Ep.176 白猫は知っている
本当は試練に合格した信号機トリオがワチャワチャする辺りまで書いてあったんですが、あまりに長くなりすぎたので話を二つにわけました^^;
そっちの話は加筆してまた後日挙げます(^-^)ゝ゛
目の前で流れていくただ只管に自分の主人を全ての諸悪の根元として追い詰めていく悪夢に、ブランは激しく尻尾を左右に揺らす。
もちろん、喜んでいる訳では無い。犬と違い、猫の尻尾が激しく振られているときは、それだけ苛立ちを感じている証拠なのだ。
しかし、そんなブランの苛立ちも、試練を写し出す水鏡の先で見るからに疲弊しているフローラの痛みも気に止めず、頬杖をついた聖霊王は、試練の空間に忍び込んで飛び交っている花の妖精たちを眺めてやれやれとため息をついた。
「やれやれ、あの姫さんが気に入ったのはわかるが、これじゃあ完全な試練にはならんな」
「……今でも充分ひどい目にあっていると思いますが」
そう反論しつつ、ブランは内心で自身の体長の半分にも満たない小さな体ながら、懸命に主人を手助けしてくれている彼女たちに感謝した。
主人は前世から、心の傷が酷くなるほど自身の感情を麻痺させて、目を逸らして逃げてしまうところがある。これは、誰にも相談出来なかったが故なのだろうか。しかし、この方法は一時的には苦難を耐えられても、限界を超えたときにダメージを蓄積し続けたその心が壊れてしまうことを、ブランは知っていた。
たった一度だけ、前世の彼女が壊れかけたのを、ただの猫だった自分は、何も出来ないままただ見ていた。
「それに、物理的な手助けはあのバラの妖精の子がした二回だけで、ほかの妖精達は毎日一輪ずつフローラに花をあげてるだけじゃないですか。それくらい、許してくれても良いでしょう?」
そのたった一輪ずつの花に、無意識ながらに少しだけ主人が救われていることには気づいていた。だから、今止めてもらっては困るのだ。
彼女の心が完全に折れて何もかもを投げ出した時は、この試練は不合格になる。そうなったら彼女は、この暴君の観賞用のお飾りとしてあの悪夢に閉じ込められてしまうのだ。
そんなの、絶対にさせるものか。でも、あの妖精達のように水鏡を飛び越えて助けに行くことや、どうしたらその試練を終わらせられるのかを伝えに行くことも出来ない。
自分が行けばすぐにでも不合格にすると脅されては、ただ見ている他に何も出来なかった。せっかく使い魔となり、彼女を支える力を得たと思っていたのに。
やっと、恩を返せるだろうと思っていたのに。いざと言うときに限って、自分のなんと無力な事か。
(せめて、誰かひとりでも試練をクリアして出てきてくれれば……)
フローラ自身は、己に自信がないせいか、心の奥底で『いつか前世のように、そして、ゲームのように、皆も自分を嫌いになる日が来るのではないか』と恐れているようだが。そして、その不安がこうして試練に多大な影響を与えている訳だが……。
蓋を開けてみれば、攻略対象たる皇子達はもちろん、主人公の友人と言う枠を与えられていた筈のレインや、クォーツに近づく女は何人たりとも許さず嫌うライバルキャラであった筈のルビーまで、その感情に意味合いの違いはあれど、皆主人を……フローラを大切に思ってくれている。これは、あの子が皆を大切に思い、一緒に歩んできたからこそだ。
フローラも、ほかの皆も、まだまだ未熟で幼いけれど。それでも、時にすれ違い、ぶつかり合い、そして、互いを思いやりながら。ゲームなんかじゃない、彼女達だけの道を歩んできた。
(だから、今の君なら、自信を持ってそいつ等を偽者だって見破れる筈なんだ……!!)
そう、何か確信出来るきっかけさえあれば!
そんな事を思った時だった。
6つ並んでいた内、三枚の水鏡が、何の前触れもなく次々と砕け散ったのだ。飛び散ることなく、また泉の一部へと帰っていく水たちを目で追いながら、ブランが焦る。
「割れたのは、左上と、右下と、右上……。フライ、クォーツ、それにライトの場所……!まさか、3人に何か!!?」
しかし、聖霊王の答えは『なんだ、思ったよりも早かったな』と言う、ブランにとっては的を得ていないもので。
不服そうにしているブランを他所に、新たな水鏡を作りながら王が言う。
「安心しろ、何かあったわけでも、不合格になったわけでもない。寧ろ逆だ、鏡が割れるのは、合格の証さ」
「ーっ!!本当に!?」
「あぁ、俺が嘘を言うように見えるのか?」
「むしろそうとしか見えないって内心思ってますが、無礼なので口には出しません。安心してください!」
「ーー……お前、主人の姫さんに似てかなりのうっかりだな」
思わぬタイミングで喰らった罵倒に苦笑を浮かべつつ、怒るでもなく淡々と水鏡を仕上げていくその姿を見ていた。
「ま、あの姫さんの影響で、5人それぞれ多少なりともコンプレックスは乗り越えかけてたみたいだからなぁ。特に男どもは随分と救われちまっててまぁ……、なんとつまらん」
「本人たちには大事なことなんです、面白がらないで下さい」
しかし、それならライトに比べてフライとクォーツが若干早く合格したのは納得できる。色々と大変だったが、あの2人は一度ちょっとした騒ぎで皆から離れようとして、フローラに連れ戻されている。その時のことが、何かしら彼等のわだかまりを少しでも軽くしたのだろう。だから、彼等は自身が最も避けたかったものと戦う意思を持つことが出来たのだ。
無自覚ながら、本当に君こそヒロインだよと言いたくなる働きをしている我が主人に想いを馳せている内に、新たな水鏡に何かが写りだした。
丁度先程の三枚を足したような大きさのその表面に、切り立った崖とそこにぶら下がる小さな点が見えて、ブランは一度思考を止めて鏡に向き直る。そして、『今度は何ですか?』と鏡の主たる王に尋ねた。
「いやぁ、本来なら合格者はそのまま玉座の花園にご案内なんだが、何分ひっさびさに使った術だったし、何か余計な魔力の干渉受けちまって上手く扱えなくてなぁ。あの男ども、ちょっと変な場所に放り出されちまったみたいだ」
『だから、これ観察用の鏡な』と笑う馬鹿王を他所に、崖にぶら下がっている……もとい、今にも落ちそうになっているその人影がクォーツであることに気づいたブランが馬も顔負けのスピードで飛び去ったのは、そのわずか数秒後のことであった……。
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あっという間に見えなくなった白猫に、迷子にならないよう加護の術だけはかけておいて良かったと小さく笑みを浮かべた後、三枚残った内の、一番大きな水鏡を眺め、聖霊王は眉を潜めた。
そんな夫の姿に、美しい妻は『どうしたの』と問いかけようとし、しかし、次の瞬間一瞬鏡に写ったあるものに言葉を失った。
「どうして……?」
呆然と呟く妻を抱き寄せその肩を優しく叩きつつ、聖霊王たる夫は長いため息をこぼした。道理で、彼女に与えた“試練”がおかしな方向へと暴走している筈だ。
「こんな暴力的になるわけねーのに、妙な魔力入ってんなと思ったら……懐かしいもんが出てきたもんだな」
かつて、妻が友となった人間の少女を守るため、女王自身の二種類の魔力と、炎、風、大地の魔力を封じた3つの宝石を使い作り上げた“聖霊女王の指輪”。
若くして命を落とした持ち主と共に、歴史の表舞台から姿を消した筈のそれを、青髪の少女が私利私欲に使い、汚していた。
そもそも、指輪が主を失ってからすでに気が遠くなる程の月日が流れている。宝石に込められた魔力は既に失われ、ただの無色の石と化していた。そして、三連になっている石のひとつが、既に黒く澱み始めていることに、妻が哀しそうに眉を下げる。
「宝石の力がない今、あれに残された力は、私が込めた人の心を開かせる力と、浄化の力しかない筈だわ。その上で、あんな欲にまみれた使い方をしたら、拒絶反応が起きてしまう……!」
顔を青くする妻の言葉に、夫も真剣な眼差しで唇を引き結んだ。
指輪の拒絶反応。
それは、悪しき者に力を利用されない為の、指輪に込めた諸刃の剣。
指輪に溜まる悪意が限界を超えたときにどうなってしまうのかは、長年手元から離れていた今、作り手にさえわからない次第であった。
「とは言え、今から試練を中止も出来ん。既にあの指輪の影響か、こちらからは干渉出来なくなってしまっているんでな。おそらく、長年かけて指輪の中の魔力が変化し、無効化のような効果が産まれたのだろうが……」
呟く夫に『私の不手際ね』と頭を下げ、聖霊の第二の長たる女王が立ち上がり、虹色に透き通る羽根を広げた。
「どこへ行く?」
「人間の魔力に影響を受けやすいエリアの者達に避難を促して参ります。せめて、森の住人たちには被害が及ばないようにしなくては。……元を正せば、私の罪なのですから」
ふわり、と、その細い足先が重力を無視して宙に浮かぶ。今にも崩れそうな重荷を背負う今の妻を一人にしてしまうことに些か不安はあったが、夫はそれを止めなかった。
妻として、女王として、責任を果たしたいと言うのならば行かせてやるべきだ。抱き締めて、閉じ込めて、守ることが必ずしも相手の為になるとは限らない。
「あの姫さんの周りも、それをわかってくれると良いんだが。恋に目覚めたばっかの若造には難しいかねぇ」
そんなふざけたような感想を述べつつ、森全体に広がるように魔力の波を広げていく。
その魔力を感じ取り、森の一番奥の奥、王すら足を踏み入れたことのない巨大な湖に立ち、試練を見守る何かがもう一名居るのだが、わりと全容を見ていた白猫も、流石にそれは知らないのだった。
(“厄災”と“救世主”が同時に現れるとは……。ここは手並みを拝見するとしようか)
~ Ep.176 白猫は知っている~




