Ep.202 世話焼きさんの隠し事《後編》
ピピッと、合図用に仕掛けていたタイマーのアラームがなり、脇に当てていたそれを取り出す。赤く着色された薬液は、至って平熱の位置にまでしか昇っていなかった。
「只今戻りました!……って、どうされたんです?体温計なんか出して」
「いや、部屋に戻る前に少し身体が熱いように感じたから、熱でもあるのかと思ってな」
「えーっ、風邪ですか?聖霊の森で水被った身体のまま動き回ってたからですよ、全く……」
「仕方ないだろ、魔力が使えなくて服が乾かせなかったんだ。……って待て、何でお前がその話を知ってる?」
思わず体温計を放り出して振り向くと、悪びれもせず『フェザー様から伺いました』と返ってくる。と言うことは、始めにフェザーにその話をしたのはフライだな……と、ひとり納得した。
まぁ報告の為にフェザーの元に行かせたのは自分なのでそこは良い。ただ、部屋に入ってくるフリードの抱えているものがどうにも気にかかるのだが、自分がそれを指摘する前にフリードに先手を打たれる。
「で?熱はあったんですか?」
「いや、無かった。動悸も収まったし、まあ大丈夫だろ」
放り出された体温計を片付けつつ聞いてくるフリードにそう答えると、何だか微妙な顔をされる。なんだよ、言いたいことがあるならハッキリ言え。
「いえ、こう言うのはご自身でお認めにならないと意味がないと思いますので結構です」
「また無駄に意味深な言い方しやがって……。で、本音は?」
「この半端な年で解雇になって路頭に迷いたくはありません!」
「はいはい、まぁ別に苦言のひとつや二つで長年仕えてくれている忠臣を解雇するほど暴君では無いけどな。ところで……、お前が小脇に抱えているそのカンテラと短刀にどうにも見覚えがあるのが気になるんだが」
淀みなく言い放たれるその本音に苦笑しつつ、フリードが机の上に並べたそれを指先でつついた。
ほんの十数分前に見たのだから間違えたくとも間違いようがない。これは先程、庭で遭遇した下級兵が持っていた物だ。ただし、短刀はその刃が力付くで叩き折られており、カンテラの方も踏みつけられた様に一部がひしゃげている。
見るも無惨なそれに絶句する自分に、フリードば然も当然だと言わんばかりに答える。
「そちらの持ち主の兵士達が少々立場を弁えない者達のようでしたので、身の程と言うものを丁重に指南して参りました」
「あー……、まぁ、多少なら構わないが程々に……いや」
綺麗すぎるその笑みがまた恐ろしい。
長い付き合いだ。こいつはやると決めたら本当に容赦がないので、『程ほどにな』と言いかけて。しかし、奴等が自分だけでなくフローラのことも侮辱していた声が不意に耳に甦り、不快感にすぐ口を嗣ぐんだ。
そして、その不自然な態度に気づいて『どうかなさいましたか?』と尋ねてくるフリードを見据え、言い直す。
「やるなら徹底的にやれ。本当に価値のある人間を見抜けず、あろうことか侮辱するような愚か者には良い薬だろう。……命に関わらない範囲で頼むぞ」
「かしこまりました。お優しい我が主君に免じて、窓から射し込む朝日が恐怖の合図となる程度に留めておきましょう」
「うん、それはただの生き地獄だな」
「はははは、何の事やら。こんなにも寛大な処置をしてるじゃないですか。……あ、処置と言えば、お召し替えの前にもう一度腕の怪我の処置をしておきましょうね」
冷静な突っ込みを笑顔と軽口で受け流し、『塗り薬頂いて来ましたから』と小瓶を懐から取り出す。
「塗り薬か、ありがたいが、もう痛くはないんだよな……あれ?」
「油断はいけませんよ。さぁ、痣を見せて……ん?そんな馬鹿な……!違法な回復薬でも塗ったんですか!?」
まぁ悪化しても困るのは自分なので、言われた通りに袖を捲れば、現れたのは鈍く変色した青アザ……ではなく、綺麗に完治した健康的な肌色。塗り薬の瓶を片手に間抜け面をしたフリードに、一体どうしたと聞かれるが皆目見当がつかない。強いて言えば……
「違法な回復薬なんかほんの数時間で手に入るか馬鹿!心当たりと言うには違うが、フローラを抱き上げた時にあいつがしがみついたのが丁度痣の辺りだった位か?」
上着を脱いで置いてきてしまった為証拠は無いが、しがみつかれていた時にシワがそこに寄っていたし、涙も何滴かこぼれ落ちて来ていたので位置に間違いはないだろう。だが、それと怪我の回復に関係があるのか?
「そうですか、次代の巫女となられたのならば、ある意味必然かもしれませんが……」
含みのある言い方に首を傾げたが、『思い出してみてください、初等科二年生の春、フローラ様に魔力の水をかけられてしまったあの日のことを』と言われれば、ハッキリと思い出す。そうだ、あの日も、彼女に接触した後、自分の体は怪我の痛みが完全に治っていた。
そして、指輪の暴走による火事であれほど焼け果てた森を、見事甦らせたあの水と光の魔力。全てを包み、癒し、浄化する能力……。あれが、もし、フローラの力によるものだったのだとしたら。
「“癒しの魔力”か……、本来、この世界の人間には扱えない筈の力だな」
「えぇ……。そして、長い歴史においても、その力をお持ちであったと明記されている方はただ一人。かつて世界を導いたとされる、初代の聖霊の巫女……彼女のみです。ですから、フローラ様がそのお力を新たに授かったとしても不思議はないのかも知れませんね」
「……それだと、子供の頃にも俺の怪我を直していた件が解決しないだろうが」
淡々と話す彼にも、当然フローラが新たな聖霊の巫女となったことは話していたし、彼女に何か特別なものがありそうなことはわかっていた。それが他人を癒せる力だなんて、正直優しい彼女には最適な能力にも感じる。
だけど……と、思わずベッドに仰向けに倒れ込み、片手で己の目元を覆った。
色々と情報が改竄されているのか詳しいことまではわからなかったが、今回の件に備えて集めた情報の中に、初代の聖霊の巫女の記述はいくつかあったのだ。そして、彼女がどう最期を迎えたのかも、僅かながら書いてあったことを思い出す。
生物はおろか、街も、大地も、空も……森羅万象を癒す力を持ったその巫女は、争いで傷つき汚れた世界を、癒して、癒して、癒し続けて……。そして最後は、力の使いすぎで衰弱死したと。
「あいつに同じ道は歩ませられない。もし力を使いすぎそうになったら、俺達が止めるしかない……けど」
閉じたまぶたの裏に、初めて見た彼女の泣き顔が甦る。
「今でもあんだけ泣きじゃくる位色々背負ってるのに、耐えられるのかよ、あいつ……」
「泣きじゃくった?フローラ様がですか?」
『女性に意地悪をしてはいけませんよ』とわざとらしく言ってくるのが癪に触り、瞳に焼き付いたままのその姿を振り払う意味も込めて勢いよく身体を起こした。
思い切り睨み付けても、悲鳴をあげてい先程の兵士と違いこの執事は愉快そうに笑うのだ。
「冗談です。で、きちんと抱擁して差し上げましたか?」
「……答える義務は無いだろ」
「左様で御座いますか。しかし、フローラ様の泣き顔ですか、さぞ可愛らしいでしょうねぇ。普段が強がりな方でいらっしゃいますから、余計くるものがあったのでは?」
「はぁ?くるものってなんだよ?」
「ですから、余計泣かせたくなったりとか」
「……っ、馬鹿な事言え!あんな表情、二度と見たくない」
あの泣き顔が甦る度、自分まで辛くなる。誰だって、友人に泣かれるよりは笑顔の方が良いに決まっている。
つまらなそうに自分の脱いだ方の服を片付けている悪趣味な男の背中に、ポツリと言葉で毒を落とした。
「……そんな悪趣味だからハイネにフラれるんだよ」
「ーっ!!?」
途端、床に落とされた服達がバサリと音を立てる。
それを慌てて拾おうとしたフリードが足の指を机の足にぶつけ、痛みに悶絶しながら自分を見上げてきた。
「な、何でその話を……!」
「さぁ、何でだろうなぁ」
実際はフローラの所の新しいメイドが2人の昔馴染みらしく、彼等が婚約者であったことを雑談の中で聞いただけなのだが教えてやらない。
そんな俺に、気を取り直したらしいフリードは思わぬ反撃をしてくる。
「そんな意地悪するなら、聖霊の巫女様の本来の死因や指輪の注意点は報告しませんからね!せっかく調べてきたのに!!」
「ちょっ!お前っ……それとこれとは別だろ!!……ん?待て、“本当の死因”?」
『どういうことだ』と聞けば、こちらの真剣さに釣られたのかふざけた態度を収めたフリードが、言った。人間界に“歴史”として記された巫女の話と、聖霊界が“記録”した真実には食い違いがあるのだと。
元々帰国したら渡すつもりでいたらしいその資料を見せてもらうと、なるほど確かに、色々と辻褄のおかしい点がある。
「しかし、こんな深い情報をどうやって手に入れた?」
「いえ、それは……」
『言えないのか?』と、言い淀むフリードに圧をかける。
「いえ、実は私人間ではございませんのでそみらの伝手で入手して参りました!」
「……よし、出所を言う気はないんだなよくわかったまぁ冗談は置いておいて、この情報はなかなか有益だ、ありがとう。もう下がって大丈夫だぞ」
フリードに背を向け、貰ったばかりのそれに意識を向ける。背後でフリードがなにかを呟いた気はしたが、内容は別に気にもしなかった……。
~Ep.202 世話焼きさんの隠し事《後編》~




