Ep.215 水面下での恋合戦
「あぁそうだ、俺、今日の舞踏会は学年代表の挨拶だけしたらあとは出ないから」
その夜会が行われる日の朝、生徒会室で最後の打ち合わせをしてまさに解散となるタイミングでそう言ったライトに、フローラが瞠目した。
「ライト、今日来ないの?」
「いや、会場には一旦行くが、挨拶が済んだらしないといけない仕事を会長に任されてる。急ぎの案件も多いし、後回しに出来ないんだよ」
「……まぁ、仕事は建前で、自分よりもライトに一番女の子達からのダンスの申し込みが殺到していたのが気に入らなかったんだろうね。あの人、プライド高いから」
「会長さんプライド高いの?去年はそんな風には見えなかったけど……」
「代替わりの前に、以前の生徒会長がライトに跡を継がせたがっていたけ事にショックを受けてしまったみたいだね。でもだからって、下級生に敵意を燃やすこと無いのに……。ライト、仕事大変そうなら、僕らも手伝おうか?」
「いや、内容自体は簡単だし大丈夫だ。それに、申し込みがあまり多くなりすぎるとどんな揉め事に繋がるかわからないから、いっそ不参加で丁度良かったかもな」
「最初の一曲だけは婚約者と踊るのが暗黙の了解だそうですが、ではライトお兄様は今回はフローラお姉様とも踊らないんですの?」
「あぁ、他とは全く踊らないのにフローラとだけ踊ったりしたら、何言われるかわかったものじゃないから」
「そうですね……。どこから情報がリークしたのかは定かで無いですが、フローラのエスコート役がクォーツだとはもう知られていて、既にクォーツのファンの生徒達が騒いでますし」
「そうだろ?こう言うときは、下手に刺激しない方がいいんだ。……だからそんな拗ねるなよ、お父さんが居ないのがそんなに寂しいのか?」
しゅんと肩を落としたフローラの額を小突いて、ライトがいたずらっぽく笑う。子供扱いされているのが悔しくて、少しだけ頬を膨らませる。
すっかり慣れて自分から“お父さん”呼びをネタに出来る位に余裕のあるライトを見ると、何故だか胸がモヤモヤして、お茶請けに持ってきたクッキーを無言で頬張った。
『あっ!俺のおかわりの分は!?』と言うその主張は、聞こえなかったふりをした。
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「フローラのドレス、今までと少し違った感じだね。可愛いよ」
「ありがとう、最近流行りの新しい型なんだって。クォーツも素敵だよ、洋装なの久しぶりだね」
「ーっ!う、うん、婚約発表後はアースランドの跡取りとして必然的に着物で呼ばれる機会が増えたからね」
最初の一曲を躍り終えて、ようやく壁にずれてクォーツと二人で飲み物に手を伸ばす。
自分の水色のドレスに対し、クォーツの衣装は淡い黄色と白を基調にした淡く繊細な色味だ。
「私が水色、クォーツが黄色、フライは緑だったし、ライトも赤いマント着てたから、何だか皆自分の国の色を着てるみたいね」
「そうだね。規則で定まっている訳じゃないけど、学生のみの夜会では王族は自国の代表色を纏う暗黙の了解があるようだから」
「そうなの!?」
「あれ、知らなかった?」
クォーツの問いに頷きつつ、フライがドレス選びの際に『とりあえず色は決まりだね』と迷わず水色のものだけを厳選していた理由を理解する。
(そう言えば、そもそも城から届いたドレス自体水色のが多かったな)
ハイネも知っていたに違いない。
自分の無知に落ち込むフローラに、ちょっと焦った様子のクォーツが『でも、暗黙の了解って怖いよね!知らないこともあるよ』とフォローの言葉をかけた。優しさが染みて心の傷口が逆に痛い。
「うん……。でも本当、“習わなくてもわかるでしょ!”ってスタンスの事が多くて困っちゃうよ」
「そうだね、ルビーも昔言っていたことがあるよ。女性は身分が上の方とドレスの色が被るのは非礼にあたるらしくて、あのときは大変だったなー……」
「あ、それは私も聞いたことある。でも、こんなに人がたくさん居たら、一人くらい同じ色を着てる人が居ても仕方ないよねぇ」
『せっかくの華やかな場なんだから、皆自分の好きな色着たらいいのに』と言うフローラに、クォーツが優しく『そうだね』と答える。
そして、『色と言えば……』と、片手でフローラの髪に編み込まれた飾りリボンにそっと触れた。
「これも、新しい髪飾り?」
「うん!春らしい優しい色で良いよね、ドレス選びに付き合ってもらった日にフライがくれたの」
そう言って笑うフローラの髪に揺れているリボンは、淡い緑色。フライの髪色によく似たそれが、愛しい人の髪にしっかりと編み込まれていることに、クォーツがため息をつく。
『どう?』と可愛らしく聞かれて似合ってるよと返しつつ、顔を逸らしたクォーツがボソリと呟いた。
「……こう来たか、してやられたな」
「ん?何が?」
「ううん、何でもないよ。それより喉乾いたね、何か取って来ようか」
なんと言ったのかは聞き取れなかったフローラの問い掛けを笑って誤魔化したクォーツが、壁際に寄りかかる自分から離れテーブルの方へと歩き出した。しかし、その瞬間……
「クォーツ様!二曲目は私と踊って下さいませ!」
「え!?いや、ちょっと!!」
甲高い女性のそんな声が聞こえたと思ったら、目で追えないほどの素早さで駆け寄ってきた女性達がクォーツをドナドナしていってしまった。
クォーツの腕を取って走り去る瞬間その女性が勝ち誇った表情で自分を見てきたが、今日は元々誰を誘っても良い無礼講な会なので気にしない。
苦笑いで手を振りながら見送った直後、悲鳴と共に『クォーツ様、お気を確かに!!』という叫びと、大量のガラスが割れるような音が聞こえた気がした。……が。
「焼きたてのマドレーヌに、お好みでチョコレートソースをおかけしております。いかがでしょうか?」
「ーっ!はい、いただきますわ」
通りがかりのボーイの誘惑に気を取られたので、その事はすぐ頭からすっぽ抜けて行ったのだった。
チョコレートソースがけマドレーヌを堪能し、小腹も満たされたところでブラブラと一人会場を回る。
(それにしても、誰からも誘われないなぁ……。楽でいいけど)
道中、あちらこちらでダンスを申し込んでいる人々はたくさん見たが、不思議とフローラに声をかける者は居ない。
途中、アイナを探しに教室に通っていた影響で仲良くなった一年生には会って雑談したが、冗談混じりに誘ってみたら『そんな恐ろしい!!!……いえ、恐れ多い事は出来ません!』と、死人のような真っ白な顔で断られてしまった。流石にちょっと傷ついた。
だが、逃げるように去っていった彼の視線の先を見たときに女性だけじゃなく男性にまで口説かれているフライの死んだ眼差しを見て、『贅沢を言うものじゃないな』と思い直したのだった。
ライトが不参加な分、人気を三分にしている二人への皺寄せが大きそうだ。あんまり揉みくちゃにされているようなら助けに行こうかとしばらくフライを見詰めていたのだが、その視線に気づいたらしく顔を上げた彼の綺麗な唇は、声は出さずに『危ないから来ちゃダメ』と動く。
漏れ聞こえてくる声の中には、遠回しな言い方ながら、“夜会なのに三人居る婚約者を一人も独占できない女”だとフローラを侮辱するような発言も多く、そんな悪意を持った人間の側に丸腰の彼女が来ることを心配してくれたのだとわかる。
(独占できないも何も、今日の夜会は誰と踊ってもいい自由な会だから、独占なんかしたらわざわざ開いた意味がなくなっちゃうのにね)
フライももちろん、それをわかっている。フローラが、連れ去られて行ったクォーツを引き留めなかったのも、自分が一人きりで壁の花になっていても囲われているフライを無理矢理連れ出しに行かないのも、いずれ国の頂点に立つ彼等には、こう言った場での交流が大きな意味を持つ可能性があることをちゃんとわかっているからなのだった。
王族の妻になる(かもしれない)者が、幼稚な嫉妬で夫の交流を邪魔するなどあってはならない。
だから、再びフライと視線が交わった際には、心配させないよう笑って、彼から貰った髪留めをそっと触って見せた。
『側に居なくても、気にかけてくれてるのわかってるから大丈夫だよ』と。
微笑むと、薄っぺらい仮面のように薄ら笑いをしていたフライの顔が、一瞬だけ蕩けるような柔らかな笑みに変わった。
その微笑みに当てられ、フライを囲う人々が何人も感嘆の吐息と共に倒れる。反射的に一番近くにいた女性をフライが抱き止めた事で、一気にそこ一帯に嫉妬の黒い炎が燃え広がったように感じられて恐ろしかった。
(うわぁ、恐い……!まるで嫉妬の波だね、何か黒い靄まで見える気がするよ)
苦笑いでそう思い、会場に待機をお願いしていた医師でも呼んでこようかとそっとその場から離れようとした時。嫉妬の暴風域から全く別の箇所を横切る様に、黒い粒子が会場の人波の隙間を縫うように糸を紡いでいることに気がついた。
(……!あれ、違う。幻覚じゃない!)
これは比喩じゃない、見えているのは自分だけだが、確かに存在している“その力”を辿って早足で歩き出す。
普段は申し訳なく気が引ける、周りの道を譲ってくれる行為がこれ程ありがたいときはなかった。
力の主が離れていっているのか、途中で靄は段々と薄くなり、ある一点で消える。
その場所で足を止め、見失ったと落胆するより先に、目の前の光景に絶句した。
「アイナさん…………?」
メインホールから少し外れた、スイーツ中心のテーブルが並ぶ、女性ばかりが集まる一角。
ゲームで“ヒロイン”が悪役姫にドレスにジュースをぶちまけられるその場所で、濡れたドレスを纏っているのは、顔を覆って踞る、三つ編みの少女なのだった。
~Ep.215 水面下での恋合戦~
『その色に、愛しい人への想いを乗せて……』




