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Ep.178 夢境の果ての泉


    『その泉は、夢か、現か』



  どこか遠くから響くような、馬のいななきに誘われるように目を開けると、また世界が一転していた。


  薄く輝く靄の先に広がるのは、月明かりに照らされた白樺の林で。凛と澄んだその空気に、無意識に背筋が伸びる。


(どう見ても、森のなか……だよね。木の感じや景色をみる限り、聖霊の森に似てる……けど、こんな背景、見た覚えないなぁ)


  そもそも、その聖霊の森からいきなりゲームの世界そのもののイノセント学院高等科に飛ばされて、おかしくなった皆と対峙していた筈なのに、何の解決もないまままた森に戻されるだなんて、そんなことがあるのだろうか。


  頭を打ったはずなのに痛みもないし、と、身体の違和感を感じつつ、一歩、二歩とゆっくり歩いて様子を確かめている内に、もうひとつ、気づいた。


  いくら歩いても、自分の足音が聞こえないのだ。そもそも、地面を踏んでいる感触もない。

  その不思議な感覚の理由を確かめるべく、自らの足元へと視線を落とす。そこでは透明な何かに反射して、自身の姿がゆらゆら揺れていた。


「ガラス……じゃない、これ、水だ……」


  少し動く度に揺らめき、写り込んだ自らの姿も揺れる。月明かりで透けた水の底には、何やら古い神殿の様な廃墟も見受けられる。それくらい、広い泉だった。

  周りを木々に囲われ、辺りには靄がかかり、差し込む月明かりは美しい銀色。そんな神秘的な泉の水面に、フローラは立っていた。それは本来なら、人間には……と、言うより、ほぼすべての生物にとっても、不可能な出来事。


  そこでようやくフローラは自らの手をポンと叩き、納得した様子で言う。


「わかった、夢だわここ」


  よくよく考えれば、確かさっき階段から落ちた後に気を失った気がするし、多分、ここのところ前世で見たゲームの事を毎日のように思い返していたので、無意識にかつて見た聖霊の森の世界観を写した夢の世界を作り出してしまったのかもしれない。


  小さくため息を溢しつつしゃがみこめば、そこにはただただ深く澄み渡る泉が有るだけだ。


「どうせ聖霊の森絡みの夢見るなら、どんなイベントだったかとか見れたら良いのになー……」


  と言っても、あくまで自分自身の夢なので、誰にも文句を言いようがないのだが。


「そんな事より早く起きなきゃ、早く仕事片付けないと、困ってる人がたくさ…………」


  ぶつぶつ呟きつつ立ち上がろうとした所で、水面がうねるように大きく揺れた。


「ん?」


  初めは自分が勢いよく立ち上がろうとしたせいかと思ったが、違う。


  足元に広がる新たな波紋の中心は自分ではなく、はるか前方に居るようで。段々広がっていくその動きを逆再生する様に、視線をゆっくりと動かす。


  そして、見つけた。


「お馬さん……?」


  月明かりに栄える白銀のたてがみを風になびかせる、美しい佇まい。その額には、一本の螺旋状の角が輝く。

  元々幻想的だった泉の水面に立つその姿は、見惚れるほどの美しさだった。


  その美しさに惹かれ、一歩、近づこうとしたその時。

  辺りの木々がざわめき、辺りに声が響きだした。


『哀れな人の子よ、復讐を望むか?』


  その言葉に、息を飲む。

  確証がある訳じゃないのに、なんとなくわかった。この声は、あの子の……、あそこにいる、一角獣ユニコーンの声だ。


  確かに、ここに来る前にライトが言っていた。聖霊の森には、一角獣が居ると。


『どうした?理不尽に虐げられて、さぞ悔しかろう』


  『早く答えよ』と言わんばかりに、辺りに吹く風が強くなる。煽られる不安を押さえる為、お守り代わりのペンダントをそっと両手で包み込んだ。

  そして、胸を張って答える。


「いいえ、そんなことは望みません」


『その言葉は誠か?』


  澄んだ眼差しに射ぬかれ、強く頷く。

  すると、足元の泉が再び大きく揺れた。そして、その水面に、普通ならばあり得ない景色が写し出される。


(前世で通ってた、うちのクラスの教室だ……!)


  驚いて、しっかり見る為に両手、両ひざを水面についてそこを覗き込んだ。

  映像はどんどん鮮明になり、次第に声も聞こえてくる。


「いや~、もう最高!!ウザいのがいっぺんに2人も消えるなんて!あの作戦考えてくれた紗奈に感謝だわ」


「フェンスが壊れかけてたお陰よ。にしても、落ちる瞬間のあいつ等の顔見た?」


「見た見た!超間抜けだったよねーっ!中河と日下部の顔!!!」


  二ヶ所の花瓶が乗った座席を見ながら楽しそうに笑っているのは、かつて私が嫌われていた中河さんのお友達だ。あの子達、いっつも彼女の後ろについて回ってたからてっきり仲良しなんだと思ってたのに。


  そう思いつつ、彼女達の今の会話を反芻して、ショックを受けつつも頭の中で整理する。


  あの子達が話しているのは多分、かつての自分が、彼女達に屋上から落とされそうになったブランを守ろうとして転落死したあの日のこと。つまり、あれは事故なんかじゃなかったのだ。


(私を死なせたかったのか、中河さんが嫌いでやったのか、その両方なのかはまだわからないけど……)


  いくら能天気な自分でも、流石にこれはショックだった。しかし、憤るよりも先に、フローラの頭を掠めたのは。


(……お母さん、こんなこと知ったらかなりショックだったんじゃ)


  と言う、己が死んだ後の母の心配で。

  同時に、ユニコーンが水面に一度鼻をつけると、水面に写る景色が切り替わる。


  今度写ったのは、懐かしい小さなアパートのワンルーム。かつては父の写真しかなかったそこに増えたもうひとつの写真立てを見ながら、お線香をあげているおばあちゃんが居る。その人にお茶を差し出し、若干不健康に見えるほど痩せ細った女性が微笑んだ。


「わざわざお線香まであげに来ていただいて、ありがとうございます」


  そんな母の言葉に、おばあちゃんが首を横に振って母の手を掴んだ。


(あ、大家のおばあちゃんだ……)


  よくおかずのお裾分けやちょっとした和菓子を貰っていたし、さらには家に来た日には必ず父の仏壇に線香をあげてくれていた人なので、よく覚えている。


  いつもニコニコ優しかったそのおばあちゃんが、悲しげに顔を歪めたまま母の背中を優しくさすっていた。


「何でも、ふざけて遊んでて屋上から落ちかけた友達を助けようとして一緒に落ちちゃったそうだねぇ……」


「えぇ、高校の方から、そう説明がありました。あの子ったら、本当にいつも、他人の幸せばっかり考えて……」


「優しいいい子なんだよ。こんな老いぼれにも、毎日あいさつして、よく話し相手になってくれてねぇ……。本当に、あの子が居なくなってうちのアパートは日が消えた様だ」


「ありがとうございます。……今でも、自慢の娘です」


  まさか、こんな形で自分の死後の周りの様子を見るとは思わなかったけれど。母と大家さんの思わぬ優しいその言葉は、じんわりとした温かさで、フローラの胸を締め付ける。

  ただ、表情こそ痛々しいが、母は泣いてない。その事が、唯一の救いだった。


「それにしても、私が言えた話じゃないが……。旦那も人助けの為に死んじまって、次は娘までなんて、あんたも気の毒だねぇ。辛くなったら、いつでも言うんだよ。何だって協力するからね」


「いいえ、ただでさえ家賃も待ってもらっていますし、そこまで甘える訳には……」


「何言ってんだい、恩返しも兼ねてるんだからいいんだよ!うちの孫は、消防士だったあんたの旦那が無茶してマンションに助けに飛び込んでくれたから助かったんだ。なのにあんたの旦那がそのまま逝っちまって、本当に、お詫びの言葉もないが……」


「あの人は自分の信念を貫き通しただけですから、いいんですよ。私が愛したのは、そう言う優しく、強い人でしたから。だからこそ、娘にも“人を幸せを、自分の幸せに感じられる優しい子に”と、育てたんですが……仇になってしまいましたね」


(なるほど。うちが大家さんからしょっちゅう色々頂いたり、半年近く家賃を滞納しても見逃して貰えてたのにはそんな理由があったのか……)


  2人のその会話で亡き父の生前の善行を知った所で、ふっとすべてが消えた。後に残るのは、ただただ凪いでいる美しい水面だけだ。


  その澄んだ水面に向かい、フローラは最後の母の言葉に返事を返す。もちろん、聞こえるわけないと、わかっているけれど。


「仇になんかなってないよ、お母さん。私……今、幸せに生きてるからね」


  そして、静かに立ち上がり、ユニコーンへと向き直る。


  辺りは未だに、吹き荒れる強風に激しく揺れているけれど。

  その中で、フローラとユニコーンだけが、しっかりとその場に立っていた。


『今の現実を見た上で、改めて聞こう。そなたを死に至らしめた者達へ……、復讐を、望むか』


  今度の問いには、疑問符はついておらず、あたかも、自分が同意するのが当然といった聞き方で。

  だからフローラは、先程よりもハッキリした声でもう一度答えるのだ。


「いいえ、絶対に望みません」


『……理由は、何だ』


「する理由が無いからです」


『……何?』


  あまり表情がないはずのユニコーンが、怪訝そうな顔つきになった……気がする。それがなんだかおかしくて、フローラは満面の笑みで言い足した。


「だって私、転生したこの世界の皆も大好きですもん」


『ーー……』


  そう答えた瞬間、あれほど吹き荒れていた風が嘘のようにピタリと止んだ。

  でも、そんなことは気にならなかった。


  前世の世界を見て誘発されたのか、ゲームのことで思い出せたことがあるのだ。しかも、丁度聖霊の森絡みのことで。


「私、わかりました。あの高等科の世界は、聖霊王様の試練ですね」


  ユニコーンは答えない。だが、否定がないのは肯定と同じだ。


「合格基準は知りませんけど、確か、受ける者が一番嫌な事を現実みたいに作り上げた幻影の世界に閉じ込められるとか。だから、私わかったんです。自分が、何を怖がってたのか」


  転生してすぐの頃は、ただ自分が“悪役”として生まれ変わってしまったことで、国に迷惑がかかるのが怖かった。だけど、皆と出会い、過ごして、大好きな居場所が出来た今、私が一番怖かったのは……、彼等が、ゲームの運命シナリオなんかに呑み込まれて、心をなくしてしまうことだ。

  そして、あの幻影の世界にいる主人公マリンちゃんは、正に、彼等を自分の“お人形”にしようとしている。


『……では人の子よ、そなたは、何を望む?』


「……私、意外とわがままみたいです。もちろん自分も幸せになりたいし、お母さんにも、ずっと“自慢の娘”だと思っててほしい。だから」


  そこで言葉を切り、一歩、ユニコーンに近づいた。

  復讐は別に望まない。

  だけどあの日、自身の命とブランを守れなかったことに、後悔がないわけじゃない。


「私の大切な皆の幸せを守る為に、もう、誰も失わない為に。私……、救うための力が欲しいです!!」

  

  どうやら自分のこの信念、父から受け継いだ、根っからの筋金入りらしい。こうなったら、とことん貫いてやろうじゃないか!


  ユニコーンから反応はないが、言葉にしてみたら不思議と決意は固まった。


  とにかく、まずはこの妙にリアルで不可思議な夢から覚めなくては。そしてそのあと、あの聖霊王の幻影を破り、本当の……今の私の生きる世界に帰るのだ!!


  そう意気込んだ所で、柔らかな風に髪を揺らされた。


「ひゃっ……!?」


  何だろうと思って顔を上げれば、あんなに遠くに居た筈のユニコーンが、息がかかりそうなくらいの近さで真正面に立っていて。

  小さく悲鳴をあげたフローラの後頭部に、ユニコーンがその美しい角の先を一瞬だけ当てる。


(あ……笑った)


  改めて間近で見たその顔を見て、何となく、そう思った。


  そして次の瞬間、あれほど穏やかだった水面が揺れ、一気に泉へ引き込まれて。

  でも全く苦しくならない息に、あぁ、目が覚めるのだと身体に力が入る。


『幻影を破る鍵は、看破と不退転の決意だ』


  そのひと言を最後に、ゆっくり景色が消えていった。


     ~Ep.178 夢境の果てのセノーテ


     『その泉は、夢か、現か』



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