Ep.239 追憶の中の箱庭・前編
秋の夜長と言うけれど、実際には夜の長さは変わらない。新人メイドのふりをして潜入してから毎晩調査に出ているが、広大な闘技場と寮の周りを一人と一匹で完全に調べ尽くすことなどこの限られた時間のなかでは到底不可能だった。
そこで役に立つのが、フローラの指に輝く聖霊女王の指輪である。
三人の皇子達に魔力を込めて貰い各々輝く三連の石は、邪悪な者の気配を感知するとじわじわと黒く染まる。それは、聖霊の森で採掘される石達の持つ特性だ。似たものだと、スプリングの王室に代々伝わる聖霊の森へのゲートを開くための時計の針などが同じ素材で出来ている。
「どう?あいつ等の気配とか“見える”?」
「ううん、今のところ昨日と何も変わり無いわ。今日はこのまま闘技場の裏門に回って!」
「了解!!」
フローラの背をしっかり支えたブランが、人目も届かぬ高い空で旋回する。
(でも、邪気は会長達がこの寮に入ってから日増しに濃くなってる……。早く何とかしないと)
宙から見下ろす寮の窓の明かりの中に、何部屋か黒い靄が滲み出ているように見える箇所がある。が、それを視認することができるのはフローラのみだ。
マリンと対峙して指輪を手にいれて以降、度々目にする様になった不気味な靄。はじめの頃は何だかわからなかったが、先日の夜会でマリンの周りが最も靄が濃かったこと。そして、靄をまとわされているのが彼女に好意を寄せている者ばかりで有ることと、フローラに言い負かされたマリンの呟いた『黒猫』と言う単語でピンと来た。あれはきっと、魔族の力の影響を受けた者を示しているのだと。
「つまり、君の予想だと前に言ってた魔族の黒猫が使い魔としてあのマリンに仕えてるってこと?」
「そうよ。迂闊だったわ、本来ならヒロインであるあの子に仕えるはずだったブランが私の元へ来たんだもの。逆のパターンがある危険性を考えておくべきだったのよ」
ゲームで悪役として立ちはだかった姫に仕えるふりをして、彼女の孤独や悲しみに突け込み影で操った使い魔の黒猫、ノアール。
彼の特殊能力は、人間の記憶と感情の操作だ。あの子がそんな危険力をもつ仲間を手にいれたのだと考えれば、昨年からの彼女の周りの人間の様子が病的なまでの心酔に変わった事も頷ける。恐らく、洗脳に近い状態になっているのだろう。マリンから離れている筈のこの場所で邪気が強まっている理由はまだわからないけど。
だからって、彼等の行いが許される訳では無いけれど……と、目を伏せたフローラの脳裏に浮かぶのは、潜入初日、たった一度だけ小さなハンカチを握りしめてこっそり涙を流していたメリッサの姿だ。
「……思い出したら腹立ってきた!あのバ会長、全部終わったら私からもお仕置きしてやる!!」
「ふぅん、フローラがそんな事言うなんて珍しいね。何する気?」
「え?あー……、お尻ペンペンとか……?」
「ぬるいな!て言うかそれ大丈夫?相手は変態でしょ、却って新しい世界開いちゃいそうじゃない?」
「えーっ、駄目!?でも私、お仕置きなんてウメボシとお尻ペンペンしか知らない……」
「それはまた古風な!てか、フローラあんないい子だったのにそれされたことあるの?」
「あるよー。ちっちゃいときは悪だったもん、私。お母さんとお買い物行ったときに、毎回こっそり買い物かごの中に欲しいお菓子忍ばせてたし」
『レジに並び始めたタイミングで入れるのがコツね』と笑う主人に、『それ悪いって言うかな……』とブランが肩を落とす。と、同時に、不自然なまでの強風が二人を煽った。
下らない話に脱力していたせいだ、完全に油断していた。バランスを崩したブランと一緒に、まっ逆さまに落ちていく。
(ど、どうしよう、この高さじゃ流石に死ぬ!衝撃を和らげる何か……そうだ、指輪!)
フローラが呼び掛けると、三つの石の右端で緑に輝くそれが魔力を放つ。フライが込めてくれた風の力は小さな渦となり、二人の体を墜落寸前で受け止める。
「ご、ごめんフローラ、僕……!」
「大丈夫、ブランのせいじゃないわ。でも本当、指輪のお陰で四種類の魔力が全部使えるようになっておいて良かったね。……あれ?」
ふよふよと風に浮かせられたまま広げた手に輝く指輪を見る。すると、今しがたお世話になった風の石が半分ほど黒く染まっていることに気づいて瞠目した。
じわじわと侵食するようにうごめいていた黒ずみだが、観察していると浄化されるように石は綺麗な緑に戻っていく。
「指輪が反応したって事は、魔族が近くに居るのかも……。探しに行こう!」
「あっ!馬鹿っ、風の魔力発動したまま手なんか激しく振ったら……!!」
焦った様子のブランの忠告は、突如勢いを増した竜巻に呑み込まれた。
フローラはまだよく知らないが、風の魔力は主に手の動きでその威力などをコントロールする。故に、下手なものが扱うと暴走の元なのだ。
結果、助かった筈の二人は他ならぬフローラが暴走させた竜巻に飛ばされる。
声も出せずに吹っ飛ばされた自分達の身体は、闘技場の出入り口にあたる四色の薔薇で彩られたアーチに向かって一直線で。
(落ちる……!!)
衝撃に身構えて目を強く閉じたまま、身体が膜のような何かに当たる。痛みも衝撃も感じないまま、その膜のお陰か落下の勢いだけが削がれて、ふわりと爪先が地面についた。
「フローラ、大丈夫!?」
「う、うん、平気。でも、何だろう、ここ……」
己の翼でふわりと浮かび上がったブランの毛並みが陽射しに輝く。
アーチをくぐったその先は、神々しくも人気はなく、寂寞感を感じさせる小さな教会の庭だった。
どこか見覚えがある、と気づいて、フローラが庭の中心に立つ十字架の前へ足を進める。
「……手遅れだったみたいね」
抑揚なく呟いた新たな巫女のその声は、閑散とした庭へと溶けた……。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
フローラとブランが姿を消した後、天に構えていた刃のない剣を地面へ放り投げると、一人の少女は草影に崩れ落ちる様に膝をついた。そして、腹を抱えて笑いだす。
「あっはははははははっ!見た!?あの落ちてく時の顔、最っっ高!刃のない剣とかあり得ないと思ってたけど、これ案外使えるじゃない。褒めたげるわ」
「光栄でございます、我が美しき主よ。さて、あのお姫様と白猫はいかがなさいますか?」
「今日はもう良いわ、飽きたしお腹空いたし帰る。落ちた衝撃で死んでたらそれはそれでよかったけど、あの悪女ってば悪運強いのよね。憎まれっ子世に憚るって奴?」
『帰るから魔方陣出して!』と横柄に地面を蹴る少女に向かい、黒猫がひっそりと笑う。体にはきちんと聖なる力が宿っているのに、ここまで魂が腐りきっているなど、本当に、なんて扱いやすい娘だろうか。
「かしこまりました。では、次の策へ参りましょうか。あの巫女から、指輪を奪……言え、貴方様が取り返す為にね」
赤黒く輝く魔方陣に飛び込み、少女と黒猫は闇夜に消えた。
10人が見れば10人が“悪”だと言うであろう二人のその邪悪さに気づく者は、まだ居ない。
~Ep.239 追憶の中の箱庭・前編~




