Ep.217 ぼんやり皇女の巻き返し
『お揃いね!』と、そう笑ったフローラの声が、静まり返った会場に霧散して消える。
「お、お待ちなさい!いえ、お待ちください。まさか許されるおつもりですの?」
一拍置いて、口を開いたのはアイナを糾弾していた三年生達だ。『私達はフローラ様の為に!』だなんだと騒ぎ立てているが、検討違いも甚だしい。また花頭にしてやろうか。
そんなことを思いつつ、アイナに微笑んでから振り返ったフローラは、皇女の顔になっていた。
「あら、何かいけませんか?」
「良いわけがないでしょう!皇女様と意図的に同じドレスを選んだのです!これは、フローラ様の品位を陥れる行いですわ!!」
「ーー……ふふっ」
「な、なにがおかしいんですの?」
思わず小さく笑ったフローラに、三年生達が一歩、後ずさる。
そんな彼女たちを見据え、ミストラルの第一皇女はさもおかしそうに言う。
「あら、ごめんなさい。だって、皆様が面白いことを仰るんですもの」
クスクスと口元に手を当てて笑うフローラだが、その笑みにいつもの温かみはない。ただ、目の前に立つだけで気圧されるような、雰囲気をまといながら、周りを取り囲む者達を一瞥するだけだ。
そうして笑みを更に深めたフローラは、頭の天辺から足の爪先まで……それどころか、髪の一本にすら隙のない、完全無欠な所作で、ふわりと自らのドレスを広げて見せた。
「ねぇ皆様、淑女たる者、身に纏うモノひとつで品位を左右されるだなんてあってはならないとは思いません?」
全員に投げ掛けていると見せたその問いは、実際はアイナを強いたげていた三年生達にのみ向けられたもの。
気まずそうに視線をそらした彼女達の頭に浮かぶのは、かつて生徒会室で、ただの制服姿の時でさえ完璧に美しかったフローラの姿だ。
フローラに視線を向ける野次馬達の目にも、彼女の品位はドレスの色などで損なわれるものではないとわかっただろう。
だから、もう誰にもアイナを責める理由はない。それなのに。
「しっ、しかし!それでもやはり無礼な行いですわ!!」
「そうですわ、先程マリン嬢がその娘が意図的にフローラ様のドレスを真似したことを証言したではありませんの!!」
「わ、私そんなつもりじゃ……!ただ、フローラ様の服なら良い参考になると思って」
最早難癖に近い御託を並べて激昂した三年生達。そして、その矛先が自分に向いたマリンが瞳に涙を浮かべながら健気に言い返す。その口角がしっかりと上がったことに、誰も気づかないのが不思議だ。
呆れか、落胆か自分でもわからないが、思わず深いため息が出た。もう、笑顔を作る気にもならない。
だから、その麗しい顔から表情を完全に無くし、強い眼差しで花頭達を見据え、大きく一歩踏み出した。反射のように、三年生達は逆にまた一歩後ずさる。
人形の様に整った顔だけに、笑みが消えただけでこんなにも、恐ろしい。
「そうですか……。では、貴方達は私の品位が、どなたかにドレスの色や形を似せられた程度の事で奪われてしまうとお考えですのね。そんなにも軽んじられていただなんて……悲しいですわ。悲しくて悲しくて……、先輩方のお顔を見かけるのも嫌になってしまいそう」
最後の部分にフローラが乗せた最終警告に、サッと周りの顔が青ざめる。
形勢は変わった。最早、三年生達に勝機はない。
「……っ、フローラ様が構わないなら、それで結構ですわ。参りましょう」
忌々しげに言い捨てて逃げていくその背中を見送る際、何だか見覚えのある黒髪を見た気がしたが、それは別に良い。それよりも、悪役が去ってようやく一安心……とは、ならない。何故かって、まだ黒幕が残っている。
「さて……、マリンさん、そこを退いて下さらないかしら?私、アイナさんとお話がしたいの」
その黒幕はまだ潤んだ瞳のまま自分を見上げ、両手を横に広げてフローラを通すまいとしている。
「駄目です!あの方たちを叱ったみたいに、あの子にも酷いことを言われたら私だって嫌ですから!」
その健気な姿に歩みより、フローラが不思議そうに『なぜそう思うの?』と首を傾げる。
欲しかった返答と違ったのだろう。言葉に詰まったマリンの後ろに居るアイナもポカンとこちらを見ていたので、ほんの一瞬だが、素の方の自分で微笑んで見せた。
「フローラさん、マリンの優しさを踏みにじるのは止めてくれないか」
「あら、踏みにじってなんかいませんわ。ただ不思議なんですの。だって、私は嬉しいのに、どうしてマリンさんは私が怒ると決めつけているんですの?」
そこでマリンの頬へと手を当て、耳元にひと言、囁く。『まるで、一度このシーンを見たことがあるみたいね』と。
マリンの視界に写るフローラの手には、三色の石が輝く指輪が光っていた。
「嬉しい?……真似をされたのにか?」
フローラが最後にマリンにささやいたひと言は聞き取れなかったのか、怪訝な表情の会長が指摘したのはそこだった。
にこにこと微笑んだフローラは、ポンと両手を合わせながら答える。
「だって、模倣までされると言うことは、アイナさんの好みが私の好みと合ったということでしょう?好みが似ているなら、良いお友だちになれると思うの!マリンさんは私とは真逆の感性をお持ちなようなので、理解が出来ないのかも知れませんが」
その言葉に対し、周りの反応は、マリンを擁護する者と、逆にマリンの方を怪しむ者に二分される。後者の観客の顔を見てみると、どうにも見覚えがあった。
マリンの衣装や行動に苦言を溢すように囁きあい、中にはマリンのドレスをこっそり笑っている姿も見られるその生徒は皆、フローラが一度癒したことのある人達だった。
「どうなってんのよあのくそ猫、話が違うじゃない……!」
苦々しげなその言葉は聞き取れなかったが、とにかく、マリンの策を失敗させることは出来たようだ。
「で、でも!」
「あらあら、まだ信じていただけていないようですわね。これだけ窮地に立たされてもアイナさんを守ろうとするだなんて、マリンさんは本当に健気でお優しい方なのね。まるで、物語の中の主人公みたい」
『この茶番劇を仕組んだのが、貴方自身じゃ無いのなら……ね』
「ーっ!」
「フローラさん、止めないか!彼女は会長である私のパートナーだ、これ以上の無礼は見過ごせないな」
おっとりと呟いたフローラを、マリンがヒロインとは程遠い眼差しで睨み付けるが、それを見ても尚会長や取り巻きの男性達の目は曇ったままのようだ。
それはきっと、彼等やマリンに味方する者達の周りを漂うあの黒い靄のせいだろう。
「そうですか、それは失礼致しました。とにかく、これで皆様には私がアイナさんを好ましく思っていることはご理解いただけましたね?」
ぐるりと辺りを見回しながら聞けば、周りに居たほとんどの者達は頷いた。
「あぁ、君と彼女が親しいことはわかった。彼女の後の処遇は君に任せるが、生徒会主催の会で騒ぎを起こしたんだ。後処理は自身で責任を持ってするように」
腐っても会長らしく如何にもな言い方をしているが、裏を返せば『面倒だから後は任せた』だ。こんなののせいでライトが裏で苦労していると思うとモヤモヤして、笑顔がひきつる。
そのひきつった笑顔が限界を迎える前にさっさと立ち上がらせたアイナの手を引いて、その場から歩き出す。
「もういいわ、ろくに怒らせ役も出来ないような役立たず、勝手にしなさいよ」
すれ違う途中マリンがそう呟きながら睨み付けてきてアイナが萎縮したので、恐怖で冷えきったその手を掴む力を、ほんの少しだけ強くした。
そして、庭へと通じる扉の手前で一度振り返り、限界に近い表情筋を叱咤して今日一番の域で優雅な微笑みを作った。
「これだけ皆様を巻き込んでしまったのに、後処理を私自身にお任せ頂ける会長の寛大さに感謝申し上げますわ。本日の会の業務を、夜会への出席を控えさせてまでライト様に任せている件と言い、会長は本当に私達の事を信頼して下さっているのですね」
「ーっ!!?あ、いや、それは……っ!」
「では皆様、ごきげんよう。お騒がせしてごめんなさいね」
一矢報いてやった清々しい気持ちで膝を折り、静かにその場を立ち去る。
数分の沈黙の後、アイナが責め立てられて居たのとは比にならないほどのご令嬢達の怒りの声が夜会の場に響いた……。
「ーっ!ふ、フローラ様!!!」
その叫びさえ小さく聞こえる、庭の小さなベンチの前で、フローラは崩れ落ちるように地面に膝をついたのだった。
~Ep.217 ぼんやり皇女の巻き返し~




