Ep.230 心が選ぶ答えとは……
アイナにはもちろん、アイナの父であるロイドにもフローラが聖霊の巫女であることは明かして居ない。それは、真実を知らせることで互いにどんな危険に巻き込まれるかわからないからと言うフリードからの忠告が、ライト経由でフローラ達に伝わったからだ。
だから、明らかに人間離れした帰還を目撃されたフローラがまず行ったのは、指に輝く聖霊女王の指輪を見られないよう両手を自らの背中に隠すことだった。
「物音がした気がしたので失礼ながら部屋に入らせて貰ったら姿が見えなかったので、心配したよ」
「ご、ごめんなさい!」
ロイドはそんなフローラの不自然な態度に気づいたようだが、特にそこには触れる様子がない。色々とぶっ飛んだ面が多いが、この人も立派な大人なのだ。
恐れていた指摘が来ないことに安堵して辺りに視線を向けて、ようやく自分がどこにいるのかに気づく。
寂しそうな眼差しで木を見上げるロイドに並び立ち、フローラも同じように天を仰いだ。
そこにそびえる桜の大樹に、生命の息吹は感じられない。
「アイナちゃ……、アイナさんから聞きました。この桜は、ロイドさんの奥様が大切にされていた木なんですよね」
葉の一枚もついていないその幹に手を当ててみる。温かみのある、立派に育った木の感触がした。
「そうか、アイナが妻の、亡き母の話を出来る友人を見つけましたか……。フローラさん、ありがとう」
「……?お礼を言われることはしていませんよ。私はただ、友達だからアイナさんともたくさんお話したいんです。どんなものが好きで、何が嫌いかとか。もちろん、家族のお話も、悩みだっていくらでも聞きますから」
その言葉に、ロイドが安堵したように息をつく。そして、徐に一枚の押し花を取り出した。
「桜の押し花……。もしかして、この木のお花ですか?」
ロイドは頷き、切ない眼差しでそれを撫でる。
「娘には……アイナには、“妻の病を治す為に聖霊の研究を始めた”と、そう説明していたがね。フローラさん、私が研究を始めたのは、妻が亡くなった後だったんだよ。愛する者がもう何処にも居ない。そんな現実を、どうしても受け止め切れなくて」
「ーっ!」
静かな語り口だが、その内容に心臓がドクンと嫌な音をたてる。先程この目で見てきた、我が子の蘇生と引き換えに命を捨てた女性の姿がふと脳裏を過った。
その嫌な予感が当たっていたと証明するように、ロイドは話を続けていく。
「フローラさん、私はね……本当は妻を、生き返らせたかった。聖霊や魔族の力ならそれが叶うかも知れないと、一縷の望みにすがり付いてこの研究を始めたのだよ」
自嘲気味に笑ったロイドの言葉。それはきっと、長い人生の中で誰もが一度は願うであろう、切ない願い。
しかしそれを叶えてしまった者の果てを、フローラは今その目で見てきた。
その上でも尚、この人や、あの我が子の蘇生を願った母を、フローラだって、笑えない。
(私だって、『帰りたい』って思うときがあるもの)
叶うことなら、孤独にさせてしまった母に、もう一度……なんて。
「本来ならもう会えない筈の愛する人に、もう一度だけでも会える可能性があると知ってしまったなら……手を伸ばしたくなるのも無理ないですよね」
たどたどしく言葉を選びながら答えたフローラを、ロイドが驚きを隠さない表情で見つめる。そして、指先でその頬を掻きながら笑った。
「……こんなことを言ったら、女々しいと笑われてしまうかと思ったよ」
「笑いませんよ。……だって、奥様を愛しているからこその願いでしょう?」
そうだねと頷いたロイドの表情は見えない。ただ、顔も見えないせいで、その心が……まだ葛藤に揺れ苦しんでいるのではないかと、そんな不安に駆られてしまう。
「……聖霊の力や、魔族の契約の対価ついての研究をたくさんしてみて、今でも奥様に帰ってきてほしいと思いますか?」
「……っ!」
瞠目したその瞳を、真正面から見つめ返した。
長い時間にも感じられる、ほんのわずかな沈黙の後、ロイドは静かに首を振る。
「いいや、思わないな。……妻を呼び戻す代わりに、アイナを失うんじゃ意味がないからね」
その答えに、心底安心した。
そう、魔族の力で死者を甦らせるには、対価として蘇生したい人間と同じ血を持つ者の命を差し出さなければならないのである。言わば、生け贄だ。
「私は妻に帰ってきてほしかった。だがその理由は、彼女の腕に……一度で良いから、可愛い私達の娘を抱かせてあげたかったからだ。でも祖の為に我が子を身代わりにするなんて、出来る訳がない。そんなことをしたら、叱られてしまうよ」
『だから、妻との再会は、死後の楽しみに取っておくことにしたんだ』と、ロイドが笑う。その笑顔は穏やかで、でも、少しだけ悲しい影を含んでいた。
その悲しい眼差しが、枯れ果てた桜の姿を写す。
「だが、同時に彼女を諦めた私を、妻は怒っているのかも知れないな。だから、妻が残してくれたこの木も、咲かなくなってしまったのかも知れないなぁ」
「……っ!そんなことないです。死んだ方にだって、もちろん未練はあるだろうけど……大切な人の命を踏み台にしてまで帰ろうだなんて思うわけないわ」
ぎゅっと拳を握り力説するフローラに驚き、そしてロイドは笑った。この子にそう言われると、本当にそんな気がしてくるから不思議だと。
それは、“死んだ側”の体験があるからこそ言える言葉だからなのだが、そんなことをロイドが知る訳はない。
「ありがとう。……妻に帰ってこいとはもう望まないから、いつかまた満開になったこの木を、娘に見せてやりたいものだ」
「……また咲きますよ、絶対!!」
「……ははっ、ありがとう、本当に優しい子だ。貴方のような子が娘の友になってくれて安心したよ」
ロイドと一緒に桜を見上げ、断言したフローラだが、笑われてしまった。単なる気休めだと思われたのだろうが、別に構わない。
色々と胸の内に抱えてきた重荷を吐き出して、彼も少しは楽になったようだから。
それから、どれくらいの間枯れ木を眺めていただろうか。
ふと再び自分の方を向いたロイドが、『遅くなってしまったから、客間まで送ろうか』と言ってくれる。
確かに、もうすっかり夜も更けている。割り振られた部屋への帰り道もわからないしと、そのご厚意に甘えようとしたフローラの肩を、誰かが後ろから引っ張った。
完全に油断していた足はもつれて体勢を崩し、後ろに立つその人に寄りかかる姿勢になる。背中に感じる温もりと、少しだけミントが交ざった爽やかな香水の香りに、驚きつつも安心してその人の顔を見上げた。視界の端に、夜目にも優しい緑の髪がふわりと揺れる。
「ご心配には及びませんよ。僕がしっかり連れて帰ります」
逃げられないようフローラを抱きしめ、風の皇子が微笑んだ。
『さぁ、帰るよ』と涼しい顔でフローラを引っ張る少年の息がほんの少しだが上がっていることに気づき、ロイドが微笑ましいものを見るように瞳を細めた。
かつての自分を見ているようで、つい余計な世話を焼きたくなってしまう。
「こんな遅くに心配して探しに来てくれるなんて、良い婚約者じゃないか」
そう声をかけると、フローラがきょとんと瞳を瞬かせる。
今はまだ、皆と楽しく過ごす時間が幸せ過ぎて、“選ぶ”と言う選択肢すら頭にないのかも知れない。でもいつか必ず、選ぶべき時が来るだろう。これはそんな幼く純真な少女への、人生の先輩から細やかなお節介だ。
「どの彼と結ばれても、きっと貴方は幸せになるだろうがね。恋とは堕ちるものだから、貴方自身の心が選んだ人の元へ嫁ぐと良い。例え、いつか先立たれたとしても、その人を選んで良かったと、誇れるようにね」
意識などせず、頭が働くよりもっと深い場所で、勝手に芽生えるのが恋である。
そんなロイドのアドバイスを正しく受け止めたかは定かではないが、少し考え込んだ後、逆に彼女の方からロイドに問いが返ってきた。
「じゃあ、ロイドさんは、奥様を……アイナちゃんのお母様を、選んで良かったですか?」
「……!」
隣に自分に好意をもつ少年が居て、その手をしっかり掴まれている上でのこの質問である。
想い人がこれだけ博愛であると手強そうだと、三人の皇子達の健闘を心で祈り、ロイドは本日で一番の笑顔を浮かべた。
「人生で一番大きな感情を貰い、あんなに可愛い娘を授かって、死後にまで“再会”と言う楽しみをくれた。彼女と娘のお陰で、私は毎日幸せだよ」
その穏やかな声を拐って、吹き抜けた風が大樹を揺らす。
花どころか葉さえつかないその場所で、柔らかな桜の香りがした気がした。
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繋がれたままのその手は、痛くはないけれど、決して離れないように、しっかり指をからめられていて。
珍しく全くしゃべらないその横顔を見上げて、先程ロイドから聞かされた話を思い返してみた。
(嫁ぐって、結婚するってことだよね……)
婚約者なのだから言われてみれば当然だが、なんだか想像がつかない。
フライも、ライトも、クォーツも、婚約者云々という話は抜きにして、フローラは皆が大好きだ。でもそれは、ハイネやレインや、ルビー、それに新たな友人であるアイナへの“大好き”と、なにが違うのだろうか。
見上げる横顔の位置は昔より高くて、白くて綺麗なその手だって、繋いでみれば昔よりずっと固く、骨張った力強さがあることがわかる。指の間にある蛸は、剣の握りすぎで出来たのだろうか。
見た目だけでは、そんなに気になったことが無いけれど。今こうして、大嫌いな筈の暗い廊下も耐えてフローラを部屋まで送ってくれるフライも、いつも保護者みたいに守ってくれるライトも、誰にでも優しくて、一番に味方になって甘やかしてくれるクォーツだって、皆確かに、男の子だから。
「ーー…………」
「フローラ、どうかした?」
ふと窓から射し込んだ月明かりで、改めてハッキリと見たフライの横顔があまりに綺麗で。
ごちゃごちゃになっていた思考を捨てて、まじまじ彼を見つめてしまう。
気まずそうに笑う彼の手が、緊張で少し強ばったことなどまるで気づかずに、フローラは至って真面目に呟いた。
「……本当に男の子……だよね?」
「……喧嘩売ってる?」
『だって、うらやましいくらい美人過ぎるんだよ!』と反論するより前に、ぐるりと世界が回転した。
背中に衝撃を感じるのと、フライの腕が自分の顔の真横で壁を叩いたのがほぼ同時であったことだけは辛うじて理解出来て。
「ーー……成る程、挑発してるんだね?」
逃げられないよう本気で追い込まれたら、女の子では逃げられないんだなと、止まりかけた思考が、呑気にそんな答えを出した。
~Ep.230 心が選ぶ答えとは……~
『本当に男か、教えて欲しい?』
涼しげなその瞳の奥で、何かが熱く燃えている気がした。




