Ep.208 巫女と、いじめと、些細な反撃
最近のフローラは、以前にも増してちょっと、忙しい。
理由は二つあるが、その一つは朝の花壇に行く時間を、あの後輩の女の子と被らないように一時間早くしたから。
理由を知るブランが毎朝心配してくれるが、別に最初の一回以降、彼女からは特に何も言われていない。
ただ、彼女の係での指導役にクォーツが選ばれてから数日二人を見ていて、彼女がクォーツに本気で恋をしていることに気づいてしまったので、気まずくならないようそうしただけだ。
初恋もまだのフローラでも、好きな人が婚約者と仲良くしている姿を見せつけられたらきっとあの子が辛い思いをすると言うことくらいは想像がつくから。
そんな訳で、この間の朝の騒動以降ライトとフライにはくれぐれも彼女達に攻撃されないように気を付けなさいと言い含められた事も相まって人気が本当に全然無いこの時間に登校していたわけなのだが、今朝は連日の寝不足が祟り少しばかり起きるのが遅くなってしまった。
「うーっ、やっちゃったぁ……。まだ皆来てないといいなぁ」
たった30分の遅れだが、いつもより多少は人の気配が感じられる廊下を急ぎ足で進む。
と、渡り廊下を通り抜けようとして、中庭から続く細い裏道に目が止まった。土や機材を運ぶための台車一台と、大人が一人やっと通り抜けられるくらいの、舗装もろくにされていないあぜ道。
(確か、長期休みの間に花壇を観てくれてた庭師のおじいちゃんが、あの道からガーデンに行くと早いって言ってたよね)
右を見て、左を見て、もう一回右を見る。
明日が射し込む明るい中庭に、人気は無い。
「……行っちゃう?」
呟いた後、頭の中で悪魔の格好をした小さな自分に『行っちゃえ!』と言われた気がした。その言葉に従って、ひとりであぜ道を駆け抜ける。
元々小柄な方なこともあり、抜け出すのには数分もかからなかった。抜け出た先はガーデンから見た裏手。普段は行かない側なので、見慣れている筈の建物も違う側から見ると新鮮だ。
「全く持って目障りですわ!調子づくのもいい加減になさい!!」
「本当ですわ。花の世話だと託つけて、クォーツ様に取り入っていいご身分ですこと」
「クォーツ様がお気の毒ですわぁ。お優しい人柄につけ込まれて、格しか無い貧乏貴族の貧相な娘の指導役だなんてさぞお疲れでしょう。最近寂しそうにしていらっしゃるのは、貴方に構っているせいで親友であらせられるライト様とフライ様と過ごすお時間が取れなくなっているからに違いありませんわ!!」
「わ、私、取り入ってなんかいません……!ただ、早くクォーツ様のお力になれるように花の事を教えて頂いているだけです……っ」
どこから正面に回るか考えてうろついていたら、突然飛び込んできた数人分の甲高い声と、それに震えながら反論する声。
聞こえた中に聞きなれた名前が出てきたことが気になって声の出所を探すと、機材を置いている倉庫の横……丁度周りから死角になるその位置で、はちみつ色の髪の少女が上級生の女子数人に囲まれているのを見つけた。
含み笑いで少女を囲んでいる方の女達に見覚えがあることに気づいて、とりあえず自分の姿を見られないよう隠れて様子を窺う。
「貴方ごときがクォーツ様のお役に立てる訳がないでしょう。それとも何?その貧相な容姿と立場で振り向いていただけるとでも思っていらっしゃるのかしら?」
「嫌ですわお姉さま、そんな訳がないでしょう。こんな価値のない子が振り向いていただける訳がございませんもの、きっと同情を引く気なのですわ」
そう言って少女を嘲笑っているのは、この間フローラに暴言を吐き捨てた三年生の女と、彼女によく似た二年生の女子だ。二年生の方はこの間は生徒会室に居なかったが、どうやら妹らしい。
(いや、そんなことより……これってどう見たっていじめじゃない)
リーダー格2人に罵られ、取り巻きらしき数人の生徒達にまで忍び笑いを漏らされた少女の方は、すっかり萎縮してうつむいてしまった。ただ、泣きそうな声で、言われること言われることに『違います……!』とだけ必死に言い返している。
そんな必死の抵抗を、懲りもしない彼女達は執拗に嘲笑い、リーダーの女が震えるその身体を『生意気』だと地面に突き飛ばす。
フローラの立場からしてみれば、いじめている方もいじめられている方も、どちらも自分を攻撃してきた人。だけど、こんな多対一のやり方……、見逃すことは出来なくて。
(呆れた!あの子達、ライトに散々怒られたのにまだ懲りずに、誰にでもこう言うことしてるのね!そう言う悪い子には、お仕置きしちゃうんだから!!)
聖霊女王の指輪に魔力を込め、指先をリーダーの女に向ける。狙いは、高く結われた盛り髪の丁度天辺だ。
「そうですわ、貴方のお父様、骨董品や歴史ある魔術具の研究をされている考古学者だそうね。貴方も見果てぬ夢に身を焦がす前に、お父様に御自身の価値を鑑定して頂いたらいかが?」
『おーっほっほっほ!』といかにもな笑い声を響かせる三年生の顔をちらりと伺うように見上げ、それまで完全に萎縮していた少女が唖然とした表情に変わり、固まる。
何なのだと顔をしかめる三年生の女。彼女の頭を……、正確には、彼女のつむじからまっすぐに生えてきたそれを指差して、その妹らしい女子がふらりとよろめく。
「お、お、お、お姉さまの頭からお花がぁぁぁぁっ!!!」
「ーっ!?何ですって!!!?そんな馬鹿な……っ!」
絶叫する妹が差し出した鏡を覗き込み、三年生の女もまた絶句する。
狼狽えるリーダー格姉妹の姿と、今度は少女ではなくその二人を見て漏れる取り巻き達の笑い声に、ちょっとだけ胸がスッとした。
打って変わって騒いでいる彼女の頭に揺れるのは、一輪の立派な花。彼女が騒ぐ度に揺れるそれの周りに、ブブブブと鈍い羽音を響かせ集まってくるものがいる。
「き、きゃーっっ!一体何なんですの!?蜂なんて冗談じゃございませんわーっ!!!」
「お、お姉さま!?待ってくださいませ!!!」
(ふふん、サルビアの花は蜂が好きなお花の一種だからね!)
頭の花目掛けて集まってきた蜂に驚き、大慌てで逃げていくその姿を見送った。『彼女達には関わるな』とライトとフライには言われたが、これなら直接接触した訳じゃないしいいだろう。
そうしてみれば、残されたのは地面に倒れ込んだままの後輩の少女だけ……。
その足の膝に血が滲んでいる事に気づき、再び指輪に意識を集中させる。
三人の婚約者達が魔力を込めてくれた、三連の宝石が輝き……、一般人には目視出来ない癒しの力が、少女の身体を包んだ。
「……?嘘、痛くない……」
目には見えないが、温かな春の風の様に身体を包んだそれを感じ取ったのだろう。
(これで良いかな……。聖霊の巫女の話は一切公表してないし、私がやったってバレない方が良いよね。第一、好きな人の婚約者になんて助けられたくないだろうし)
すっかり治った自らの足に少女が驚いている姿と、そんな少女を探しているらしい誰かの足音を背に、フローラもそっとその場を離れた。
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ガーデンに入り扉を閉めて、ようやくほっと息をついた。
ただでさえ“皇子の婚約者”となったフローラの政治的な価値が更に跳ね上がり、彼女の身が危険に晒されるのを防ぐ為、フローラが聖霊の巫女となったことは半年経った今でも公表されていない。
その為、フローラは未だ指輪の能力については詳しく知らなかったが、いざというときの為に色々と使い方の修行はしていた。
本来は、埋め込まれた三連の石のお陰で、炎、風、土の三属性の魔力が使える様になるらしいのだが、まだフローラはそれは出来ない。
今、彼女が使える力は三つ。一つは、イメージ通りの花を特定の場所に咲かせる力。二つ目が、傷を治したり、物を再生して修復する力。そして三つ目は、フローラの魔力で水を与えた植物が、本来ではあり得ないほど美しく、立派に育つと言う効果だった。フローラが異常に早起きしてでもガーデンの世話を欠かせないのは、この三つ目の能力が薄々学院側に気づかれていて、先生から是非きちんと世話してほしいと無言の圧を受けているからであったりする。
「とは言え、流石にやりすぎちゃったかなぁ……」
理由は何であれ、自分の身の安全の為に秘密にした能力を勝手に使っているのだ。ライトにでも知られたら叱られる。それはもう、絶対に。
しかし、最近欠かせない新たな日課の為にも、今バレる訳にはいかない。“もっと気をつけて力を使おう”、そう誓いながらガーデンの奥まで水やりを進めて行く。
入り口のバラのアーチ、色とりどりの花壇を通り抜け、最後はガーデンの中心にある大きな花時計。
そこに向かって一斉に注ぐ水が、フローラが指を鳴らすとゆっくりと勢いを無くしていく。
光を反射しながら揺れるその水のカーテンの向こう。花時計の側にある長椅子に、人影があることにそこでようやく気づいて。
驚くフローラの目の前で、その人が静かに立ち上がる。
「やっと会えた、……待ってた甲斐があったな」
音もなく消えたカーテンの先。穏やかな日差しの中微笑むのは、そう言って微笑むクォーツだった。
~Ep.208 巫女と、いじめと、些細な反撃~




