Ep.223 それは、誰もが知る些細な御伽話
初等科の運動会の日、中等科の先輩達が応援合戦の一貫で行った演劇を見たことがある。
穢れに呑まれ崩れかけた古の世界の均衡を切り裂き闇を打ち払った騎士と、赤く染まった天から邪を吹き飛ばし青空を取り返した賢者と、破壊された大陸を新たに造り直した風水師。そして、闇と苦しみに支配された人々の心を浄化し、救った巫女様のお話。その4人は戦い後散り散りとなり、再生の大地に各々が新たな国を築いたと言う……。
この世界では、生まれた国を問わず誰もが幼いとき一度は読むくらいに有名な童話。もちろん実話ではなく、作者であったご老人が四大国の建国の由来と、ほんの僅かに現代に語り継がれていた聖霊の伝説を組み合わせて書き上げた、ただの作り話。読み聞かせている大人達も、わくわくして物語を聞いて育った子供達も、もちろん、実話だなどとは思わない。
夕食時にも止まらないアイナの父の話を聞きながら、この話、決して完全なる創作などでは無いのでは無いかとフローラは思った。
「妻が亡くなって早13年……。聖霊一筋のつもりで研究を続けてきた私だが、その過程でもうひとつ、非常に興味深い種族の記述を一冊だけ手にいれた」
「……また始まった。お父様、それって胡散臭い古書店から異常なほどの高値で吹っ掛けられたあの黒い本の話でしょう?“聖霊と反する闇の種族の伝説”なんて、他の資料にはただの一文も記載がなかったじゃない。どう考えても詐欺……」
「アイナちゃん、ちょっと待って!」
「……え、踊ればいいんですか?退屈させてすみません、我が家の経済状況では晩餐に加えて余興の用意はちょっと……」
「“舞って”の意味違う!いやそうじゃなくて、そのお話、私詳しく聞きたいです!」
「本当かい!?嬉しいなぁ、娘は反抗期なのか聞いてくれなくてね!」
身を乗り出したフローラに応じて語りだすアイナの父を横目に、ライトがそっと隣のフライに耳打ちする。
「なんか、俺あのアイナって子に会うの初めてなんだけどさ……ボケ具合が似てるよな、フローラと」
「そうかい?僕は全てにおいてフローラの方が凄いと思うけど」
「褒めてるように見せて思いっきり貶してんな!?」
「僕が彼女を貶すわけ無いでしょ、君と一緒にしないでくれる?」
「俺も別に貶してはねーよ!」
冷たく言われて思わず声を大きくしたライトに反応して、机に手をついて立ち上がったフローラが2人を叱る。
「もう、2人ともうるさい!お話がよく聞こえないでしょ!!」
「ごめんね、ライトがおかしなこと言うからさ」
「お前っ、そうやって人のせいに……」
「いいから静かにして!大事な話を聞いてるんだから!!」
「「……はい」」
バシッと叱り飛ばされて肩を落とした2人に、女性陣から苦笑が漏れる。
一時話を中断してそれを見ていたアイナの父も、今日は賑やかで楽しいと笑っていた。
「いやぁ、大人しく花のように可憐な方だと聞いていたが、頼もしい姫君だね。これならどの殿下の元へ嫁いでも安心だろう」
その無邪気な言葉に、フライとクォーツの肩がピクリと動き、フローラは『嫁ぐ……』と、何かを考え込む素振りを見せる中。ライトだけが、落胆しているような、うんざりしたような仕草でため息をついていた。
その仕草になんだかチクリと胸を刺すような痛みと同時に妙な既視感を覚えたが、それよりも明日には帰るのだから今は聖霊の話だ。首を数回横に振ってモヤモヤした気持ちを振り払い、話の続きを促す。
「脱線してしまってすみません。『その闇の種族を“魔族”と言い、彼らも人間と契約が出来るそうだ』の続きからお願いします」
「もちろんだ、何度でも説明しよう!そう、我々は現在でも、聖霊の延長上の生き物である使い魔との契約が可能だ。これは一般常識だね?」
「あぁ、そうですね。俺たちはまだだけど、フローラには実際ブランが居るし。魔力の強弱による差異はあれど、契約自体に細かい条件は無いそうだ」
「ライト、詳しいねぇ。使い魔の授業は高等科からなのに」
のんびりしたクォーツの声に、憂いを帯びた表情でライトが返す。
「初等科の頃、俺もモフい生き物の相棒が欲しくて調べた。勝手に召還しようとしたら儀式中にフリードに魔方陣無効化されて失敗したけど。……あいつ、あれだけは本気で許さん」
「君、ちょっと動物の毛並みに飢えすぎじゃない?疲れのあまり癒しでも求めてるの?」
『モフいかはともかく、癒し系な生き物ならそこに居るけど』とフライが自分を指差してきた。フローラはただの人間だ、そんな美しく整った真剣な顔で冗談を言わないで欲しい。
まぁ、夜会後には少し反省するであろうと思っていた会長が反省どころか逆恨みを悪化させ、今や業務は全てライトが目を通して役員に割り振っているのだから、疲れているのは事実なのだろうが。
「はっはっは!その執事さんは主人に対して容赦がないな!」
「本当ですよ、まぁ兄みたいなもんなんで普段は良いんですけど」
何だかんだ言いつつ、フリードはライトに取って大切な存在の一人らしい。微笑ましい気持ちになりつつ、『それで、使い魔がどうしました?』と話を戻した。
「あぁ、そうだった。ライト皇子が1人でこっそり儀式に挑めたと言った通り、使い魔との契約は陣さえ解れば後はわりと簡単だ。しかし、魔族の契約は違う。契約を結ぶには、専用の陣が記された書物と、契約者が支払う対価が必要だそうだ」
「専用の陣……。それはつまり、自分の手で書き記した物では駄目だと?」
フライのその問いにアイナの父がうなずく。と、同時に、窓の外を一閃、黄色い光が貫いた。朝はあんなに晴れていたのに雷とは、不吉な天気だ。
「その通りだ。そしてその契約により得られる魔族の力には、人の負の感情を増幅させたり、逆に好意を奪ったりと言った、心に作用する力が多いと記載があった。そして、こちらは文字も変わっていた為に総てはまだ解読出来ていないが、もう一つ……。支払う対価によっては、失われた命を呼び戻す力を持つ者も居るらしい」
「まぁ!それではまるで悪魔ではありませんか。恐ろしいですわ……」
「本当、恐いわ……。……でも、本当にそんな力があるのなら、魔族の話ももう少し資料が残っていてもおかしくはないですね」
「そう!そこなんだよ!!」
何となくホラーチックに語っていた雰囲気から一転。レインの指摘に急に瞳を輝かせたアイナの父が一冊の本を勢いよく机に置いた。アイナが一歩机から離れたと言うことは、これが件の魔族の本なのだろう。
艶やかに光を反射するその表紙は、昼間見た聖霊の蔵書に反してずいぶんと真新しく感じられた。
「その古書店の今は亡きご主人が言っていたんだが、この手の書物は仕入れた覚えも無いのにどこからともなく色々な場所へ紛れ込み、そして誰の手に渡るでもなく勝手に消えていくそうだ。しかし!そんな不可思議なことが起こっているのに誰もが気にしない、魔族の話も広まらない!まるで、誰かが意図的にその存在を隠蔽しているようだとは思わないかね!!?」
興奮した様子で一気に捲し立てるその言葉に、アイナ以外の全員がハッとしたような表情になる。
言われてみればその通りだ。テンションのせいかあまり知的だと言う印象は受けないけれど、この手の人は自分の得意分野において超人的に鋭いことがある。
アイナだけは父の言葉を『またそうやって思い付きを口走って……!』と流していたが、“隠蔽している”というその指摘。決して間違っては居ないかも知れない。
(聖霊王様も、魔族がこちらに来るには人間と契約するしか無いと言ってた……。こうなると、もう一度彼からお話を聞きたいけれど……流石に難しいよね)
あれからもう半年以上。聖霊王夫妻とはあれから一度もコンタクトを取っていない。元々、聖霊の森はただの人間がおいそれと訪れて良い場所ではなかった。それは聖霊の巫女と言えど例外では無いだろう。
そもそも、巫女であること自体秘密なのだから、権威などあるわけがない。
「もしかしたら、この書物にも何かしらの魔族の魂が宿っているかも知れないな!そう考えるとロマンだろう!?」
未だハイになっているアイナ父が恍惚とそう言った瞬間、ガシャンと誰かのティーカップが重力に従い床に落ちる音がした。
それを何食わぬ顔で片付け立ち上がったのは、いつもより心なしか顔色を白くさせたフライだ。
「…………下らない。魔族自体の下りはともかく、そんな羊皮紙にインクを垂らしただけの物に一体どんなものが宿ると言うんだ。紙に巣くうのは虫だけで十分だよ」
「いや、僕は虫食いも嫌だと思うなー……。ひっ!」
思わずと言った様子で突っ込んだクォーツを絶対零度の眼差しで睨み付けたフライは、いつもと何ら変わらない声音で『僕はお先に失礼するよ』と席を立った。
しかし、動揺を隠しきれて居ないのか、荒々しく扉を開けようと引っ張って、アイナに気まずそうに『その扉、横開きです……』と指摘されている。
そうこうしてバンッと勢いよく扉を開き、反動で閉まった扉を今度はもう少しゆっくり開き直した後。一寸先は闇状態の廊下に絶句したフライが、『これどう言うこと……?』と、作り笑顔すら無い顔で振り返った。
「あっはっは!夜は魂を休ませる時間だ。本来、神聖な炎の灯りだけで過ごすのはとても良いことなのだよ!」
「お父様!!!すっ、すみませんすみませんすみません!廊下の分まで電飾石を買う予算がうちには無いんです……!!」
電飾石と言うのは、炎の魔力を内に秘めた、この世界では電球がわりに使わる石である。なるほど、だから廊下が真っ暗なのかと納得していたら、フライは腹を括った様に1人で廊下に出ていった。
扉が閉まる前、ライトが『一緒に行くか?』と声をかけたが、『情けなんか要らないよ』と覇気のない声で返していったフライの姿を見て、ふと思う。
「そもそもフライって、なんであんなにホラー系の物苦手なんだろ……」
「……だってよ、ライト。責任もって説明てね」
もっともなフローラの疑問を受け、クォーツが意味深な笑みでライトを名指しした。
自然とその場の全員から見つめられ、ガシガシと頭を書きながら『出会ってすぐの頃だったんだけど』とライトが語りだす。
「クォーツとフライと三人で、もうすぐ使わなくなるって言うアースランドの蔵に忍び込んだことがあってな。アースランドの調度品って、うちやスプリングから見たらちょっと異質だろ?だから見慣れない物ばっかだし、薄暗くて探検気分だしで張り切ってたんだ、“俺は”」
わざわざ最後だけ強調するライトと、ひたすら苦笑いのクォーツ。そして、昔は今よりひねたというか、嫌味な口調だったフライの性格から、何となくオチが見えてくる。
「でもさ、フライはどんな珍しいもの見ようがシラーッと済ました顔してるわけ。それが無性に腹立って仕方なかったから、はぐれたふりしてこっそり蔵の扉閉めて真っ暗にしてから、壁にかかってた鬼みたいなのの面つけて脅かした!」
「最低!!!」
「最低ですね」
「最低ですわね」
「あの、そもそも王族の方の幼少期ってそんな自由に生きて良いものなんですか……?」
アイナのその指摘に関してはフローラも耳に痛い部分があるからスルーして、クォーツが補足した『そりゃ暗闇の中、魔力で作った鬼火で照らされた般若の面なんか見たらトラウマにもなるよ』のセリフに、再び『やっぱ最低!』とフローラがもう一度声をあげて。
『言っておくが四歳の時の話だからな!?』と言い訳するライトと、『まぁあれも思い出と言えば思い出だけどね』と笑うクォーツが、結局廊下の半ばで座り込んでいたフライを回収して去っていく姿を見てから、アイナの父がフローラに笑いながらこう言った。
「いやぁ、実に愉快な三人と婚約したものだねぇ」
嫌味な感じは全くなく純粋に言われた最もな指摘に、フローラは『私も愉快な人間だから良いんです』と笑うしかなかった。
~Ep.223 それは、誰もが知る些細な御伽話~
『“御伽話”は“フェアリーテイル”とも読めるらしい。そんな、この世界には存在しない“英語”の読み方が……嫌に引っ掛かるような気がした』




