Ep.253 麗らかな午後の伏魔殿
「わぁっ!どうしたのそんな泣いちゃって!!んぶっ!ちょ、苦しい!!!」
ライトの部屋から逃げ出したフローラを最初に見つけたのは、心配で後をつけてきていたブランだった。
その小さな身体を抱き寄せ、柔らかな毛並みに顔を埋めていく。ビロードにも負けないその毛の吸水性の良さを持って尚、こぼれ落ちる涙は止まらなかった。
「……本当にどうしたの?さっき飛び出してきた部屋のなかでなにかあったの?」
不安げな面持ちのブランに問われたが、首を横に振る。
泣きすぎて上手く整わない呼吸の隙間から、言葉を紡いだ。
「馬鹿だよね、私。どんなに頑張ってみても、何しても空回りばっかりで……」
『出ていけ!!』と、思い出したくない拒絶の言葉が蘇って、耳はおろか心まで串刺しにされるような痛みに、廊下の真ん中だと言うのにその場でしゃがみこんだ。
「私、嫌われちゃった……。ライトに嫌われちゃったよ……っ!!!」
自分でも動くと決めた時に覚悟を決めていた筈なのに、自ら口にしたその事実が耐えがたくて、人目についたらまずいと理性ではちゃんとわかっているのに、声をあげて泣きじゃくる。
「ぐぇっ……!」
「あ……っ、ごめん!大丈夫?」
が、すがるように抱き締めたブランの呻き声にハッとなって腕の力を緩める。こぼれ落ちる涙は未だ終わりが見えないのに、悲しみにくれているその時さえ、フローラには他者を思いやれる何かがあるのだ。
涙の洪水被害に遭っていない方の前足で、ブランがその頬を優しく撫でる。
「大丈夫、ライトが本気で仲間の事嫌う訳ないよ。心配なら逃げてないで、謝りに行けばいいじゃない」
「……でも私、自分で決めてした潜入なのに『ライトのせいだ』って言っちゃったの。ライトは私のこと、心配してくれたのに……」
『どうしてわかってくれないんだ……!』と、そう呟いたあの時、フローラの目には、ライトが泣いていたように見えた。
その話をすると、なぜかブランが小さく吹き出す。
「ちょっと!こっちは真剣なのに!!」
「あははっ!ごめんごめん、怒らないで!」
「全くもう……」
怒ったフローラの腕から上手く抜け出したブランだが、その顔はまだ笑っていた。
頬を膨らますフローラの背中を押すように、ブランが明るい声音で言う。
「本気で嫌いな相手なら、泣くほど心配なんかしないよ。こんなのはただのすれ違い!今戻ればきっとすぐ仲直り出来るけど、逃げちゃったら距離が遠くなるばっかりだよ」
『それでもいいの?』
シンプルなその問いが、“また拒絶されるのが怖い”と恐怖で立ち竦んでいたフローラの迷いを断ち切る。
びしょ濡れの頬を拭いて、勢いよく立ち上がった。同時に胸ポケットから、御守り代わりに持ち歩いていたネックレスを取り出し首にかける。
深い瑠璃色の四つ葉が胸の前で揺れる。それを握りしめ、顔を上げた。
「そうだよね、ここで逃げたって何にもならない。私、ライトに謝りに行くわ!」
「そうそう。フローラはそれくらい単純でいいんだよ」
「単純って何!?失礼ね、女の子って複雑なのよ?」
「や、やだなぁ、誉め言葉で言ったのに怒んないでよ」
苦し紛れのブランの言い訳に目を瞬かせて、『なんだ褒めたのかぁ』なんて朗らかに笑う。そして、泣きじゃくりながら走ってきた廊下を戻るべく立ち上がり、片手を大きく振り上げた。
「よーし、ライトに謝ってから、武器に紛れ込まされた封印の剣を探すよーっ!!」
「いや、そうはさせないよ?」
「……え?」
不意に聞こえた声に辺りを見回したが、何もない。でも、今の声は確か……と、記憶を辿るフローラに向かい、黒く影をまとった腕が延びる。それに気がついたブランが、慌てて声を張り上げた。
「フローラっ、右側の壁だ!!!」
しかし、一歩遅かった。捕まってしまったフローラが、壁に開いたブラックホールのような渦に少しずつ引っ張られて行く。
「……っ!?はっ、離して!!」
「ふ、フローラを離せ!!!」
羽交い締めにされ引き摺り込まれる瞬間、ブランが主を助けようとフローラの腕にしがみついた。
しかし、何もないはずの壁から延びたその腕の引力は最早人間が抵抗出来る強さではない。一人と一匹は、周りに一切気づかれないまま、壁の狭間に呑まれて消えた。
~Ep.253 麗らかな午後の伏魔殿~
『その歪みは、音も立てずに忍び寄る』




