Ep.241 追憶の中の箱庭・後編
今では見ないような特殊な作りの礼服を纏ったその人は、軽やかな足取りでフローラの方へと寄ってきた。彼女が歩く度、その身体を作り上げている淡い光が弾けて宙に舞う。
(……、影がない。こんなに明るい場所なのに……)
瞳を細めてその事に悲しみを堪えていると、自分とそんなに変わらぬ歳のその人は穏やかに微笑んだまま自分の手を取った。
「貴方、旅の方?よかったら少し私とお話していってくれると嬉しいわ。人と待ち合わせをしているのだけど、いつまでも来てくれなくて退屈していたの」
「……っ!」
こんなにも近くに居て、触れ合うことが出来る。声が聞こえて、会話も出来るのに、それがこんなにも悲しいと感じるなんて。
全部全部、人懐っこく笑う彼女のその姿が白く輝いて、そして透けているせいだ。
「フローラ、帰ろ……!」
「……大丈夫よブラン、少し待ってて」
怯えた様子のブランが、フローラの腕をアーチの方へと引っ張る。彼もまた、目の前の彼女が生きた人間で無いことに気づいているのだろう。
だが、心配している様子のブランには申し訳ないが、自分は今、目の前の彼女と話がしたいと思った。先程言っていた“待ち合わせ”と言う単語が、妙に引っ掛かる。
「フローラさん!可愛い名前ね」
「ありがとうございます。ところで、待ち合わせって事はどこかへお出掛けですか?」
「そうなの!今日は戦いの終了を祈って皆の英気を養うためのお祭りがあるから、彼が儀式の前に二人でお祭りを回ろうって!」
ほとんど色がなく、髪も瞳もどんな色なのかわからないその人の頬が、幸せそうに赤らんでいる様に見えた気がした。
しかし、かと思うとぷくと頬を膨らませて『でも、もう時間過ぎてるのに来ないの!』と怒る。
「忙しいのはわかってるけど、遅刻なんて酷いわよね!夕べは私のこと『好き』って言ってくれたのに!」
「ーっ!」
本気で怒ると言うよりは、拗ねているに近いその様子に、アイナの父から譲り受けたあの鏡の世界で見た、月夜に口付けを交わしていた二人のシルエットが頭を過る。あの日がきっと、二人が想いを通じ合わせた日だったのだ。そして……
(あの夜が、巫女様の処刑の前夜だったんだ……!)
無邪気に与えられる情報が繋がり、星座のように点と点を繋いでひとつの答えを導きだしていく。
「その彼から、直接誘われたんですか……?」
「いいえ?村の人が伝言を預かったって伝えに来てくれたの。でもいつまでも来ないし、いっそ探しに行こうかしら。他の皆も遠征に出たまま帰ってこないし……なんだか心配だわ」
その言葉に、フローラがうつ向く。そんなわけはない、自分が知る過去が正しければ、彼も今頃村人に頼まれ事をされて教会から一番離れた場所にいる筈だから。
妙だとは思っていた。魔力がまだ人間に浸透する前のこの時代で、聖霊王の加護と言う絶大な力を得ていた筈の彼女達が、何故ああも簡単に悲劇的な最期を迎えたのか。
答えは簡単だ。村人達は利用したのだ、初めて想いを通わせ、幸せの中に居た二人の想いを、その絆を……。
(巫女様を処刑するこの場に呼び出すために、騎士様の名前を語ったんだ……!)
愛する者を葬る為に、自分の名が使われたのだと気づいた時、彼は一体どんな気持ちだっただろうか。
自分が殺される為に愛する人が利用されたと知った時、彼女はどれほど悲しんだだろうか。
それはきっと、考えたところで簡単に理解できるような事ではないけれど。
「ど、どうしたの?どこか痛い?」
「いえ……大丈夫です」
目の前の彼女は、本物の巫女様じゃない。恐らく、亡き後の魂ですらない。
騎士の最期の記憶から、後悔から、未練から……、追憶の中に産み出された、儚く悲しい虚の幻影。その事に気づいて、ただただ、涙が止まらなかった。
「怪我をしてるなら治療するわ、そう言うのは得意なの!……フローラさん?」
「いいえ、本当に大丈夫です。大丈夫、だから……」
頬に当てられた、白く透き通る彼女の手に自分の手を重ねた。指にはまったふたつの聖霊女王の指輪が、触れあう。
「私、探します。貴方の大切な人達を、どれだけかかっても、絶対に……!」
静かに溢れ落ちる涙を拭うことすら出来ず、ただ、出来るだけつっかえないように言葉を、紡いだ。
聖霊の巫女はこの箱庭で死んだ。遺体すら残らなかったそうだが、きっと、そうだ。だが、彼女が愛した騎士は、そして、信頼出来る仲間達は、その血筋が途絶えたのかすら……未だ、わかっていない。
もう何百年と昔の話だ。彼等は強い力を得ていても歴としたただの人間だから、当然もう決して生きては居ない。だけど、彼等のその後の人生を、炎に焼かれた歴史の裏側を、今こそ、知るべきではないかと思う。
「貴方が愛した人の事も、必ず、絶対……見つけますから」
「……っ!」
目を見開く巫女の幻影が、段々と薄くなっている。
自分たちがここに立ち入った時点で、封印に使用した騎士の剣はもう、無かった。誰かが引き抜き、持ち去ったのだ。
頭は正直良くないが、その意味が理解出来ぬ程の馬鹿ではない。
封印の要は外された。この追憶と哀愁にまみれた結界は、もう、何の意味も成さない。
止まらぬ涙の一粒が、巫女の掌で弾けて消えた。
そこでぐっと背筋を伸ばして、ようやく彼女に向かって微笑む。自分はこの人のように、綺麗に笑えて居るのだろうか。
「だからもう、一人で待たなくて大丈夫ですよ」
その言葉に、彼女が一瞬目を見開く。そして、笑った。全てに満足したような、安らかな微笑みだった。
「ありがとう、お願いね」
パズルのピースが崩れるように、辺りの景色が崩れていく中、一人の青年の未練が生み出した恋人の幻影と共に、追憶を閉じ込めた箱庭は、音もなく霧散して消え去った。
「フローラ!!?大丈夫!?」
気がつけば辺りは再び夜の静寂に包まれていて、フローラとブランは闘技場の裏手にあるただの通路に立っていた。
そこで両手で顔を覆ったフローラが、力なく地面に膝をつく。
慌てて寄ってきたブランを抱き締めて、泣き声が漏れないよう必死に唇を引き結んだ。いつまでも止まらない、月明かりを反射して頬を伝うその雫を、ブランが何度も舐めとってくれた。
どれくらいそうしていただろうか。いつの間にか空が白ずんで来た頃、ようやく気を落ち着けたフローラが立ち上がる。
ようやく解放されたブランは、何故だか両手を握ったり開いたりしている主人の姿に首を傾げた。
「手がどうかしたの?」
「…………ううん、どうもしないよ」
そう答えつつも、フローラは広げた己の両手から目を離さない。そして、ふと呟いた。
「前世でよく読んだんだ。恋愛ゲームや少女漫画への転生モノって、たくさん種類があったけど……こうして実際転生してみると思うの。なんで、この世界だったんだろうって。あ、別にこの世界や今の自分に不満がある訳じゃないからね」
「わかってるよ。今はちょっと特殊な状態だけど、今の君は前世で見てたよりずっと幸せそうだもん。だから、理由なんて別に要らないんじゃない?」
ブランの言葉に苦笑しつつも、どうしても考えてしまう。
フローラだって普通の女の子だった。甘く明るく、楽しい恋物語が楽しめる、乙女ゲーム転生の小説なんかも色々読んだものだ。そして大抵の主人公は、自分の一番お気に入りだったゲームの世界に入り込む。そこに深い理由はない。
それに照らし合わせれば、自分の場合も持っている乙女ゲームがこれだけだったから、単にこの世界に来ただけだと言えるだろう。
その事に、決して不満がある訳じゃない。この世界に転生して、大好きな皆が居て、自分は今、幸せだ。だけど、だけど、どうしたって自分の存在は、この世界に対してあまりに異質だから。最後に握りあった彼女の手の柔らかな感触に覚えがあることが、どうしても気になってしまったのだ。
(高校の屋上から、真っ逆さまにコンクリートへ落ちたんだ。多分即死だっただろうし、その瞬間の記憶がないのも仕方ない。けど……あの時、確か私は……)
「ーっ!!?」
「何!?敵襲!!?」
「貴方、だからどこでそんな言葉覚えたの……」
触れてはいけない所から記憶を引きずり出そうとして、ズキズキと痛んでいたこめかみに、空で弾けるそれの音が響いて、暗い思考を吹き飛ばした。
四色の煙を放つ、魔力で打ち上げた空砲だ。
「ちょっとのんびりし過ぎちゃったね。……ブラン、行くよ、大会が始まるわ!」
「うん!あ、待ってよ、忘れ物!」
「忘れてた!ありがとう!!」
「気を付けなよ、闘技場にはあの三人が居るんだから!」
走り出したフローラの頭に、ブランが変装用のウィッグを乗せる。
そのまま掛け上がる階段の先。開けた闘技場の中央で一際大きな歓声が上がったのは、丁度その時のことだった。
~Ep.241 追憶の中の箱庭・後編~




