Ep.188 災難な人々
全力で走っていた筈なのに、一瞬意識が途切れたかと思ったら、次の瞬間足がもつれて体勢が崩れた。
何とか転ぶ前に地に手を着き顔を上げ、同時に目の前の幻想的な光景に目を見張る。
「あれは……!」
火柱の中心から金と青の粒子が溢れ、みるみる内に業火の柱は美しい水の柱に変わっていく。
そして、段々と勢力を増していく水は辺りの森へも降り注ぎ、雨だけでは消しきれなかった炎を見る間に消していった。
(どうやら、ただの水魔術ではないようだね……)
走りながら辺りの景色に視線を走らせ、そして気づいた。
この水がかかると、焼け焦げてしまったはずの草花達が見る間に癒され、美しさを取り戻していく事に。
理由が非常に気にはなるが、それよりも今は、と視線を空へ向ける。
そこでは丁度、光の粒子と共に消え去った水柱から投げ出された少女がまっ逆さまに落下していく所で。
(落ちさせてたまるか……!)
最後に残った力を振り絞って、辺りの風をその身体の元に集める。
どうにか支えられた彼女の身体が、風に踊る花弁のようにゆっくり地上へと近づいていく様子に安堵して。
しかし、あと少しだとそう思った所で、急に力が抜けて膝が折れる。完全に魔力が尽きたらしい。
そして、自分の魔力が尽きたと言うことは、彼女を支えていた風も消えてしまうと言うことだ。
支えを失った小さな身体が、まだ地上には少々遠い位置から直下していくと言うのに。
折れた膝を叱咤して立ち上がり、走っても走っても、彼女との距離は縮まらない。火柱の被害を受けずに魔法を使うためだと離れた配置に居たことが恨めしかった。
しかし、彼女を助けるその前から既にフライも限界だった。火柱を消すために、最も大量に魔力を消費したのは彼なのだから当然なのだが。
そして、とうとう視界まで白く霞だした時。
一匹の白猫と、それに支えられた親友が、地面に叩きつけられる直前の彼女を受け止める姿を確かに見た。と同時に、彼女を助けたのが己で無いことに、胸に痺れるような痛みが走る。
ーー……しかし。
「た、大変だーっっっ!!」
「ーっ!?」
フローラが火柱に飛び込んだのと同じ崖上から不意に聞こえたその声と滝壺に飛び込んだ人影に、嫉妬も忘れて唖然としてしまった。
今水に飛び込んだのは、十中八九、彼女と一緒に待機していたクォーツだ。助けに行ったのだろう、それはいい。
しかし……しかしである。
「確か彼、泳げないんじゃなかったっけ……」
そんなフライの呟きを、聞き届ける者は居なかった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ユニコーンの泉から放り出され、一度に膨大な魔力を指輪を介して放ったことで気を失っていフローラは、誰かに抱き止められるような強い衝撃に意識を取り戻した。
うっすらと目を開けると、息を切らしたライトと、髭をピコピコ揺らして心配そうなブランが自分の顔を覗き込んでいる姿が見えてくる。
「ーっ!気がついたか!?」
「フローラ、大丈夫!?」
肩を少しだけ揺らされて、ようやくどういう事態なのかに気づいた。
今、自分の身体は河原に膝をついたライトの腕に横抱きにされている。火柱を内側から打ち消して力を使い果たしたところまでは辛うじて覚えているので、恐らく、落下中に抱き止めてくれたのだろう。
遠くから響いてくる複数の足音はきっと、他の仲間達も駆けつけに来てくれているからに違いない。その中に、何やら溺れているような水音が混ざっているのが気になるが。
「ライト殿下……?」
「よかった、目は見えて……殿下!?」
「フローラお姉様、お気を確かに!!」
「そうよフローラ、殿下なんて敬意を込めた呼び方をする仲じゃないわ」
再び異空間を通ったせいで、少々記憶が混乱している。
意識が混濁しているせいもあり、試練の名残でそう自分を呼んだフローラに、ライト本人が顔をしかめたのはもちろん、駆け寄ってきたレインとルビーも不思議そうに首を傾げた。この呼び方が、試練の世界で幻影のライトに強要されていたものだと知るブランだけが、労るようにフローラの頭を小さな前足で撫でている。
「……俺、そんな他人行儀な呼び方をされなきゃならないほど怒らせるようなことしたか」
「……っ!あ、ごめんなさい、何でもないの!」
呆れたようで若干傷ついたような、それでいて何かを堪えているような渋い声音で抗議されて、ようやく覚醒し飛び起きた。と、同時に、一人と一匹が試練の世界より大分平坦になった自分の胸に飛び込んでくる。
「バカーっ!もうっ、心配させないでよね!!黒こげになっちゃって!!」
「そうですわ!ひとりで火中に飛び込むだなんて無謀にも程があります!服もほぼ消し炭ではありませんの!!」
矢継ぎ早にそう言われて、確かにこの見た目では驚かれるのも無理はないと苦笑した。確かに、今の自分は丸焼き状態だ。
あまりの焼き具合に、前世で有名だった某モンスター狩りゲームのBGMが頭の中に流れてくる。
「じ、上手に焼けました!なんて……」
「ーー……っ!馬鹿野郎!!!お前自分がどれだけ危険な真似したかわかってんのか!!!!」
心配をかけまいとばんざいをしながらそう言ったフローラから、目を見開いたライトが抱きついている2名を引き剥がして怒鳴った。
肩を揺さぶる痛いほどの力と怒鳴り声の迫力に、言われたフローラだけでなく他のメンバーの肩も跳ねる。それくらい、大きな声だった。
怒りに燃える深紅の双眸に見据えられたフローラが、その腕に支えられたままシュンと肩を落とす。
「ごめんなさい……」
「…………」
普段よく喋る人間の無言の圧ほど恐ろしいものはない。
どんな眼差しを向けられているのかが怖くて、顔が上げられなくて。視界がにじみ出すのを誤魔化す様に目を閉じた所で、後ろから柔らかな布地に優しく包まれた。
「はい、そこまで。弱ってる女の子を追い詰めるものじゃないよ」
「ーっ!フライ!」
振り返ると、ふわりと肩にかけられた上着が揺れた。
「そのままだと冷えるから、着ておくといいよ」
「あ、ありがとう!」
(び、びっくりした、上着かけてくれただけか……)
一瞬抱き締められたのかと思ってしまった自分が恥ずかしい。
赤くなった頬を隠すように、借りたフライの上着に顔を埋めた。
「……お前、フライにもちゃんと感謝しろよ。こいつが風で支えてくれなかったら多分間に合わなかった……ぞ」
思わぬ乱入に気を削がれたのか、疲れた様子で立ち上りそう話していたライトの言葉が、変な形で途切れた。
その視線が今度は呆然と川に向いているのに気づいて、全員でそこを見下ろすと。
柔らかそうな茶髪を水にたなびかせたクォーツが、流れ流され離れていく所だった……。
~Ep.188 災難な人々~
その後、ライトに救出されたクォーツも、フローラの時に負けない剣幕でライトのお叱りを受けたのは言うまでもない。




