようやくわかった気がした。
(やだこの人、気持ち悪いっ……!!)
あと少しで、胸元に手が入る。その直前で、いきなり響いた振動に、ケヴィンの手が止まった。
扉の向こうから微かに漏れ聞こえる聞き慣れた声に、一筋の涙が溢れるのは……恐怖からじゃない、安堵のせいだ。
(本当は、ずっとずっと、後悔してた。前世のあの日、あんな死に方をする前に……一人でもいい、助けを求められる人が居てくれたなら)
呼んで良いと、頼っていいと、そう、真っ直ぐに言ってくれる人。強くならなきゃと、守られては駄目だと頑張りながら、本当はずっと探してた。その求めて止まない人に、とっくに出逢っていると……恋をしていると、気づかないまま。
彼はずっと、自分を守ろうとしてくれていた。それを受け入れられなかったのに、怒られてしまったのに……今さら、遅いかも知れないけど。自分の心が助けを求めたその人が、多分、あの氷の扉の向こうに居る。
「ちっ、奴等か、一体どうやって……。まぁいい、どうせ入れやしない」
舌を打つケヴィンの腕に、しがみついた。ブランに続く命綱にあてがわれていたナイフを叩き落とし、叫ぶ。
「ライト、助けて!!!」
「……っ、この小娘が!調子に乗りやがって!!!」
逆上したケヴィンの両手に、首を締められた。
息苦しさで白くなっていく視界の向こうで、稲妻のような閃光が瞬く。
それを目視した瞬間には、目の前の男の体はもう反対側の壁まで吹き飛ばされて居て。部屋を覆う氷が、春の訪れのように溶けていく。
安堵と酸欠で崩れ落ちた自分の身体は、誰かの腕の中に優しく沈んだ。
~Ep.254 花開く想い~
『冬を乗り越えた蕾の様に、少女の恋が開花する』




