Ep.195 月夜は兎に誘われ
(うーん、寝付けないなー……)
別に『枕が変わると眠れませんの』なんて繊細な性格では無いのだが、そんな事を思いながら客室のベッドで何度目になるかわからない寝返りをうった。
目を閉じて気を落ち着けてみたり、寝付きによい温かい飲み物をいただいてみたりもしたけれど、今日はもうどうにも安眠は無理そうだ。時計を見れば、既に布団に入ってから優に2時間近くは経っている。
「ご飯食べたのも早かったし、まだそんなに遅い時間じゃないのが救いだけど」
そう呟き、淡い色彩が目に優しい小花柄のカーテンを開けば、丁度真正面に満月が浮かんでいた。
(いいお月様だなー……、よし)
ベッドの脇に置かれたカゴに入って丸まっているブランに、散歩に行くからと書き置きを残して。音も立てずに抜け出した。
寝付けないのはきっと、胸に刺さっている言葉があるからだ。スプリング王城の素敵な庭を散策でもして気分転換すれば、大丈夫だと、そう信じたくて。
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“春の国”と謳われるだけあり、スプリングの王宮庭園には、日の下で咲き誇る大輪の花々は勿論、日の落ちた夜でも、月明かりに優しく輝く夜咲きの花が集められている箇所が何ヵ所かあった。
それなのに、いつもならはしゃぎながら歩くであろう景色にも全く心が弾まないのは、あまりに静かすぎる夜だからだろうか。
月光に一際輝く白い花を咲かせるマツリカの花壇に囲われるようにポツンとあったベンチに腰かけ、ぼんやりと夜空を眺める。
夜といっても、警備の都合もあり城の方には煌々と灯りが点っているせいだろうか。雲ひとつないそこには、輝く満月こそ主役のように輝いていたが、他の星達の光は主役の明るさに相殺されてしまって、見つけられなくて。それが、とても切なかった。
本来ならば、あの子が本物の主人公のままで、あの始まりの日にライトと出会ったのが彼女であったのなら。自分の居るべきポジションが、月ではなく、姿見えない星達の側だった事も、本当はわかっているから。
『あんたがどれだけ周りを好きだろうと、どうせ“悪役あんた”の事なんか誰も好きじゃ無いんだからぁ!!!』
気晴らしに来た筈なのに、辺りに誰も居ない、城からも離れているため物音もまるで届かない位置に居る孤独感に、試練の時の寂しさと一緒に、耳に突き刺さったままの彼女の一言が甦って来てしまった。
両耳を手で押さえて首を横に振ってみるが、今実際に言われている訳ではなく、単に自分の心に刺さっているだけなので、そんな事をしてもなんの意味もない。
いっそ思いっきり涙でも流せば少しはスッキリするのかも知れないが、前世でずっと『泣いたら敗けだ』と我慢する癖をつけてしまっていたせいか、どうにも泣けないのだから仕方ない。
「……くしゅんっ!寒くなってきちゃった……」
不意に吹いた夜風に震えた身体を擦り、もう部屋に戻ろうかと振り返った所で気づく。
ぼんやりして歩いてきたせいで、帰り道がわからないのだ。
「ど、どうしよう……!きゃっ!!」
とりあえず、右から来たような気がする!と、歩き出そうとした所で、不意に足元を突っ切っていった“何か”に驚いて飛び退いた。
薄明かりの中にも関わらず、うさぎの形を模したそれの輪郭がはっきり見えるのは、それ自体が赤く光を放っているからだった。
(と言うかこの炎で出来たうさぎちゃん、とっても見覚えがあるような…………)
そう、あれは確か初等科の頃、フェニックスで開かれた宝石展示会の日の夜だった。
「あっ!待って!!」
思い出に浸るより先に、フローラの足元で可愛らしくお座りをしていたうさぎが、サッと身を翻して走り出す。
思わず追いかけると、動きこそ早いものの、闇夜の中で優しく灯りを放つそのうさぎの姿は見失うことはなく。導かれるように追いかけて、たどり着いたのは白い石造りの小さな東屋。
「あっ……」
そこに佇む後ろ姿の手前で、吹き抜けた風に溶けるようにうさぎが姿を消す。
自分の上げた落胆の声に気づいて振り返ったのは、月明かりに煌めく金色の髪を片手でかきあげた、憂いのある表情のライトだった。
~Ep.195 月夜は兎に誘われ~




