Ep.190 クォーツの覚悟
『心優しき地の皇子は、他が為に今剣を抜く』
後数ミリでも手を引けばその刃に喉元が切り裂かれるであろう紙一重の位置でピタリと動きを制止させた地の国の皇子が、強い眼差しで自分を睨み付けている。聖霊の王は、その間近に迫る刃に怯むでも怒るでもなく、ただ面白そうに笑みを深くした。
「ほう、見ていた所全員丸腰だと思っていたが、面白いものを持っているな」
「えぇ、我が国には懐刀と言う文化がありまして」
実際には今クォーツが身に付けているのは着物では無いため正確な懐刀とは多少異なるが、そんなことは些事だろう。
それよりも、服の内に忍ばせられる程の刃渡りの短い刀で聖霊王の魔術を切り裂いたその腕前を褒め称えたい気分だった。
同じ“皇子”と言う立場であり、彼のことをよく知る親友2人が焦りもせず、止めもしないのは、彼等も今刃を構えている地の国の皇子と同じ気持ちだからであり。同時に、“刀”を使った際の彼がどれ程の強さであるのかをよく理解しているからだった。
試練を受けさせている時からわかってはいたが、彼は決してただの気弱なお人好しではないのである。
「なるほどな。しかし、高々人の子が私に刃を向けるとは……覚悟は出来ているのだな?」
突きつけられた刃など気にも留めず、聖霊の王が腰を上げる。途端に、それまで穏やかに吹き抜けていた風がザワリと色を変えた。
目も開けていられないほどの強風は、花畑から聖霊王とクォーツの対峙を息を呑んで見ていた仲間達も立っていられなくなる程だった。だから、わかる。これが、聖霊王の意思を反映した風だと言うことが。
(流石は聖霊の王……すごい迫力だ。端から、勝てるだなんて思い上がっては居なかったけど)
正直、自分は気弱だし、決断力もないが、別に馬鹿じゃない。逆らえば、ただでは済まないことなどわかっていた。それでも、自分は……
「僕達は確かに、貴殿方にお掛けしたご迷惑の謝罪の為にやって参りました。しかし、目の前で……」
(この風に煽られて尚一歩も退かないか、見上げた根性だな)
それまで聖霊王を見据えて全く目を逸らさなかったクォーツが、一瞬だけ気まずそうな眼差しで、フライの腕に支えられたフローラを見る。
(……どうやら、自覚は出来たみたいだね)
「ーっ!?え!?フライっ、何で私の目と耳塞ぐの!!?」
見られた本人より先にその視線の意図を汲み取ったフライが、フローラの耳と視界を覆うようにその顔を自分の胸に強く抱き寄せる。
『何も見えない!聞こえない!!これで口まで塞がれたら三猿になっちゃう!!!』とバタバタしているその姿に苦笑してしまうが、同時に無事な姿に胸に渦巻いていた黒い怒りが治まっていくのを、クォーツは確かに感じていた。そして、その感情の変化の理由もわかる、今ならば。
だから、彼女を酷い目に合わせた目の前の男を、再び正面から睨み付けた。
「目の前で、一番大切な人を傷つけられて、黙ってみていられる訳がないでしょう!!」
力強く放たれた、その言葉で十分だった。
離れていてもその言葉を聞き届けた妹は感動したようにその瞳を輝かせ、そんな妹に幼き頃からよき友の一人であるレインが『やっとハッキリしたね』と声をかけている。ライトだけは不思議そうに首を傾げて、『今の言葉の何処にフローラに聞かれちゃ駄目な理由が?』とか呟いていたけれど、それもまた彼らしくておかしい。
そして……自分に気づく切っ掛けをわざわざ与えてくれたフライは、ほんの少しの切なさを滲ませた瞳を細め、自分を見て満足げに頷いていた。
『それでいいよ、勝負ってものは公平じゃなきゃね』と、幼き日によく聞いた声音が耳に響く。
思えば、フライは小さい頃からいつだって、そう言ってどんな勝負も公平に受ける人だった。そんな彼の真っ直ぐさに気づけたのだって、きっと、愛しいあの子のお陰で。
皆、少しずつ変わっているから、自分だって、強くならなければ。
「僕達は確かに人間です。だから、覚悟をするのは貴方の方だ。人間は、己の信じるものの為なら、なんだって出来るんですよ」
『ですが今回は、これで手打ちと致しましょう』と、静かに言い切ったクォーツが、目にも止まらぬ早さでその刃を鞘へと納める。と、同時に、結ばれていた聖霊王の髪がはらりとほどけた。刀を納めるその一瞬の動きで切り捨てたのだ、髪留めとなっていた紐飾りだけを。
同時に、髪の毛一本すら切られていないその部分を指先で弄り数秒後、聖霊の王は腹を抱えて笑いだした。
「……くくっ、ははははははっっ!!!」
「ーっ!?」
「いや、すまんすまん。面白くてついな……!いやぁ、聖霊王に刀を突きつけ、終いには髪留めを切り裂いての『手打ち』と来たか!良いな、実に良い。その姫さんといいお前さんといい、今度の四大国の跡取り候補は皆ずいぶんと肝が据わってるじゃないか!!」
大袈裟な程に手を叩いて爆笑するその姿に、少年少女は唖然とする他ない。
「おい、王ともあろう人がいくらなんでもそれは無いだろ!俺達は確かにまだ幼いが、笑ってごまかされる程無知じゃない。これは人間界と聖霊界との政治的な事案だ。こちらには、今回の事の次第をそちらからきちんと聞く権利がある!」
そんな微妙な空気の中、ようやくハッとなったライトが、全員を守るように一歩前に進み叫んだ。
その声にようやく落ち着きを取り戻し、真顔に戻った男がマントを翻し、その後一瞬で玉座から姿を消した。
「ーっ!消えた!?フローラっ、危ないから皆から離れちゃ駄目よ?」
「まさか逃げましたの!?殿方の風上にもおけませんわね!!」
「いや……、ここの大地から、あの人の気配は消えてない。まだ近くに居るよ」
「風が妙な揺れ方をしたから、多分転移魔法の類いだと……っ!」
と、体的に限界が近く瞳を閉じていたフライが、空気の微妙な変化を感じ取った所で、彼等の目の前に再び聖霊王が姿を表した。ただし。
「本当に、貴方って王は!!!」
「ちょっ!待て待て待て、そんな引っ張り方をしたら禿げる!!良いのか妻よ!?」
「この程度で禿げる情けない毛根なら、いっそ根こそぎ尽きておしまいなさい!私は貴方に毛が無くとも愛せますから!!!」
深紅の髪をたなびかせた美しい妻に、髪をひと思いに掴み取られた、見るも哀れな姿で。
~Ep.190 クォーツの覚悟~
『心優しき地の皇子は、他が為に今剣を抜く』




