Ep.236 噛み合わない心
その日はまだ五月も中旬だったと言うのに、締め切られた部屋の中を冷たい空気が吹き抜けたような気がした。
「……手離せよ、今真面目な話してんだから」
「へぇ、よく言う。今さっきまで自分だって普通にじゃれ合ってた癖に。それに……」
「わっ!」
いつもより抑揚のない無機質な低い声と、歌うように軽やかで飄々とした澄んだ声。でも、どちらも感情を圧し殺して話しているような、そんな印象を受ける。聞き耳を立てていた訳じゃないが、ただどうしようもなく二人のやり取りを聞いていたら、抱かれていた肩を更に強く引かれて、フライの胸に顔を埋めるように突っ込んでしまう。
耳まで塞がれて混乱している彼女には悟られないよう、眉をひそめたままのライトに囁くような声で言う。
「何だい?その顔。『どうするかは僕の勝手』だと、そう言ったのは君なのに何か言いたいことがあるのかな?」
「ーー……っ!」
痛いところを突かれ押し黙ったライトから先に目を逸らしたのはフライだった。一瞬瞳を伏せてから、抱き締めていたフローラを解放する。
「な、何の話してたの?」
「ん?お父さんがむやみに娘を叩くのは虐待だねって話。さぁ、ご要望通り離したよ。続きをどうぞ?」
事態がわからずキョロキョロしているフローラ以外の全員が『白々しい』と思っているだろうが、誰も口には出さない。
フライ同様、ライトに時折嫉妬心を抱いているクォーツすら参戦出来ないほど、最近のフライの様子は普段と違っていた。
しかしこのまま黙っていても話は進まない。ため息混じりに首を横に振ってから、ライトが一冊の資料を取り出した。
「先日の夜会後に集計した現生徒会役員への支持率のグラフだ。フローラが思わぬ形で仕事の横流しを公表したことで、対処が追い付かなかったんだろうな。それまでは安定して高い位置にあった会長と彼と懇意にしている役員の支持が目に見えて落ち込んでる。このデータ自体はフリード達に集計を頼んだ物だから彼等は結果など知らないだろうが、周囲の反応から立場が悪くなりつつ有ること位は感じている筈だ」
「まぁ、これだけガタ落ちしていて気づいていないとしたら、本当に真性の役立たずだね」
「まぁ、それならそれで自分達の立場が剣が峰だと気づかれる前に崩してしまえば良いのだから僕達としては楽そうだけど……」
クォーツの意見に、ライトが首を横に振る。
「いや、楽観視はよそう。一度でも警戒されたら今後同じやり方での革命はまず不可能になる。だから、今回で確実に仕留めるんだ。向こうが散々女に現を抜かしていてくれたお陰で、あいつ等抜きでの仕事の基盤も出来上がったしな」
「……満を持してって訳か。君にしてはいやに大人しく従っているなと思えば……全く物騒なことで」
『敵に回したくない』と呟くフライの頭を叩き、『じゃあ子供みたいな挑発してくんなよ』とライトが笑う。そこにもう、先程までの険悪さはなかった。
「じゃあ、後は本当に向こうを転落させるのみ……と。でも、学年が違うから授業や学校行事で競うのは不可能だよね。どうするの?」
「そこは考えてある。今年はフェニックスの歴で言うサラマンダーの年でな。四年に一回訪れるこの年は、武闘を好む聖霊であるサラマンダーに捧げるとして、よく武闘大会が開かれる。そこで、先日学院側から新たな行事の意見を出せと会長宛に通達が来た際に、学院の男子生徒達で剣術を競うのはどうかと資料をまとめて出しておいた」
「あぁ、なるほど。剣術大会なら……!ってちょっと待って、会長さん当てに来たのをライトが返事したの!?」
『流石にまずいよ!』とまるで自分の事のようにあたふたするフローラに、皇子三人が小さく吹き出す。
「馬鹿だな、その返事も押し付けられたに決まってるだろ」
「それも、わざわざ封筒は会長の家の家紋入りのものを使わせてね……。全く、小賢しいったら」
「まぁでもそのお陰で、剣術大会の案を出したのは俺たちではなく会長だって事になってる。主催が不参加と言うわけにはいかないだろうし、当然出ざるを得ないだろうな」
「会長はそうでも、他の取り巻きは逃げるんじゃない?」
「いいや、むしろ挙って参加すると思うぜ?今、あいつ等の評価は風前の灯火だ。今回の剣術大会のような大衆の目がある場で名を上げるしか奴等にはもう手がない。まして、今奴等にとって一番目障りであろう俺達も出るからな。全員とはいかなくても、半数以上は釣れるさ」
フローラの頭の中で、体だけしらすのようになった会長その他が釣竿でつり上げられている姿が浮かんだ。元々目先の餌に弱い性格のようだし、確かに食い付いてきそうな条件だ。そこも計算して、ライトはずっと準備を進めつきたのだろうか。
「作戦の概要はわかった。だけど会場は?真剣で戦うなら、今学院にある施設は使えないよ」
「抜かりは無いさ、良い場所があるんだ」
フッと笑ったライトが最後に取り出したのは、一枚の写真。古びた様子だが、壁から何からに繊細な彫刻の施された闘技場だ。
その写真をしばらく眺めた後、クォーツがぽんと手を叩く。
「あー、ここあれでしょ。小さいときにした学院探検の時に、ライトが地面から抜けない古い剣みつけた所」
「ーっ!」
「あぁ。あの側に闘技場みたいな施設があったなと思って、広さや造りを調べた。改修は少々時間が掛かりそうだが、十分使えそうな状態だとさ」
「ふぅん、まぁいいんじゃない。で?あの剣まだあったの?」
「いや、無かった。抜かれたと言うよりは、刺さってた場所自体が見つからなかった感じだけどな」
三人の会話が頭の中で回る。“大地に刺さった抜けない剣”。それが、何より引っ掛かった。
「話が逸れたが、不正の防止のために大会期間中は参加生徒は闘技場に併設する特別寮に入ってもらう。これは絶対の条件だ、いいよな?」
「あぁ、僕は構わないよ」
「うん、僕も良いと思う」
「……!はい!じゃあ、私その寮にお手伝いに……」
「駄目だ!」
「何で!?」
本当にあの闘技場の近くに件の剣があるなら、流石に黙ってはおけない。慌てて自分も行くと言ったフローラを、ライトが間髪入れずに拒否した。
一呼吸置いて、理由も話してくれる。
「大会選手の寮には、女生徒の立ち入りを一切禁止にする。もちろんお前も例外じゃない、絶対来るなよ」
「だから何で!?普段の寮なら別に大丈夫なのに……、今だってここライトの部屋だよ?」
「あのな、今回の剣術大会で俺達は会長達の権威を失墜させるか、そうでなくても彼等の目を覚まさせないとならないんだ。その期間中に、あの女にまた余計な下僕を増やされたら堪らないだろ?」
「つまり、マリンちゃんを近寄らせない為に、女の子全員立ち入り禁止ってこと?」
「まぁそうなるな……。なんだよ、その不満そうな顔は」
ぷくーっと頬を膨らませたフローラに、ライトが深くため息をつく。見かねたのか、助け船がいくつかやって来た。
「それに、男子達の状態も普段とは違うからね。戦いで気が昂った直後の男の近くに、年の近い女性を近づかせるのは愚策じゃないかな。この年で伽なんか許すわけにもいかないし」
「……?どうして?流石に暴力を振るったりはしないでしょう?」
「駄目だ、こいつ通じてないぞ」
その昂った男子に近づいた結果がどうなるのか、が理解出来てないフローラには、フライの真意が伝わらない。
パタパタと身ぶり手振りを交えて、一度くらい入れないものかと粘る。
必死だった為に、ライトの表情が段々と険しくなっていることには気づけなかった。
「もちろん騒ぎは起こさないし、お願い!」
「……うーん、まぁ、試合のない日とかならいいんじゃない?」
「プライベートな範囲に入れなきゃ僕も良いんじゃないかと……」
「駄目だって言ってるだろ!!!」
声を荒げたライトに、一瞬で全員が押し黙った。
驚きで固まっているフローラの手を握り、ライトが小さな声で言う。
「あいつ等、自分達の立場が悪くなったきっかけがお前だと思ってる。近づくだけでもどれだけ危険か、それくらいわかるだろ?」
「あ……」
確かにあの夜会で、会長の悪事を周りに明かしたのはフローラだ。
~Ep.236 噛み合わない心~
『お願いだから、今回だけは大人しくしててくれ』
絞り出すようなその声に、ただただ何度もうなずいた。




