Ep.200 世話焼きさんの隠し事 《前編》
「いいから、そのまま顔埋めてろ。……泣き顔、見られたくないんだろ」
非難的な声を浴びせてくる兵士達の視線に晒さないように、その身体を両腕に閉じ込めながら囁くと、フローラの身体からすっと力が抜けたのがわかった。
その隙に彼女を抱き上げた自分に、まだ年若そうな兵士の内片方が険しい表情を浮かべる。何やら自分に対してごちゃごちゃと難癖をつけてきていたが、この国の第一皇子であるフェザーにはフリードから話が行っているし、特に糾弾されるような謂れは無い。
それなのに、兵士がやたらと食って掛かって来るのは、彼等から見たフローラが“我が国の皇子の婚約者”であるからだ。フローラが聖霊の巫女として選ばれた直後だから尚更だろう。
実際には自分とクォーツも含め、彼女の婚約者候補は三人な訳だが……、フローラを抱き締めている自分にこれだけ敵意がむき出しとなると、その点は頭に無いらしい。あの兵士は少なくとも、“聖霊の巫女”に相応しいのは自国の皇子だけだと、そう思っている。……当人たちの意思など意にも介さぬまま。下手な敬語と嫌味でぶつけられる非難の声が、何よりもそれを証明していた。
だが、自国への忠義に厚いわりにはずいぶんと学が浅いようだ。言葉の選び方のあまりの品の無さに、腹立ちを通り越して呆れてしまう。
その汚れた言葉を、ようやく震えが止まったフローラには聞かせたくなくて。抱き締めている腕をずらして、然り気無くその耳を塞いだ。
「夜分に勝手な行動をしたことは謝るが、私にも彼女にも、やましい思いは一切無い。だから、私達の事は気にせず巡回に戻ってくれ」
自分を貶める事を言いたいならあとで好きなだけ言えば良いと、相方に宥められている方の兵士にそれだけ言い放って踵を返した。しかし、直後に宥めていた方の兵士が相方に言ったひと言に、我慢ならず足が止まる。
「そんなにライト様を糾弾するな。本当に疑わしいのは、女を武器に殿下方を誑かしているあのお姫様の方だと思うぞ。うちの殿下もライト様も、踊らされちまって気の毒に……」
(……っ!)
多分、自分に聞こえているとは思って居なかったのだろう。実際、普通ならば聞き逃してしまっていたであろう位の、小さな囁きだった。
ハッとして腕の中でおとなしくしているフローラの様子を伺うが、幸い彼女には聞こえて居なかったようだった。耳を塞いでおいて良かったと、心の中で安堵する。
しかし、それをしっかりと聞き取ってしまった自分には、小さいが確かな怒りの炎が点って。とてもじゃないが、黙って見逃してやる気はどこかへ吹き飛んでしまったようだった。
(ふざけるな、お前達にこいつの何がわかるんだよ……!)
その炎が自身の瞳に宿っている自覚はあったが、隠す気すら無く二人の兵士に視線を向ける。
「ひっ……!」
余程恐ろしい表情だったのだろうか。散々自分を非難していた方の兵士が、小さいが情けない悲鳴をあげる。齢13の子供に睨まれて後退る位なら、最初から人の事悪し様に言わなきゃ良いだろうに……何と愚かなことか。まぁ、自分が腹を立てているのは、悲鳴を上げたお前じゃなく相方の方な訳だが。
この際連帯責任だと、限界まで怒りを抑えた声で二人に向かって言ってやった。
「お前達、先程から“誰”に向かってそんな口を聞いているのかわかっているのか?」
「もっ、申し訳御座いませんライト様!!こやつには、後程然るべき処置をさせて頂きますので、何卒お気持ちをお沈めください!!!ほら、お前も頭を下げろ!」
「も、申し訳御座いませんでした……!」
物理的にも、感情的にも炎が宿っている様に見える自分の瞳に震え上がり、顔面蒼白になった二人だったが、彼等が謝罪をしたのは四大国で最大の力を持つ“フェニックスの皇子”にだけ、フローラを侮辱したことなど自覚すらないようだ。それもまた、腹立たしい。
「兵士ならば、自分達が虐げたその相手が主君に取ってどんな存在であるか位は見抜ける眼力を磨いておいた方が良いぞ」
『最も、既に手遅れだろうがな』と、トドメのひと言に、どちらかの兵士がへたり込むような音が聞こえた気がしたが、振り返りもせず足早にその場を去った。
散々王家を目の敵にしているキールの実家の息がかかり、使用人や兵士の質が下がっている事。そして、キールが起こした問題の証拠を盾にその実家を黙らせ、腐った使用人達を切り捨て、限界まで力と金を搾取するつもりであることは元々休暇前にフェザーから聞いていた。あの出来の悪さを見ると、奴等も切り捨てられる側の人間だろうからと、まだ収まらない怒りを無理矢理、飲み込んだ。
「調子に乗りやがって、所詮他国の餓鬼が……!」
「よせ!聞かれたら首では済まないぞ」
「構うことないさ!だって知ってるか?フェニックス唯一の自慢の跡取様には、どうにも裏があるらしいぜ?」
馬鹿程考えなしで恐ろしい時があることは、怒りですっかり失念したまま。
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夜風に当たりながら歩いて、完全に兵士達から離れて頭も冷えてきた頃、もっとフライやクォーツの様に、人当たりの良く見える巧いやり様もあったのではないかと落ち込む自分の異変を察知したのは、やはりフローラで。
気がついたら、最近一緒に仕事をしていると、穏やかで人当たりの良い親友達がうらやましい事、彼等を見習って感情をもっとコントロール出来るよう気を付けていたのに、先程つい兵士達に怒鳴ってしまい反省して居ることを彼女に話していた。
(って、励ましに来たはずなのに自分が相談する側になってどうする……!と言うか、自分があんなに苦しんでた直後なのに、どうして他人の悩みは簡単に見抜けるんだよ)
内心で後悔して歯噛みしたが、小さく耳を掠めた鈴を転がすような笑い声に、思わず自分も笑いつつ拗ねるような声をあげてしまって。
そんな自分を腕の中から見上げて、フローラが柔らかく微笑んだ。
「私は、ちょっと感情的な位のいつものライトの方が好きだな……」
「……っ!」
まだ先程の涙のせいか、射し込んだ月明かりを余すこと無く反射して輝く、柔らかく細められたその瞳に、一度だけ。たった一回ではあったが、心臓が強く締め付けられた。
一瞬の内に全身を突き抜けたその熱情は、痛みが消えたあとも長く余韻を残して。無意識に緊張で強ばった自分に気づかれないよう、フローラの顔を片手で自分の胸に埋めさせる。
人の気も知らずに、無垢なお姫様は程なくして安心しきったように腕の中で寝息を立て始めた。
その姿に胸が温かくなるのも、守りたいと思う理由も、決して深い意味はないのだけれど。
~Ep.200 世話焼きさんの隠し事 《前編》~




