Ep.192 聖霊女王の指輪
かつて、まだ四大国が誕生するより遥か昔……。この大陸は、聖霊と人間達が仲良く暮らす楽園であった。
しかし、そんな太平の世は、ある種族の誕生により壊滅する。その種族こそ……
「魔族……ですか?」
「人間達の言葉を借りるならそうなります。ですが実際には、身体の組成や生態系は聖霊と変わりません。初めはただ、魔力の属性が“闇”だと言うだけの違いでした」
「闇属性……、人間には扱えない禁忌の属性だな。それを生業にしていた種族なんて初耳だ」
「家は他国と比べて聖霊との交流が深い分、魔族の存在自体は聞いているよ。ですが、確かこの大陸には現在聖霊王の加護により魔物の類いは生まれないのでは?」
「言われてみれば、森や山、海中なんかのいかにもな場所でも、魔物に襲われたと言う事故は聞いたことがないよね。図鑑や文献にもあまり載っていないようだし」
クォーツの言葉に、同意するように全員が頷く。
そんな中、聖霊王が『それこそ、指輪を人間界に預けたから可能だったことだ』と、フローラの指に納まったままの指輪を指先でなぞった。
他の仲間達が警戒するように身構えたのに対し、至って冷静な水の姫君が優雅に微笑む。
「人間界に魔族、魔物の類いが現れないのは、かつて闇に呑まれかけたこの大地を聖霊の巫女である少女が指輪の力を使い浄化したからであり、現在は生き残った魔族の方達が、聖霊の森の一番北側に自治権を与えられて暮らしていらっしゃることも存じております」
「へぇ……、詳しいなフローラ」
「ふふん、まだまだライトには負けないよ!」
「アホか、調子に乗るな。それにしても……、魔族はその大戦の際に絶滅した訳ではなかったと?」
感心したように呟くライトがドヤ顔を返すフローラの額を叩きつつ、向かいに座る聖霊王夫妻を見上げる。
先に答えたのは、引きちぎられた部分を覆い隠すように髪を編み直している聖霊王だ。
「あぁ、かつて我々と共に戦った巫女の力はあくまでも癒しと浄化……すべてを滅するには至らなくてな」
「それに、長きに渡り続いた魔との戦いは、次第に人間達の心をも蝕んでいったのです。そんな中で、これ以上戦いを続けるのは難しいであろうと判断し、我々聖霊が生み出したこの森に魔族達の闇を封じ……」
「そちらに決して入り込むことがないよう、私の力で人間界との壁を造り上げたのだ」
(恐らく)世界一長寿な夫婦の口から語られるそれは、歴史と言うよりは彼等の“思出話”のようで。懐かしむように穏やかになったり、時折後悔を滲ませるように歪むその表情が、何よりもその話が“真実”であると物語っているようだった。
「魔物、魔族については概ね理解しましたが、それとこの指輪にどういったご関係が?」
一通り話を聞いて納得したフライが、聖霊王に問いかけつつ指輪をはめたフローラの手を取る。
その一瞬、柔らかな春風が辺りを包み、指輪の宝石へと収まって行く。そうして染まった宝石の色は、爽やかな緑。風の魔力を表した色だ。
「また色が変わった……。これって、指輪が僕たちの魔力に反応しているってこと?フローラ、僕もいいかな?」
「えぇ、もちろん」
次いで、そう言ったクォーツとフローラが手を取れば、大地が一度大きく揺らいだ後、吹き上がった砂塵が最後の一石を黄色く染めた。
これで、三連の宝石全てに力が宿ったことになる。それを見届けると、聖霊王が徐に立ち上がり、フライの懐に指先を当てる。
「……っ、何ですか?」
「何、そう警戒するな。ただ、指輪のことを話すのであればそなたの持つこれがあった方が理解しやすいであろう?」
「……お気づきでしたか」
人間より大分淡く、それでいてオーロラの様に様々な色が美しく調和している不思議なその双眸に見下ろされ、観念したようにフライが懐から小さな本のようなものを取り出した。
その紺色の表紙には、金で縁取られた“Diary”の文字。ただし、かなり年期が入っているようで、所々すっかり剥がれてしまっていた。
見覚えのない一冊のそれに人間達が首を傾げるなか、女王だけが、口元を両手で覆って息を飲む。
「それは……!」
「フライ、それ、日記帳……だよね?」
フローラの問いに頷いて、フライが隣に立つ聖霊王へとそれを差し出す。
「どうぞ。我が王室で数百年もの間保管されてきた、ある歴史上の重要人物の日記帳です。どなたの日記帳なのかは、ご存知ですよね?」
「おや、我々に渡してしまって良いのかな?政治的な取引の為に持ってきたのだろう」
「そのつもりでしたが、元々使われている言語が古すぎてあまり解読が出来ていない上に、現時点で解読が済んでいる内容は全て、今のお二人の話と相違無い情報しかありませんでしたから」
『それならば、無用の長物として持ち続けるより、今そちらにお渡ししてより深い情報を得た方が得策かと思いまして』と、久々に感情の読めない笑顔で再度フライが差し出したそれを、聖霊王が『末恐ろしい皇子様だな』と茶化すように笑って受け取った。
『そんな大事な物を独断で渡して良いのか!?』とライトが聞いたが、元々聖霊側の怒りを僅かでも宥める為に渡すつもりの物であったので問題はないのだそうだ。それを躊躇い無く交渉材料に使う辺り、本当に抜かり無い。
「それにしても、あれだけ悲惨な最期を迎えた彼女の持ち物が、よく処分されずに残っていたものだ」
どこか切ない表情で日記帳を優しく撫でる聖霊王のその言葉に、日記帳の持ち主が誰なのかに気づいたフローラは俯いた。
こちらの世界の歴史としての記述は残されていないが、前世で見ていた彼女は知っているのだ。
人を愛し、聖霊を愛し、世界を愛したその女性が、どんな風にその人生を終えたのかを。
「先程も言った通り、かつて我々と共に戦った巫女には、癒しの力しか無くてな。そこで、彼女にも戦える力が無ければと、我が妻が作ったその指輪に、私が魔力を込めた。闇を照らす炎の力と、絶望を吹き飛ばす風の力。そして、皆を支える大地の力の3つを」
それが、現在も指輪にはまっている三連石の始まりである。
誰もが静かに聞き入る中、ルビーが控えめに挙手をした。
「申し訳ございません、少々疑問なのですが……」
「ん?何だ?可愛いお嬢さんの質問なら大歓迎……痛っ!」
「あなた……、皆様お忙しい中時間を割いて来て下さっているのよ?今後、立場も弁えずにはしたない言動をした場合、その都度あなたの頭皮が砂漠化していくと思いなさい」
見られるだけで凍りつきそうな視線と、絡み付く髪の量が増えた女王の片手を見てクォーツが小さく悲鳴をあげ、ライトが『おっかねぇな、女王様』と呟く。
レインとルビーだけは『むしろもっとやっても良い(わね/ですわね)』と、優雅に笑って紅茶を飲んでいた。
「気にするな人間諸君。若者にはまだ理解出来なかろうが、これも我が妻の愛だ!」
「……そんなのが愛なら、俺一生恋愛に縁なくて良いです」
「ーー……」
呆れたように言い捨てるライトの言葉に皆が苦笑いを溢す中、複雑な表情のフライだけが彼に複雑な表情を向けている。視線に気づいたライトが、砂糖過多で甘くなった紅茶を啜りながら『どうした?』と訪ねていたが、フライは首を振るばかりで、『ルビーの質問の話に戻ろうか』と誤魔化していた。
「あ、そうでした!指輪に水の魔力を込めなかったと言うことは、聖霊の巫女様は水の魔力をお持ちでしたの?」
「あぁ、その通りだ」
「ーっ!では、聖霊の巫女はミストラルの生まれだったのですか?」
妹の疑問を引き継いで尋ねたクォーツに、今度は女王が首を横に振る。そもそも、当時の世界には、まだミストラルとスプリングは無かったのだ。
「あの時代は、私達も人間界に住んでいた為に、何の魔力を持って誕生するかが土地によって定まることが無かったのですよ」
「そうなんですか……。あれ、じゃあ今、国ごとに生まれ持つ魔力が異なるのは?」
「それは私の結界により、大陸に流れる魔力が4つに分断されているからだ。かつて4つの魔力がぶつかり合い全てを焼き付くした、大戦の悲劇を繰り返さない為にな。そして、その魔力の流れを感知し、異常を察するためには、人間界にその指輪が無ければならなかったのだが……それも、持ち主を亡くして長かったのでな。そろそろ、次の主を見つけないといけない頃だとは思っていた」
「今回皆様をお呼びしたのは、実は謝罪が欲しかった訳ではなく、次の巫女の候補者を探す為にご協力頂きたかったからなのです。このタイミングで指輪が持ち出され、森の中であれほどの暴走を見せたのは完全な予想外でしたが……。納めてくださった皆様には、感謝してもしきれない程なのですよ」
『心から感謝致します』と、聖霊王夫妻に揃って頭を下げられ、全員でぽかんとしてしまう。正直、そこまですごいことをした自覚が彼等には無いのだろう。
まぁ、謙虚なのは良いことだ。と顔を見合わせて笑った聖霊王夫妻が2人して立ち上がり、腰かけているフローラと皇子3人の前に膝をついた。
「えっ!?あの、何ですか?」
「その指輪はかつて、我が妻が友として認めた唯一無二の少女に、世界の平和を祈って託した物。受け継ぐためには本来、彼女からの直接の譲渡が必要な筈だったが……、理由こそわからないが、今、その指輪は君を新たな主と認めた。その指から抜けないことが、何よりの証拠だ」
「そして、かつては聖霊王の魔力を帯びていた宝石達が認める程の強さと清らかさを帯びた魔力の持ち主である貴方達が治める世ならば、必ずや良き時代となりましょう」
「長きに渡り続いた、使い魔達以外まるで人間との交流がない時代を、私は終わらせたいと思っている。その為に、新たな聖霊の巫女となっては貰えないだろうか?」
真剣な表情の聖霊の王とその妻に見つめられ、フローラはそっと自らの指に収まった指輪を撫でる。
思い出すのは、指輪の暴走を止めた直後、光の中で感じた、右手を握りしめてきた優しい掌の感触と、『お願いね』と言う穏やかな声音だ。
「……私は私でしかないですし、正直、そんな大層なことが自分に出来るとは思ってないんです」
だけど、と、不安そうな表情になった全員を見回して、最後に正面の夫妻に向き直ったフローラが笑った。
「私も見てみたいです、人間と聖霊達が一緒に暮らしていける世界!だから、私は私のやり方で頑張って見ます!!」
そう宣言したフローラに、机を囲む者達だけでなく会談を隠れて覗き見していた聖霊達も嬉しそうに微笑む。
大喜びした花の妖精達に集られ、再びフローラがカラフルな謎の物体と化したのは、その僅か数秒後のことだった……。
~Ep.192 聖霊女王の指輪~




